97.魔王領――57
セレンの言葉は予期せぬもので、反応も僅かに遅れる。
怖いって……そんな事を言うなら、僕としてはこの掴みどころのない魔王の方がよほど怖いんだけど。
僕の感想を知ってか知らずか、視線を眷属たちの訓練に向けたままセレンは言葉を続ける。
「最強の魔王『凍獄の主』。普通の人間さえ魔王に匹敵する存在に生まれ変わらせ、その力の還元を受けて自らも更に強くなる」
ん?
明らかに荷が重い称号から、いつの間にか北域の言葉まで消えてない?
一瞬その事に気を取られたけど、その後の情報も聞き逃せないものだった。
眷属から力の還元を受けてって……え?
少なくとも自覚はまったく無い。
確かに全力を発揮したのなんて最初にこの結界を作った時を除けば……「天裂く紅刃」に協力するかで眷属の皆と揉めた時くらいか。
てっきり特訓の成果と結界の補正が効いてるんだと思ってたけど。
……落ち着け。
まだセレンの言葉の全てが事実だって保証があるわけじゃないんだ。
後で時間があるときに軽く検証してみるくらいでいい。
それより――。
「力の還元って、眷属の皆に悪い影響が出るような事は無いよね?」
「なんだ、自覚は無かったんだ? それで、最初に気にするところがそれなのか……ふぅん。ま、別に心配ないと思うよ。むしろ強くなった主から相乗効果を受けて眷属たちも強化されるんじゃないかな?」
……その説明をちょっと聞いた分だと、無限ループが完成しそうなものだけど。
実際はどこかで適当に融通が利いているんだろう。
「実際、この大陸に君を止められる力の持ち主なんて居ないはずだ。人間の軍隊なんて話にならないし、勇者でさえ危険にもなり得ないだろう?」
「まさか。そうやって調子に乗ったディアフィスは人間相手に勇者を失ってるし、西のセジングルは僕よりずっと老練な魔王が支配してる。調子に乗ればまた全てを失うだけだよ」
「それだけの力を持ちながら謙虚な事だね。そこがまた厄介だ」
「小心者なだけさ。急に持ち上げられたら不安にもなる」
「面白い事を言うね、勉強になったよ」
他愛無い会話のような調子で言葉を交わしながら、思考の方は戦闘中のように加速していた。
いつしか僕の方を見上げていたセレンが浮かべていたのは屈託のない笑みで、とても裏があるようには見えない。
だからこそ、だろうか。
ラルスの漠然とした胡散臭さとは違う、もっとはっきりと油断ならないものを感じる。
甘言にしてもここまで露骨だと、本気じゃないんだろうとは思うけど。
「いったい僕を唆して、何をさせようとしていたんだろうね」
「唆すとは人聞きの悪い。ボクはただ、君が何を為してくれるのか見届けたいだけだよ。こんな力があるのに停滞してる状況は歯痒くてね」
「停滞って……まぁ、そうかもしれないけど。セレンが来てからまだ一月も経ってないよね?」
「こう見えてボクは我慢ってものが苦手なんだよ! 退屈なのも嫌いだー!」
「おっと」
急に手を振り上げたセレンの拳が顎に入りそうになったのを、身を逸らしてやり過ごす。
その様子はこれまでの雰囲気とは打って変わって見た目の年に相応なもので。
これがこの魔王の本心なのか、それとも演技に騙されているだけなのかまた分からなくなる。
「……ああ、厄介だな」
「え、なんだって?」
「別に。ただ……皆に害のあるような事は、しないでほしいなって」
「分かってるよ。君こそ買い被ってるみたいだけど、ボクだって命は惜しいんだ。好き好んでクロアゼルの逆鱗に触れるような真似はしない」
どうだろう……釘は刺せたんだろうか。
手応えに今一つ不安なものを感じていると、目の前ではバルーがフィリのすぐ傍の地面に深い爪痕を残していた。
そして、そんなバルーの眉間にはフィリの指が突き付けられている。
皆の反応を見るに、軍配はフィリの方に上がったらしい。
「ユウキ! 時間があるなら次はユウキも一緒にやろうぜ!」
「分かった。……暇だって言うなら、セレンも混ざる?」
「そうだね。お言葉に甘えて、楽しませてもらおうかな」
途中から僕に気付いていたらしいシェリルの声に頷きを返し、僕はセレンを連れてフィールドに踏み込んだ。




