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 青々と緑が生い茂る木々の間を、縫うようにして大きな影が飛ぶ。唸るように羽音を立てた鳥は、一転、急降下して地面へと向かってきた。黒を纏うハンターが狙っているのは、明らかに私の目だ。

 頭上よりも高い位置から人差し指と中指を下ろして、一本の線を引く。そこから指の間を狭め半円を描いて作った弓に、更にもう一本線を引いて作成した矢を番え―――GO!

 しゅんっと空を切る透明の矢は空気摩擦で起こった火花で煌めき、光の尾を引いて鳥の頭を貫いた。


 一直線に私を目掛けて飛んでいた身体は斜めに傾ぎ、地面へと激突した。黒い大きな羽は4枚あり、喉には手裏剣のような形の痣、足の後ろには尖った太い鉤爪がある。烏の変異体だろう。

 ゴミの日に集積場に集まってくる普通の烏でも迷惑なのに、こんな物騒な武器を足に仕込んでいるイレギュラーな異形を街中で見かけるのは、極力遠慮したい。

 倒れた鳥は一度羽を震わせたのを最後に、風に煽られて砂のように消滅した。


 異形を倒すのに必要なのは、喉元にある印を狙うこと。これが基本だ。

 でも私の場合はそれが適用されない。あの世界において、異形にとって毒である空気を武器としていた私は、身体の一部を貫くだけで敵を倒すことができたのだ。

 動く敵の喉を狙うのは簡単なことではないため、多くの異形を素早く殲滅できるこの能力はとても重宝された。私が異世界に呼ばれた理由の一つと言ってもいい。


 でもこの世界において、どこを貫いてもOKという反則技のような私の攻撃が通用するかどうかは分からなかった。だからこの世界で最初に倒したねずみモドキは、慎重を期して喉を狙った。その後に攻撃してきた異形達が喉以外に受けた傷でも消滅したため、今では場所を気にすることなくスピード重視で退治することにしている。


 この反則技が有効で良かった。ユフラシアでは共に敵を倒す仲間がいたけれど、この世界では私一人なのだ。多くの異形が現れるような事態になった時、一匹一匹の喉を的確に突いていく技量など私にはない。


 木々の生い茂った場所から出て、運動公園のマラソンコースへと戻る。早朝のためか、走っている人は少ない。

 この近辺にどのぐらい異形がいるのか確かめるために、人気の少ない時間帯を狙って『寄せ笛』を使ったところ、出てきたのは先ほどの鉤爪烏だけだった。それほど多くは生息していないことに安堵したけれど、油断はできない。異形が他の地にもいるならば、必ず私の元へ現れるはずだから。


 公園を出て歩道を歩き始めたところで視線を感じ、その方向へと顔を向ける。そこには信号待ちの自動車が一台停まっていた。車種はあまり詳しくないけれど、がっしりとした車体でアウトドアに活躍しそうな車だ。運転手は私と目が合うと、嬉しそうに笑った。


 ―――片桐先生。


「おはよう、天音」

 流れるような柔らかな声音に、ぞくりと寒気のようなものが走る。かろうじて挨拶を返したタイミングで信号が青に変わり、軽く手を上げた先生を乗せて車は発進した。


 ……どうして片桐先生にここで会うんだろう。こんな休日の朝早くに顔を合わせるなんて、あまりに不自然だ。まさか本当にストーカーなんてことはないよね?


 頭の隅に引っかかっていた化学教師の「ずっと見ていた」発言が、状況判断に長けたさとちゃんの「気を付けて」と言う警告が疑念を抱かせる。単なる考えすぎで度を越した自惚れだと、笑って済ませてしまえればいいのだけれど……。


「よう、おはよう!どうしたんだ、朝早くにこんな所で立ち止まって」

 考え耽っていた私の耳に、突然明るい声が飛び込んできた。後ろを振り向くと、大きめのスポーツバッグを持っているジャージ姿の彼方がいた。サッカー部の朝練に行くところなのだろう。


「おはよう。ちょっとね、ジョギングでもしてみようかな、なんて思って」

「実咲がジョギング?低血圧で、朝は苦手なお前がか?起床時はアラームを5回は鳴らし、起きた後はほとんどしゃべることなく、無表情で黙々と学校の支度をして家を出るっていうお前が?」


 なんだその、まるで見てきたかのような言い方は……!

 漏えい元は間違いなく、私の母親だろう。親戚同士と言うのは、個人情報がいつの間にか筒抜けになっていてやりにくい。


「別にいいでしょ。女の子には色々と事情があるのよ」

「ああ、太ったのか」


 ピシリ、とこめかみに青筋が立つ。理由を言えなくて適当にはぐらかして答えた私も悪いが、この従兄ももう少し女性への配慮と言うものを知った方が良いのではないだろうか。


「私、体型が変わったように見える?」

「いいや、見た目はそんなに変わらないぞ。体重計の数値については分からないけど、あまり気にしなくてもいいんじゃないか?」

「彼方は女性に対するマナーを気にかけた方がいいと思うわ」


 私が本当にダイエットのために早起きをしていたなら、怒りの鉄拳の一つや二つ、容赦なく繰り出していたに違いない。

 そんなことを思っている私の心情を察することもなく、彼方は肩に掛けているスポーツバッグを持ち替えながら屈託なく話しかける。


「実咲、理由はどうあれ、これからも朝にジョギングをするようなら俺に一声かけろよ。あまり早い時間に家を出ると、人が少なくて不用心だしな。前の夜にメールでもくれれば、俺も早めに起きて付き合うからさ」

「彼方……」

「朝練前の身体慣らしにも丁度いいしな」


 笑顔で事もなげに言い放つ、こういうところが敵わないと思う。口は悪いくせに優しくて、私に気を遣わせないように心配りをしつつ甘やかしてくる。

 でも今回ばかりは、その申し出を受けるわけにはいかない。さすがに彼方同伴で、異形退治はできないのだから。


「ありがとう。でも続くかどうかは微妙かな。低血圧の私には、やっぱり早起きはキツいみたい」

「もしかして、体調が悪くなってここに立ち止まっていたのか?」

「え?」

「信号を丸っきり無視して立ってるから、どうしたのかと思ったんだよ」


 指摘されて、初めて気づく。そう言えば、歩行者用の信号が何度も切り替わったのを、見るともなしに目に入れていた。心配そうに私の顔を覗き込む彼方に、軽く笑ってみせる。


「実は走り続けるか、家に帰るか迷っていたんだ。やっぱり、もうやめて帰ろうかな」

「ああ、そうした方が良さそうだ。少し顔色が悪い気がする」


 片桐先生と会ったことが、思う以上に気に掛かっているらしい。彼方に指摘されて、改めてそれを自覚する。いるはずのない異形に、得体の知れない教師。読めない状況に、不安定になっているみたいだ。

 この世界では仲間が情報を仕入れてくれることも、一緒に戦ってくれることもない。一人で対処するしかないという事実が、心に負担をかけている。


「俺も家まで一緒についていくか?もう少し早ければ、片桐先生の車に乗せてもらったんだけどな」

「片桐先生?」

 彼方の口から悩みの元になっている教師の名前が出て、思わず聞き返した。

「ああ、さっきこの道を通って行ったんだけど、気が付かなかったか?」

「……ここで会ったよ。信号待ちしている車の中にいて、挨拶された」

「あの先生、サッカー部の臨時コーチなんだよ」

「そうなんだ」


 ふっと肩の力が抜けた。片桐先生は部活の朝練に付き合うために、学校へ行く途中だったんだ。


「何か、あの先生とあったのか?」

「どうして?」

 明らかにホッとした様子の私を訝しんだのか、彼方が私に疑問を投げかける。それを躱したくて質問に質問で返すと、彼方は少し躊躇うように間を置いてから口を開いた。


「あの先生、俺を呼ぶ時にほんの一瞬なんだけど妙な表情をするんだ」

「妙な表情って……?」

「何というか、不本意とでも言いたそうな、それでいて焦れるような……とにかく複雑な表情なんだよ」

「……先生が彼方を呼ぶのは、名前なの?それとも苗字?」


 彼方は私の父の、お兄さんの子供だ。だから彼方の苗字は私と同じ―――


「苗字だよ。『天音』と呼ぶ前に、なぜかあの先生は一瞬表情を変えるんだ」

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