第一章9 青年は運が良いのか悪いのか
揺れる馬車の中でアンネリーゼは武器の点検をしていた。
馬車の中には彼女の他にもう一人。新しく腰にナイフを装備したユーリが乗っている。彼もアクセサリーから武器に戻し、点検を行っていた。
ユーリがある程度終わるとアンネリーゼに声を掛けた。
「それで、二人でどうやってギゴラスを倒して回る? ぶっちゃけ俺は誘導と囮役しかできないぞ」
「私を助けた時に使った槍はどうなんだ? 頭を貫いていたじゃないか」
「あれは隙がデカいし離れていたら当たらない。あと俺が無防備になる。あの時は気付いてなかったからできただけだよ」
アンネリーゼはつい最近聞いたことのあるダメな三拍子を聞いてため息を吐いた。
「なら、ユーリが盾役で私が攻撃するしかないな。ボスを失ったギゴラスは孤立するものが多いが、時間がたてば新たなボスが生まれる。今日明日で数を稼ぎたいところだな」
アンネリーゼはどれだけのギゴラスが残っているかを考えていた。昨日の時点で三十は討伐できたと報告があり、逃げたギゴラスのうちアルタス領に半分逃げたと仮定して、十五体から二十体の残党がいる予想した。アルタス領にも兵士が討伐に入るので十体も狩ればこの勝負は勝ちだろうと思い、アンネリーゼはユーリに声を掛けた。
「おい、ユーリ。昨日のボスと同じように戦おうと思う。頼めるかい?」
「過度な期待はやめてくれよ。プレッシャーと棍棒で潰れちまう」
ユーリは困った顔で笑い、軽く両手を上げた。彼の冗談を聞いたアンネリーゼもまた、つられて口をほころばせた。
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馬車がアルタス領についたのは太陽が真上から少しずれている。正午過ぎといった頃だった。
ユーリとアンネリーゼの目の前には昨日ほどではないにしろ草原があった。ユーリが顔を左の方へ向けると、大きな森が広がっていた。アンネリーゼの見立てでは、この森にギゴラスは逃げ込んだのではないか、という話らしい。
今度は反対側、右に顔を向けると少し離れた所に街が見えた。つい先ほど降りた馬車がその街に向かっているのが遠目にわかる。あれがアルタス侯爵の収める街のようだ。
「どうする? いきなり森から攻めてみるか?」
「いきなりはやだな。森の回りを探索する感じでお願いします」
「了解した」
そう言ってアンネリーゼは歩き出した。彼女の左手は鞘を握っており、いつでも抜けるようにしていた。
ユーリのほうも弓を武器に戻し、矢筒を確認したのち、彼女の後に続いた。
しかし、しばらく歩いてみたが草原の方にはギゴラスの影は見当たらず、二人は立ち止まって休憩することにした。
「やはり草原の方にはいないな、休憩が終わったら一度、森の中に入ってみよう」
アンネリーゼの提案にユーリは「あぁ」と頷いた。ユーリは森では弓は不利だと思い、ブレスレットに変え、ピアスを槍に戻した。
休憩が終わり、森の中に入ることになった。最初は奥まで入らず、偵察に留めることにしたので、森の奥に向かうのではなく、森の外側を回るように歩くことにした。
森の中は細めの木が密集しており、薄暗くなっていた。
槍を構えたユーリが前を歩き、アンネリーゼが辺りを警戒しながら後ろに続いている。二人は物音を立てないように歩いている。
少し歩いていると、アンネリーゼが何かに気付いたらしく前を歩いているユーリの肩を指でつつき知らせる。顔だけ後ろに向け、アンネリーゼの顔を見た。
アンネリーゼは黙ったまま指で森の中心側を指した。ユーリは彼女の指さした先を見た。そこには暗くてよく見えないが、影が動くのが見えた。
ユーリはアンネリーゼに再び顔を向け、目配せをして手を小さく影の方に振った。彼女は頷き、二人で息を殺し、影に近づいて行く。
近づいて木の陰から動く影の正体を確かめると、――――やはりギゴラスだった。
見つけたギゴラスは武器を持っておらず、体中に刺し傷があり消耗している。ユーリはチャンスだと思い、アンネリーゼに同時に仕掛けるようにと、手を動かし伝えた。アンネリーゼが頷いたのを見て、ユーリは片手を開いて上げた。
ユーリの指が一本ずつ折りたたまれ、カウントダウンが開始された。
……四、アンネリーゼが剣の柄をつかみ、いつでもギフトを発動できるように身構える。
……二、槍を強く握るユーリは息を止め、精神を集中させた。
…………ユーリが指をすべて折り握り拳をつくると同時に二人は木の陰から飛び出し、ギゴラスの背中から襲い掛かった。
飛び出した勢いでギゴラスが二人に気付き振り返ったが、ユーリが飛び出した勢いを乗せた渾身の突きを、ギゴラスの腹に狙いを定め放った。
ギゴラスの一つ目が飛び出してきたものが何なのか視認する前に、ギゴラスの腹には深く槍が突き刺さった。
少し遅れて、ギゴラスの咆哮が響いた。痛みによる叫びなのか、怒りによる雄叫びなのかはユーリにはわからない。だが、ギゴラスの瞳にはユーリが映り、彼を睨みつけていた。
昨日はその瞳に睨まれ動けなかったユーリだが、今回は違った。彼は強く握っていた槍を離し、後ろに跳んだ。そうすることで、ユーリを掴もうとしていたギゴラスの両腕から逃れることに成功した。
ユーリが避けたことでギゴラスの腕は空振りしていまい、バランスを崩したギゴラスはそのまま前のめりに倒れそうになり、片手を腹に添え、残りの手と両膝を地面につけ、その場に崩れ落ちた。
その隙をアンネリーゼが逃すはずも無く、彼女はギフトを発動させ、ギゴラスに近づいた。彼女の剣から振動音が響き、地面に顔を見ていたギゴラスが音のする方に顔を向けた。
――しかし、ギゴラスの視界には木々の間から見える空が映り、そのまま光を失った。
アンネリーゼの放った一閃がギゴラスの首を斬り飛ばした。頭を失ったギゴラスの肉体は体を支える力を失い横に倒れ込んだ。
「運よく無傷で一体仕留めることが出来たな。武器も持っていなかったし、体力も消耗していた」
槍を回収しながらユーリは口を開いたが、その声はいつもよりかは控えめで、まだ辺りを警戒している様だった。
「さっきの咆哮で他のギゴラスが集まってくるかもしれない。一旦森から出て様子を見よう」
ユーリはアンネリーゼの提案に簡単に頷き、アージュから渡されたナイフを腰から抜き、ギゴラスの体に傷をつくった。すると、傷口からは出血が少なく、代わりに傷口が青く染まっていた。これが加工された武器の効果なのかと、ユーリは感心しながら立ち上がった。
ナイフを腰にしまい、回収した槍を再び武器に戻したながらユーリはアンネリーゼに近づく。
二人は口数は減らした方がいいと判断し、手で方向を示唆し、素早くその場を離れた――。
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森に入っていた時とは違い、足音や木の枝に体を引っ掛け木の葉の音を鳴らしながら森を出ようとする二人。彼らは今、走って何かから逃げていた。後ろの方では何度目かになるか分からない、木を薙ぎ倒す音が聞こえる。
先ほど倒したギゴラスの咆哮を聞いた他のギゴラス。それもボスほどではないにしろ、強いギゴラスが二人を襲いかかってきた。二人は森の中ではうまいこと戦えないと、その森を抜けるために逃げていたのだ。
しかし、二人は道の無い森の中では、木々をうまいこと躱しながら走ることが出来ず、木を薙ぎ倒しながら追いかけてくるギゴラスとの距離は縮まってきている。
アンネリーゼが視界の奥に木々の連なりが切れ、光が漏れ出ているのを見て、森の終わりを確信した。その後、後ろを振り返ると、ギゴラスがすぐ近くまで迫っていた。
「くそっ! このままでは追いつかれてしまう!!」
アンネリーゼが叫んだ。しかし、ユーリの返事がない。
まさかと思い、アンネリーゼはユーリの走っていた斜め後ろに目をやった。そこには彼はしっかりと走っており、彼女の心配は杞憂に終わった。
しかし、何にも言わないユーリに何かあったのかと思い、アンネリーゼは彼を見た。ユーリの口はぶつぶつと何か呟いているように動き、彼の目はまっすぐ彼女を見つめていた。
アンネリーゼは彼の意図が分かり、その瞳がまっすぐ走れと言っているように思い、また前を見て森の出口に向け、駆け続けた。
ギゴラスの手が森を抜けようとする二人に迫り、あとちょっとで捕まってしまう。その時、呪文を詠み終えたユーリが叫んだ。
「飛び込めっ!!!」
彼の言葉に従いアンネリーゼは体を前に傾け、足に大きく力を込め森を跳び抜けた。
ユーリも飛び込み、森の入り口辺りに身を転がした。
ギゴラスはユーリの発動した、シャドーハンドに足を取られ、バランスを崩し、勢いよく転んだ。ギゴラスが転んだ衝撃は凄まじく、重い音と地面を伝う振動がその凄さを証明した。
二人はは素早く体を起こした。アンネリーゼが剣を抜き、ユーリはネックレスを大剣に戻し、二人は戦闘態勢に移行した。
倒れていたギゴラスがうめき声を上げながら身体を起こし、頭に手をやりながら二人を睨んだ。ギゴラスの額からは血が流れていて、大きく尖っていた下牙も折れてしまっていた。
「今ので、そこそこ良い傷を与えたんじゃないか?」
「残念ながら、プライドを折り、怒りを買っただけのようだ」
ユーリは冷や汗をかきながら冗談をいうが、アンネリーゼはギゴラスから目を離さず真面目に答える。
「------っ!!」
ギゴラスが天を仰ぎながら吠えた。その怒りの叫びの大きさに二人は思わず顔をしかめた。ギゴラスが叫び終わった後、顔をゆっくりと前に向け、アンネリーゼ、そしてユーリを見た。
次の瞬間、その巨体からは想像もできない瞬発力で、ギゴラスはユーリに襲い掛かった。
一瞬で距離を詰められたユーリはとっさに大剣でガードしたが、ギゴラスの繰り出したタックルの衝撃に耐えきれず、小さくうめき声を吐きながら、後ろに飛ばされてしまう。
アンネリーゼが吹き飛ばされたユーリに目をやったが、それも一瞬で、彼女は剣から振動音を響かせギゴラスに斬りかかった。しかし、彼女の剣戟はギゴラスの腕によって途中で阻まれてしまう。ギゴラスの腕には鉄の鎖のようなものが何重にも巻かれ、ギゴラスはそれを盾代わりにして、アンネリーゼの一撃を防いだのだ。
アンネリーゼの攻撃を防いだギゴラスは空いている手で拳を握り、それを彼女に繰り出した。アンネリーゼは迫る拳を身を低くしてぎりぎりで避け、少しの間、硬直したギゴラスから素早く距離をとった。
ギゴラスはアンネリーゼに追撃はせずに、その場で体勢を整えていた。
ユーリはよろよろと立ち上がり、それを視界の端にとらえたアンネリーゼはユーリに叫んだ。
「ユーリ! 大丈夫か!?」
「な、なんとかな」
弱弱しい声で答えるユーリ。彼の呼吸は荒く、あまり長くは戦えそうも無い。ゆっくりとアンネリーゼの横まで移動したユーリは小声で彼女に言った。
「ちょっとこのままじゃやばい。少し任せていいか?」
「なにか策があるんだな? わかった、ここは私に任せてくれ」
アンネリーゼは短い会話を終え、前に出てギゴラスと向き合った。ユーリは数歩下がり、大剣をネックレスにして、その場に膝をつき、何かし始めた。
アンネリーゼとギゴラスはお互い向き合い、今度は先にが仕掛けた。彼女はギゴラスに向かって駆け出し、素早く剣を横に薙いだ。ギゴラスは鉄の腕でそれを防ぎ、今度はガードした腕をそのまま振り下ろした。
アンネリーゼが半歩下がり、彼女の目の前を拳が振り落とされ、地面に叩きつけた。地面にクレーターが出来上がり、衝撃が彼女の足を伝った。しかし、彼女はそれに臆することなく地面に置かれたギゴラスの拳に足を掛け、一気に腕を駆け上った。
ギゴラスの肩に到達する直前、アンネリーゼはギゴラスの首めがけ、剣を振りぬいた。だが、ギゴラスが首を傾げるようにしてその一撃を避けた。しかし、避けきれずギゴラスは頬を斬られ血が流れた。
攻撃を躱されたアンネリーゼはそのまま肩まで登り、踏み台にしてギゴラスの背中側に弧を描くように跳んだ。
それを逃がさないようにギゴラスは素早く反転し彼女の着地をする時を狙おうとまたタックルを繰り出した。それを空中で見ていたアンネリーゼは体を一回転させ、突っ込んでくるギゴラスの鉄の腕めがけ、甲高い音のする剣を振り落とした。
一回転した勢いや重力、彼女のギフトによる振動。そして突っ込んでくるギゴラスの勢いがぶつかり、爆発したかのような衝撃が生まれた。空中にいた彼女は踏ん張ることが出来ずそのまま吹き飛ばされ、地面に落とされ転がったが、ギゴラスのタックルを食らわずに済んだ。
ギゴラスの方も腕に衝撃を受け、踏ん張りをきかせ、どうにかその場に踏みとどまった。しかし、そのためか大きな隙が生まれてしまう。
「待たせたな」
自分以外誰にも聞こえない呟きしながら、ユーリは弓矢を構えていた。その標的をギゴラスに定め、矢羽から手を離した。
弓から矢が放たれた瞬間、矢が伸びるように加速した。いや、実際に矢が伸び、大きさも構えていた時よりも何倍にも膨れ上がっている。
ユーリは鏃にピアスを付け、矢を放った瞬間に槍に戻したのだ。それにより、矢の勢いのまま槍が発射される。その威力はバリスタにも匹敵するものだ。
もちろん、その速さで放たれた槍を未だ硬直したままのギゴラスが避けられるはずも無く、ギゴラスの胸を槍が突き刺さり、背中から先端が飛び出した。
ギゴラスは槍の衝撃で絶命とともに背中から地面に倒れ込んだ。
「ぐっ……!」
「ユーリ! やはり無理をしていたのか!?」
ユーリはギゴラスから受けたダメージが大きかったのかその場で膝をついた。そんな彼に立ち上がったアンネリーゼが近寄り、彼の容態を確かめた。
どうやら、あばらをやられており、彼女の方にも軽くない傷があったので、今日は深手を負わずこのまま街に戻ることにした。
一日目の討伐数は二体。幸先の良くないスタートを切ることになったユーリ達……。
――青年の一日目はまだ終わらない……。