73.多面作戦
――セジングル王国とディアフィス聖国の両軍がぶつかり合う戦場にマチルダが乱入したのと前後して。
そことは異なる五つの戦場でも、勇者と魔王が相見えていた。
ディアフィス北部、エルナガル連邦との国境で対峙していたのはリエナ……「焦がるる忌腕」とレオン《鎖の勇者》。
「大人しく縛られてろよ、クソが……!」
「お前……嫌い」
リエナの伸ばす無数の触手を絡め取った鎖は、しかし触手から染み出す瘴気によって瞬く間に溶け崩れていく。
魔王が勇者を抑え込む一方で、ユウキこと「凍獄の主」の眷属である三人の魔人はその援護をしつつ激突する二つの部隊が拮抗するよう調整していた。
「エルナガルの軟弱者どもが、魔王と手なんぞ組みやがって!」
「させない……『散灰煙』」
「チィッ、煩わしい!」
状況を打破できない事に苛立ったレオンが鎬を削る軍に矛先を向けようとするも、先んじたグスタフの生み出した高熱の灰がその側面を突く。
紫髪の勇者は力任せに振り払うも、その隙を逃さずリエナの触手が閃いた。
間一髪のところで鎖を割り込ませ瘴気だけは凌いだレオンだが、衝撃は防ぎ切れず大きく吹き飛ばされる。
すぐさま起き上がったレオンに無数の触手が襲い掛かり、戦況は再び拮抗する。
その一方ではカミラが生成した毒がカーネルの起こす風に乗ってディアフィス軍を苦しめ、戦力を半分以下に削ぎ落していた。
「邪魔だって言ってんのが分かんねぇのかテメェらぁあああ!」
「ッ……!」
レオンの身を守るように幾重にも巻かれた巨大な鎖が、怒声と共に解き放たれる。
リエナも束ねた触手で真っ向から迎え撃ち――その激突は、軍勢のぶつかり合いにも増して大地を揺るがした。
ディアフィス東部、リルヴィス共和国との国境。相争う二つの軍勢の援護はクロアゼルの眷属……ゴドウィン、ヒルダ、ヘドリックに任せ、「嵐招く徒華」はアーサーと対峙していた。
「矢に迷いが出ていますわよ?」
「言ってくれる……!」
戦場に吹き荒れる突風がアーサーの矢の軌道を狂わせる。
力尽くで突破しようと矢を引く力を強めてランカを狙えば、射る時にはもう射線から身を躱されている。
ならばと軍の方を狙ってもランカ、或いは眷属に力の籠った一撃で叩き落される。
本来は誰か前衛と組んでこそ力を発揮する弓という武器。
普段はそれでも押し切れるだけの力差があるのだが……今は違った。
確かにアーサーが放つ矢に常のキレが無いのも事実。
また、矢という攻撃手段に対して風を操るランカは相性が悪いというのもある。
しかし、それ以上に……元より「天裂く紅刃」の腹心として知る者ぞ知る魔王ランカリデス。彼女が同格以上の相手と研鑽を重ねて得た力が、そして勇者や魔王といった超越の存在にさえ牙を届かせ得る魔人たちの存在が、この状況を生み出していた。
「そっちこそっ……攻めの手が、温いんじゃないか?」
「此方にも思惑というものがありますから。貴方と敵対する必要は無い……彼もそう言っていたのではなくて?」
その言葉にまた矢がブレる。
まるで力の乗っていない一撃は、ランカが片手間に起こした風に容易く受け流された。
ディアフィス南部、政治的に孤立するディアフィス聖国に対して唯一中立の立場をとるマゼンディーク帝国との国境。
「ふーむ……こりゃ千日手って奴ですかねー」
壊滅した両国の軍勢が死屍累々と転がる地で、「陰陽乱す妖狸」……ラルスは眼鏡を指で押し上げる。
その視線の先にあったのは、絹のような白糸で編まれた直径数メートル程の繭。それを取り囲む無数の兵士が絶え間なく攻撃を続けていた。
「流石は糸の勇者、ってトコでしょうか。オレの攻撃力じゃ仕留めきれないっぽいですねー……ま、それなら防御に隙が出来た瞬間を狙うまでなんすけど」
誰にともなく呟きながら、眼鏡の奥の糸目を更に細める。
その隣で油断なく辺りの様子に意識を向けていたルートヴィヒ……クロアゼルの眷属が手を翳すと、繭から密かに伸びていた糸が爆破され消滅した。
そのそばでは同じくクロアゼルの眷属であるドラクロワが、辺りを警戒しながらもどこか退屈そうにしている。
そんな二人に向け、ラルスは彼らにだけ聞こえるよう抑えた声量で告げる。
「……バレたら即行で逃げますよー。オレの能力、破られた瞬間に無力ですから」
「分かってますけど、ラルスさんも一応警戒は切らないでください。相手は今も何か狙おうとしているようですから」
「案ずるな、我が雌伏は訪れる破局を殺す為なれば」
眼前の繭に籠っているニーナ……彼女の到着から膠着状態に陥るまでの僅かな時間だが、勇者の名に恥じない実力は見せつけられている。
他のどの戦場より圧倒的な優位に立ちながら、その実誰よりも逃げ腰に身構えて彼らは戦っていた。




