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鞄から二段重ねの弁当が入った巾着を取り出して、足早にランチルームへと向かう。ほとんどのテーブルは食事をする生徒達で既に埋まっている。空いている席はないかと辺りを見回していると、手を振る友人二人を見つけた。
「混んでるから座れないかと思ったよ」
「ご心配なく。昼食前に余分な日直の仕事を勤め上げた実咲のために、きちんと席はキープしておいたわよ」
さとちゃんが予約の印に置いていたミニポーチを取ると、空いたスペースに「はい、どうぞ」と水の入ったコップが置かれた。
「ありがとう」
右隣に座っている友達、高橋由利にお礼を言うとほんわりとした笑顔が返ってきた。おっとりとした雰囲気があるけれど、見た目に反して……と言っては何だが、色々と気の利く友人だ。
「あのノート、結構重かったんじゃないの。やっぱり手伝えば良かったね」
「大丈夫。あれぐらい楽勝だから」
実際、空気の圧力が弱いと感じている私にとって、重みというものはそれほど苦にならない。高さとバランスの問題さえなければ、あの3倍の量でも片手で楽勝だと思う。
「それにね、片桐先生が手伝ってくれたんだ」
「片桐先生って、化学の?」
「そう。先にノートを半分持ってから『手伝うよ』って声をかけてくれて、こちらが遠慮する間もなかったわ」
「なるほど。そういうスマートさがモテる秘訣かもね」
さとちゃんが納得したように、首を縦に振って頷いた。
「やっぱりモテるんだ?前に、片桐先生が恰好良いって騒いでる子を見かけたことがあったんだけど」
話の流れに乗った友人に、あの化学教師について少しでも情報をもらうために話を振る。
「若くて顔も良いし、身近にいるちょっと大人な異性ってことで騒いでいるんじゃないかな。つれないところがまたイイ、なんて盛り上がってるみたいよ」
つれないということは、むやみに女子高生を口説いて回るような浅慮なことはしていないということか。
去り際の片桐先生の意味深な言動。その理由についての仮定を一つ消す。
「それに非常勤の講師で毎日学校にいるわけじゃないから、あの先生に好意を持っている子は姿を見かけると嬉しいみたいよ。授業以外で見かけたらラッキーって感じで」
「非常勤講師なの?片桐先生って」
「そうだよ。受け持ちの授業数も少ないし、他校と掛け持ちでもしてるんじゃないかな」
新年度の教師紹介のプリントにも書いてあったでしょう、と突っ込まれたものの、興味がなかったからそんな物は見流しだったし、見ていたとしても私にとっては10年以上も前のことで記憶の彼方だ。
「去年は他の先生が化学の担当だったし、毎日学校に来ていないなら接点が少ないわけだよね。まともに話したのは今日が初めてだもん」
「でも、見てたよ」
私の言葉に、今まで聞き手に回っていた由利ちゃんが口を開いた。
「あの先生、実咲ちゃんのこと、去年からずっと見てた」
「えっ、ちょっとそれってもしかして?」
ワクワクという擬音が聞こえてきそうな勢いで、さとちゃんが由利ちゃんに話の続きを促す。
『ずっと見てた』
片桐先生の言葉を知らないにも係わらず、同じことを言う彼女に息を呑む。穏やかな雰囲気に騙されがちだが、由利ちゃんは本当に目端が利いて的確に状況判断をする子なのだ。
黙り込んだ私の横で、二人の会話は途切れることなく進む。
「さとちゃんが期待しているのとは、ちょっと違うかな。なんかね、観察をするような目だったの」
「観察?」
「そう、実咲ちゃん限定でね」
私限定?なんだろう、一体。GW前までの私なんて、平凡な女子高生でしかなかったのに。
……もっとも、今もその枠から外れる気はないのだけれど。ただちょっと変わった特技があるぐらいで。
「でも、今は観察だけで済んでいるのか分からない」
曲げた人差し指を顎に当てて、由利ちゃんは選ぶように言葉を繋ぐ。
「今までは実咲ちゃんを見るだけで、話しかけようとはしていなかったのに。行動を変えたということは、何かしらの変化があったのかもしれない」
憶測の上での、仮定のはずの発言にドキリとする。
変化はあった。私自身に確実に。
「だから警戒するのは正解だよ、実咲ちゃん。気を付けてね」
私にやんわりと注意を促して、由利ちゃんが微笑む。片桐教師について情報を集めようとしていたのも、彼女にはお見通しなのだろう。
少しばかり怖くて、そして頼りになる友達にこくりと頷いた。
ゆったりのんびり楽しい高校生活を送るつもりなのに、幸先が良くないなとため息が出る。厄介なものを呼び寄せるのは、あちらの世界だけでたくさんだというのに。
もちろん気にしすぎだと笑い飛ばすこともできる。自意識過剰かと。
ただ妙に引っ掛かるものがあるのも確かで―――
思考の波に捕われながら下校していると、すっと前方を過ぎるものがあった。茂みから飛び出した生き物は……ネズミ……?それにしては形がおかしい。あれはまるで。
キキイッと鋭い音が辺りに響き渡り、思考が断ち切られた。
あのネズミもどき!
道路に飛び出した小動物を、避けようとしたバイクが歩道に突っ込んでくる。その線上にいる中学生ぐらいの男の子は、足が竦んでいるのか逃げようとする気配がない。
考えるよりも先に身体が動く。
少年の前に走り出て、急接近してくるバイクに向かい合う。
両手で空気を多めに掴み、大きく捻りを入れる。それを広げて、厚い壁にして―――GO!
ばうんっ。
実際に聞こえるなら、きっとそんな音だろう。
バイクは私と少年に接触する前に、動きを止めた。重量のある機体は目に見えない大きなクッションに包まれるように、柔らかに車体を受けとめられて、倒れることなく斜めに静止している。
空気を操り意のままに形成し、それを武器に、あるいは防具とする。
―――これが異世界で得た、私の能力だ。




