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―――み……き、み…さ…………さき…
闇の中に落ちて行きそうな意識の中で、誰かの声を耳が捕らえた。何度も連呼される言葉の響きは、聞き覚えがあって。
―――み……さき……っ
ああ、そうだこれは。
これは私の。
「実咲!」
私の、名前だ。
「おい、実咲っ。しっかりしろ!」
前後に肩を揺さぶられて、埋もれそうだった思考が浮上する。うっすらと開けた視界の中にいるのは、久し振りに見た懐かしい顔。
「……彼方……」
「っ!このバカ!なんでこんな所で寝ているんだ!皆、どれだけ探したか分かってるのかっ」
「さがした………………探したってどのぐらいっ!?」
靄のかかっていた頭がようやく言葉の意味を理解して、反射的に身体が動いた。彼方の上着を両手で掴み、噛み付かんばかりの勢いで聞く。
「どのぐらいって、今何時だと思っているんだ!夜中の11時だぞっ。お前が学校から帰って来ないって、おじさんやおばさんが心配してだなあっ」
「11時!?11時って4月30日のっ!?」
「そうだよ、当たり前だろっ」
「4月、30日……」
彼方から与えられた答えに、服を掴んでいた手から力が抜ける。
「そっか……良かった……!」
ずっと気になっていた。心配をかけているのではないかと。どれほど長い年月を探させ、苦しませているのだろうと。
少なくともそれは杞憂に終わったんだ。
「お、おい、実咲!実咲っ!」
崩れ落ちる身体を支える気力もなく、意識がまた闇の中へと沈んでいく。私を呼ぶ声に驚いたのか、鳥が羽ばたく音がうっすらと聞こえた気がした。
*****
あの場所でどれほどの月日を過ごしたのか、それを把握することさえ途中で放棄してしまった。日が昇って沈むまでの『一日』の体感は、私の本来住んでいた所よりも短く感じていたし、積み上がっていくばかりの日々を数えるのはとても辛かったから。見通しの立たない約束を待つ身としては、過ぎ去る日々をカウントする行為は、どうしようもなく心を苛んだ。
「あなたを必ず還します」
その言葉を信じて、戦い続けた。彼らの願いを叶えるために。そして私自身が生き抜くために。
「実咲、どうしたの、ボーっとして。まだ熱があるのかしら?」
正面に座っている母から声をかけられて、はっと顔を上げる。どうやら私はお椀を見つめたまま、物思いに耽っていたらしい。
「ううん、大丈夫。お味噌汁が美味しいなって、味わっていただけだから」
取り繕う私に、母が安心したように柔らかな笑みを浮かべる。
「ここ数日は熱が高くて、まともに食べられなかったものね。味覚が戻ってきたのかしら」
「うん、お母さんの作ってくれる料理は美味しいって、改めて再確認したよ」
「あらあら、ありがとう」
軽く礼を言う母には、おそらく伝わっていないだろう。私がこの味を、どれほど恋しく思い続けていたかなんて。
「母さんの料理の美味さを再確認とは、たまには病気もしてみるもんだな」
「お父さん、ひどーいっ」
「何日も寝込んで辛い思いをしたんだ。得る物が一つぐらいあってもいいだろう」
抗議する私に、ニヤリと口角を上げる父。にこやかにそれを見守る母。和やかで、平穏な家族の団欒。
いつもの日常に戻ったことを実感して、胸に熱いものが込み上げた。
あの日、意識のない状態で公園のベンチに座り込んでいる私を見つけたのは、従兄の彼方だった。私は40度近くもの熱があり、彼方といくつか言葉を交わした後は昏睡状態に陥ったらしい。
おそらくは高熱のために意識が朦朧として、家に帰りつく事ができなかったのだろう。
私が寝込んでいる間に、そんな話になっていたのは幸いだった。
だって言えるはずがない。
異世界に強制召喚されて、長い間この世界を留守にしていました、なんて。




