記憶はないが、アイスを食えれば問題ない
アイスクリームって、夏だけじゃなくて冬でも美味しいですよね。
あれは至高の食べ物だと思います。
袋に入った最後の一枚を食べ終えた女性は、袋を逆さまにして無くなってしまったことを少し残念そうにして、ぼくを見つめてくる。
そんな物欲しそうな顔で見つめないでほしい。
それに欲しければ、また後で出してやるとも。
お菓子好きの人に悪い人などいるはずがない。
さて、そんな事はともかくだ。
どうしてあのような事をしていたのかを問わなくてはいけないだろう。
このまま何も見なかったことにしてしまったら、この女性はまた命を絶とうとするだろう。
それはぼくの菓子を美味しいと言って食べてくれた人を失うことになる。
そんなことは世界の損失だ。
絶対に認めるわけにはいかない。
「それで、あなたは誰なんですか?どうして、私の家に突然現れたんですか。何のためにここに来たのですか」
質問は女性の方からだった。
それはそうだろう。
向こうにとっては、ぼくなんて不法侵入者だ。
命は助けたかも知れないが、この場合は恩人というよりは、自分のやろうとしたことを妨害してきた何者かだ。
「いや、これは申し訳ない。えっと、ぼくはだね。・・・・・・あれ、ぼくは誰だ?馬車に撥ねられて銀髪の女性に、ここへ飛ばされた事は覚えているけれど、そういえばぼくは誰なんだろうね」
女性に聞かれて、あらためて考えてみたら、ぼくはぼくの事を忘れていた。
ただ、これだけは覚えている。
「ああ、思い出した。ぼくが誰かはわからないけど、ここに落とされたのは向こうの都合だから、それもわからない。それでも一つ確かな事がある。ぼくはアイスクリームを完成させる為に来たんだ」
「アイスクリーム?それは何ですか」
「えっ、何だって、アイスクリームを知らない?それは何て言うことだ。もう、人生の何割か、いや十割は損をしているよ。あれほど、心を落ち着かせて、心に癒しと平穏を与えてくれる天上の極楽をぼくは知らない。
あれさえ食べれば、大抵の悩みなんて吹き飛んでしまうよ」
女性のアイスクリームを知りません発言は、ぼくを混乱の渦へと巻き込むに時間はかからなかった。
ここが中世ぐらいの文明レベルだか何だかは、この際置いておこう。
ぼくをこの世界に飛ばした銀髪の女性は何をやっているんだ。
管理しているとか、権限があるとか言っていたはずだ。
なのに、アイスクリームを伝えることすらしていないのか。
そんな世界に意味があるのか、いや、ない。
それならば、ぼくのやるべき事は、この世界に美味しいお菓子を広めることだ。
あれが神だか女神だかは知らないが、美味しいお菓子を知らない人が多い世界など間違っている。
国を支える英雄だとか、国王とかを斡旋するよりも先に、もっとやらなくてはいけない大事な事があるだろう。
あの銀髪は何かをはき違えている。
「ええっと、損をしている、ですか。まあ、確かに私はずっと損をしてきたような気がします。両親も流行病で失って、私一人この家に残されましたが、税を納める事も出来ず、村の蓄えもない以上は、奴隷になるか、餓死するしかありません。次の行商人さんが来られるのは半年後ですから、奴隷として生きることも出来そうにないので、
村の仲間の食料を減らして余計に苦しめるような事はせずに、いっそのことと思っていたのに、何故止めたのですか。それに、あんなに美味しい物を食べてしまったら、生きる未練が出来てしまったではないですか。あなたは一時の同情で、私を苦しめて楽しいのですか」
しばらく黙っていたぼくを不審に思ったのか、女性は何やら身の上話をしてくれた。
こちらから聞き出さなくても、相手から言ってくれたのは助かった。
それにしても、食糧難の村ですか。
ここでどこぞのお妃様のように、パンが無ければケーキを食えとか言えば、暴力沙汰になるんだろうなあ。
でも、ぼくの場合はパンもケーキも両方とも出すことは出来る。
さて、どうするのが互いにとって助けとなる選択になるんだろうなあと、ぼくは小さくため息をついた。
「なんですか、そのため息は。何故、私を放っておいてくれなかったんですか」
「まあ、そうカリカリしないことだよ。イライラするときは糖質が不足しているんだ。これでも食べて落ち着くといい」
そう言ってぼくは、カップアイスとステンレスのスプーンを取り出した。
カップアイスは、自分で作ることが出来なかった色々とじくじくとした葛藤を込めて、百円ではない三百円アイスを出す。
これは、所謂カップ系のアイスではお高い部類の奴で、色々な種類が毎年増えていく。
それでも、バニラに関しては自分で作るのも、似たような味わいを出せる。
女性は蓋付きのカップアイスとスプーンをぼくから受け取ると、これは何なのか?とアイスを逆さまにして見たり、脇に付いている文字が何なのかわからない、などと言っている。
ぼくが見本を見せるようにして、カップアイスの蓋を取って、その後で中のビニールで密閉されている蓋をベリベリと剥がす。
こうするんだよ、というように女性に見せると、それを真似した。
で、後は蓋を適当に掴んで、空いた方の手でスプーンを握って、アイスクリームを食べる。
うーん、これこれ、このとろけるようなバニラの味わいが最高だね。
バニラは昔からあるけど、やっぱり昔からある味っていうのは、ある意味王様だよ。
ぼくがそんな風に感動を覚えながらアイスクリームを食べていたのだが、女性の方は何かこう、鬼気迫るような気配を漂わせて、無言で黙々とスプーンでアイスクリームを口へと運んでいた。
最初に出したクッキーは、一応市販品ではなくて、ぼくが昔作ったものと同様にしている。
市販のクッキーは、高いものなら、本当にバターを使って作っている。
でも、安い奴だと、ショートニングやマーガリンを使用して作っている事が、美味しさを半減させる。
また、チョコレートの入ったクッキーにしても、使用されているチョコレートがこれも素材にこだわっているものでなければ、余分な乳化剤が入っているものを使用していることもある。
まあ、それらの安いものに満足出来ず、かといって値段の高いクッキーとなると、自分で最初から作った方が美味しくて、満足がいくものが出来る可能性がある、ということで作ったのがきっかけだ。
小麦粉は、プロだとこだわるのだが、ぼくは生憎と趣味の領域だ。
これは普通に薄力粉を使ったものだ。
卵は新鮮さにはこだわったが、どこぞのヨード卵やら高級ブランドものを使ったことはない。
割った時に卵がしんなりせずに、弾力があって色つやがしっかりしていれば、味でがっかりしたことはない。
バターはもちろん無塩バターを使用する。
お菓子作りをするのなら、有塩バターより、無塩の方がやりやすい。
塩を使うなら、後で適宜加えればいいだけだ。
チョコレートは製菓用のチョコレートを使う。
余計な材料を使わず、代用油脂を使用していないクーベルチュールチョコを使うことにしている。
よくバレンタインの時期になると出回る割チョコも製菓用のチョコレートなのだが、それを使うよりはクーベルチュールを使った方が美味しい出来映えになる。
それだけ材料に気を配って、作ったことがあるクッキーを再現させて出したのだから、アイスクリームよりも美味しさの感動が強かったのかもしれない。
でも、とりあえずはアイスクリームを食べている間は、余計な雑念を忘れてくれるだろう。
ぼくはそんな事を考えながら、アイスクリームの味わいに舌鼓を打つのだった。
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