第一章5 青年の意識は遠く……
――時は少し遡りギゴラス討伐前夜。
アルタス侯爵領にある街。その街の中央、小高い丘の上に領主館があり、そこではアルタス侯爵の息子、フィリド・ガルズ・アルタス子爵の誕生パーティが開かれていた。最初に侯爵が軽い挨拶をしてフィリドを紹介をし、フィリドが演説をしてパーティが始められた。
パーティは館の一階にある大広間で行われ、立食制のようで中央に大きなテーブルに料理が並び、周りに小さな丸テーブルがいくつもある。部屋の隅にはバンド並び、華やかな音楽を演奏している。
ベルニナも招待されパーティに参加していた。そんな彼女の元には絶え間なく貴族が挨拶に来ていた。ベルニナはめんどくさいと思いながらも笑顔で応じていた。何人かの貴族が挨拶に来た後、フィリドがベルニナの所にやってきた。
「やぁベル、今日は来てくれてうれしいよ」
フィリドはベルニナのことをベルと愛称で呼び、笑顔で話しかけた。彼の見た目は薄い茶髪を長めにそろえ顔立ちも整っている。長身でやさしい印象をしている。
ベルニナはフィリドにドレスの裾をつまみ、軽く持ち上げ会釈した。
「本日はお招きいただきありがとうございます、フィリド・ガルズ・アルタス子爵」
「そんなかしこまらないで、僕と君の仲じゃないか」
フィリドはベルニナに微笑みながらそう言った。ベルニナはフィリドの発言に笑顔が一瞬崩れ、苦い顔をしたがフィリドは気づかず続けて口を動かした。
「それと来月ある君の誕生パーティにも是非、僕を招待してくれ。そのとき正式に婚約を結ぼう」
フィリドの放った言葉にベルニナは固まってしまい何も言えなかった。もしこの場にアンネリーゼがいたら間に入って助けてくれただろうが、彼女は今この場にいない。
フィリドは父親のアルタス侯爵から襲爵すれば侯爵になる。その折にベルニナを妻に迎えたい、と公言していた。さらに、フィリドやベルニナと年が近くフィリドの対抗馬になりうる存在がおらず、フィリドとベルニナの婚約は暗黙の了解となっていた。
「……まぁこの問題は僕たちだけの一存では決めれないからすぐには答えられないか。でも君のほうからも陛下に進言してほしい。」
下をうつむき何も言わないベルニナにフィリドはそう言って立ち去っていった。
ベルニナはフィリドのことが嫌いではない。だが、彼がつまらない人間だと思っている。それは彼女自身に対しても同じである。波のない人生、決められた人生、刺激のない人生、そんな自分をつまらない人間と思っている。
彼女にとって結婚はたいした問題ではない。ただ、結婚することによって自分の自由が完全になくなることを危惧していた。
フィリドの残した言葉が胸に刺さり、晴れない表情のままパーティはアルタス侯爵によって締められ、閉会となりその日はそのまま終わった……。
――次の日の朝、ベルニナを乗せた馬車は王都に向け街道を走っていた。ベルニナは昨夜のパーティでフィリドに言われた言葉を思い出し、頭を抱えている。
そのとき、馬車が急に止まり、中にいた侍女が体勢を崩し、小さく悲鳴を上げた。兵士が外から大きい声が聞こえた。
「魔物です。我々が応戦しますので決して外に出ないようにお願いします」
兵士が言い終わるや否や魔物の雄たけびのようなものが響き、兵士の叫び声が聞こえた。
-----------
アンネリーゼは街道を侯爵領に向けて走っている。兵士の話を聞きユーリたちを置いて、ベルニナを助けるために駆け出したのである。彼女の息は荒くなり、表情にも焦りが見える。
しばらく走っているとギゴラスが数匹、王家の馬車を囲んでいるのが見えた。近衛兵が応戦しているが数人がかりで討伐できるギゴラスを相手に苦戦しているようだ。ギゴラスも兵士たちも戦いに必死なのか、アンネリーゼには気づいていない。
アンネリーゼが剣を抜きギフトを発動させ、振動音を鳴らし始めた。そのまま一番近くにいるギゴラスに駆け出し、背中を向けているギゴラスの首めがけ飛び跳ね、剣を振った……。
首から上がなくなり血を噴出しているギゴラスが倒れ、その影から飛び出たアンネリーゼの瞳はすばやく次の標的を見定め、動き出した。ギゴラスの棍棒を槍で受け止め後退を続ける兵士。その戦いの横からギゴラスの棍棒を持つ手に剣を振りギゴラスの腕を落とし、返す刃で腹から胸にかけて斜めに斬り上げた。斬られたギゴラスは後ろに倒れこみそのまま息絶えた。
アンネリーゼが戦場に着きわずか数秒でギゴラスを二体倒した。それでもまだギゴラスの数は三体いた。アンネリーゼは後ろを振り返ることなく兵士に聞いた。
「ベルニナ様は無事か!?」
「アンネリーゼッ! あぁ、ベルニナ様は馬車の中にいらっしゃる」
アンネリーゼの問いかけに答えたのは護衛を任されている隊長だ。アンネリーゼとも面識があるのか彼女のことを知っているようだ。隊長はアンネリーゼの横に並び続けて話し出した。
「すまないが手を借りたい、部下が何人かやられて窮地であるのでな」
隊長の顔には余裕がなく汗を流し、額から血が流れ鎧も所々汚れている。槍を両手で握っているが左腕が折れているのか力が入っていない。おそらく何回も味方をかばい転がされたのだろう。それでもまだ戦おうとする執念はさすがに護衛を任されている隊長といえよう。
そんな隊長の姿を見据えたアンネリーゼは隊長の向かって下がるように進言した。
「そんな傷だらけでは満足に戦えないでしょう。あとの事は私のお任せください」
「くっ! すまない……」
正直立っているのが限界だった隊長は悔しそうに顔を歪め、アンネリーゼの言葉に甘えゆっくり後退した。
アンネリーゼは隊長が下がると正面にいる三体のギゴラスを見据えた。ギゴラス達は畏怖するような目でアンネリーゼを見ていた。このギゴラス達はアンネリーゼ達三人がボスを倒すところ見て一目散に逃げ出したグループで、アンネリーゼに恐怖していた。
アンネリーゼは荒れた呼吸を整え、ギゴラス達の出方を見ていた。このまま、また逃げてくれれば幸いとも考えていたが、一体のギゴラスが体を振るわせて雄たけびを上げながら突っ込んできた。それに触発されるように残りの二体も駆け出し、三体が同時にアンネリーゼに迫る。
アンネリーゼもまた前に駆け出し、右にいるギゴラスが振り下ろす棍棒の根元にあわせ剣を横に振り切りかかる。ギフトの能力を最大限まで使いいっそう高い振動音が鳴り、棍棒ごとギゴラスの体を真っ二つに裂いた。倒れ落ちるギゴラスの体に影を隠し反時計回りに進み、真ん中のギゴラスに斬りかかる。
「――ッ!!」
しかしギゴラスが急に加速してアンネリーゼに迫った。残ったギゴラスが真ん中にいたギゴラスの背中を殴りつけたのだ。斬りかかっていたアンネリーゼは迫るギゴラスの巨体に反応できず、倒れこむギゴラスの下敷きにされてしまう。しかしアンネリーゼが振りかけていた剣が、飛んできたギゴラスを途中まで切裂き、そのまま倒れこむギゴラスは訳も分からないまま絶命した。これで残ったギゴラスは一体のみとなったが、アンネリーゼはギゴラスの死体に下敷きにされ身動きが取れないでいた――。
ギゴラスが笑みを浮かべながらゆっくりとアンネリーゼに近づいていく。アンネリーゼは頭と肩以外を死体に潰され動けないでいた。そしてギゴラスがアンネリーゼの前までくると彼女を叩き潰すため棍棒を振り上げ――。
――後ろから槍で頭を貫らぬかれ死亡した。
「よぉ、生きてるか? これでさっきの借りは返したからな」
槍が引き抜かれ、崩れ落ちるギゴラスの背中から姿を現したのはユーリだった。彼は槍をピアスに戻し、アンネリーゼに近づきギゴラスの体を浮かせてアンネリーゼを助けようとしながら口を動かす。
「それにしても間に合ってよかったぜ」
「どうして追いかけてきたんだ?」
アンネリーゼの疑問にユーリは軽く笑いながら答えた。
「俺に依頼してきた兵士が目を離してる間に死なれてると夢見が悪くなるからさ」
さっき言われた言葉をそのまま返し、アンネリーゼもそのことを理解し、二人笑い出した。
「危ないっ!!」
しかしそれも束の間の出来事で、何かに気づいたアンネリーゼはユーリを突き飛ばした。突き飛ばされたユーリが地面に転がり顔を上げるとアンネリーゼが何かに殴られ二転三転と地面に吹っ飛ばされた。ユーリはさらに顔を上げ何かの正体を確かめた。
それは倒したはずのボスだった――。
「どうしてこいつがここに!? 倒したはずだろ!!」
ボスは腕と胸から血を出し息も荒く、満身創痍な状態で立っていた。血を失い動かなくなったのか右腕は垂れ下がっており、胸の傷からは今も血が出ている。ユーリを庇い、ボスの一撃を食らったアンネリーゼは起き上がることが出来ず顔を上げ、声を出そうとするが血を吐き意識が朦朧としていた。ユーリは立ち上がりボスをにらみつけながらネックレスを掴んでどうすればいいか考えていた。
アンネリーゼがどうにか声をあげてユーリに叫ぶ。
「逃げろ! お前一人で勝てる相手じゃない!」
その言葉を聴いたユーリは一度だけアンネリーゼの方を向き、覚悟を決めたようにネックレスから手を離し、ポケットからピアスを取り出した。そのピアスは黒く四枚の花弁がある花の形をしていた。ユーリはそれを握るとアンネリーゼに顔を向け口を開いた。
「アンネリーゼ! 俺が駄目だった時はお姫様を連れて逃げろ!」
そう言い放った後ユーリはボスに向かって駆け出していく。そんな姿を見ながらアンネリーゼは叫ぶ。
「馬鹿な真似は止めろ!! ユーリ!!」
ユーリはアンネリーゼの制止も聞かず走り、ボスの傷に握り締めた拳を解き、ボスに掴まれた……。
ユーリを掴んだボスが力を込めユーリを握りつぶそうとする、骨の軋む音がしてユーリはうめき声を上げる。
「……はじっ……けろ、デカ、ブツ」
ユーリが小さい声でつぶやいた瞬間、ボスの胸から黒い牙が勢いよく出てきた。それだけではなく、同じような牙が肩、そして背中からも飛び出していた。
黒い牙。その正体は、この前ユーリが訪れた港町で買った、フーマシュリケンと呼ばれる武器でヤマトの国にいるスパイが使うブーメランだと教わった。ユーリはその珍しい武器を大金はたいて買ったのだ。
そのシュリケンをピアスにしてボスの傷口に放り込み武器に戻し、中から刃がせり出したのだ。
ボスは内側からせり出した刃に斬られ、今度こそ息絶え、その場に倒れこんだ。
左手に掴まれていたユーリも一緒に地面に投げ出された。
アンネリーゼが倒れこむユーリに駆け寄り声をかける。
「おいユーリ、しっかりしろ。大丈夫か!?」
ユーリは薄れ行く意識の中でアンネリーゼに向かい言葉を搾り出す。
「な、まえ。やっとよんでくれた、な……」
最後にそれだけ言い残しユーリは意識を失った――。
馬車の中にいた少女は今の戦いをずっと見ていた…………。