まずは、クッキーを食え。話はそれからだ
クッキー、焼き菓子としてはシンプルな部類ですが、工夫次第で無限の広がりを見せますよね。
「くっ、眩しい」
思わず、ぼくは目を閉じて、片手で瞼の上を遮りながら、ゆっくりと目を開けた。
異世界に飛ばす、などと言っていた銀髪の女性は、どこに落とすとまでは話していなかった。
菓子を作ることが出来るなら、どこに落とされようと文句はない。
さて、ここは一体どんな場所なのだろうか。
目を開けて、段々と光に慣れてきたぼくは、自分が立っていることを確認して、ふと目に入った光景に唖然とした。
丁度、ぼくの前にあったのは、天井の木の梁にロープが引っかけて下げられている。
そのロープは丸く輪を作って垂れ下がり、木の踏み台に足を乗せて、両手をプルプルと震わせてロープを首にかけている人が居た。
「なっ、何をやってるんだっ!馬鹿なことはやめろっ!」
ぼくは咄嗟にそんな事を叫んで、明らかに自分で自分の命を絶とうとしている人へと駆けだした。
ぼくの声に驚いた人は、バランスを崩して踏み台が転がって、ロープが首にかかって吊られる形になってしまった。
ぼくは無我夢中で、その人の足を両手で掴んで必死に上へと持ち上げた。
お菓子作りは趣味ということもあって、基本的に面倒な作業はハンドミキサーなんかの文明の利器に頼っていたぼくは、割とインドア派特有の線の細さと、筋力の少ない身体だった。
だから、ここでぼくが今必死に命を支えようとしている人が、ぼくよりも体重がありそうな巨漢だったら助けることはまず不可能だっただろう。
「はっ、離して、離してください!私は、もう駄目なんです。ここで死なないと終わりなんです!どうか、助けると思って死なせてください」
その人は必死にぼくの掴む手を振りほどこうと身をよじって暴れる。
その人が暴れる力は、思いの外そこまで強くなくて、がっしりと掴めば片手でも体重を支えられそうだった。
まあ、相手の足裏をぼくの太ももに当てて体重を分散させる形で、支えるという意味で。
「駄目かどうかはわからないし、事情も何もわからない。でも、いきなり目の前でショッキングな光景を見せられたら、美味しくお菓子を食べることが出来ないじゃないか。あんたの事情とか、そういう事はどうでもいい。まあ、これでも食って落ち着いてくれ」
右手で両足を抱えて、左手の中にチョコレートクッキーを一枚出して、左手を伸ばせるだけ上に伸ばす。
ぼくに支えられている人は、興味をひかれたのか、ロープから首を抜いて、片手をロープから離して、ぼくの手にあるクッキーに手を伸ばしてきた。
すると、そこで重心がずれて、バランスが悪くなってしまい、体勢が元々微妙だったことと、ぼく自身の非力さと、その人がぼくの方へと重心を一気にかけたために、ぼくはずるりと足を滑らせた。
「きゃっ」
「ぐえっ」
ぼくは真後ろに倒れて、後頭部を地面に打ち付けることはなかったものの、両足をぼくに掴まれていた人は、ぼくの上に乗ったままだった。
それで、ぼくの鍛えられていないお腹に、その人の両膝が見事にめり込んだ。
た、確かにこれなら、英雄を希望していても良かったかもしれない。
割れるような腹筋を持っていれば、この程度びくともしなかっただろう。
「あっ、さっきの、砕けちゃった・・・・・・」
「いや、そんなことよりもそこから下りてくれ。苦しい」
「あ、ごめんなさい」
ぼくのお腹に膝をめり込ませていた人は、ぼくが手を離すとすぐに退いてくれた。
それでぼくは立ち上がって、ズボンの汚れなどを軽くはたいた。
ぼくの前に立ったのは、どうやら女性のようだった。
もしかしたら、さっきの騒ぎであまりよろしくない場所を触ってしまったかもしれないが、緊急時の不可抗力だろう。
相手も気が付いていないようだし、ぼくも気が付いていない。
だから、これは問題ないということだ。
「えっと、それで何であんな事をしていたのかな。あっ、これはさっきのお菓子だよ。袋いっぱいに詰めてあるから、それを食べて落ち着くといいよ。話は落ち着いてからでいいからさ」
ぼくは、女性が変な所に感づく前に、意識を別の方向に向けさせようと、先程渡すつもりだったチョコレートクッキーを、手の平サイズの紙袋に入れて差し出した。
女性は目をぱちくりさせながら、恐る恐るといった感じで、ぼくから紙袋を受け取って、中に入っていたクッキーを囓った。
「何これ、甘くて美味しい。さくさくとしていて、口の中でふんわりと甘い香りが広がって、舌が溶けちゃいそう」
女性は一瞬驚きに手で口をおさえて、そのまま袋の中に入っていたクッキーが無くなるまで、サクサクと食べ続けた。
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