60.ダクスリト――2
僕らの周りの温度が急速に冷え込んだ。
比喩ではなく……魔王の名を名乗った目の前のルディスにいつでも対応できるよう、最大限の警戒態勢を取る。
隣でむせているラミスには悪いけど、そっちの様子まで気を遣う余裕はない。
何が起きても対応できるよう、意識を限界まで加速させる。
「まぁ、そう身構えずに落ち着いてください。こちらに事を荒立てるつもりはありません」
「……はい、そうですか」
冷気を収めるよう装いつつ手の内に収束させる。
相手方も取り繕うのはやめたのか、その身に秘めた少なくない魔力がはっきりと感じられる。それは僕が氷に対してするように、目の前の机、果ては店全体に浸透していた。
ここはいわば相手の腹の中。ただ水分がある以上、フィキシアの時よりはマシな状況だ。力を収束させて一点突破すれば、或いは……。
ひとまず最終手段のアテはできた。
警戒は緩めないまま口を開く。
「事を荒立てるつもりはない、と……。じゃあ、こうして接触してきた目的は?」
「名乗らせて頂いた通り、宰相として――ああ、普段使っている名前も言っておくべきですね。アルディス・トリムです」
軽く一礼する時も隙一つ見せない。
動作の全てから、眼前の男の老練さが滲み出ているようだ。
或いは……それも僕らを牽制するための一手か。
そんな僕の警戒など気にも留めない様子で、「万緑を言祝ぐもの」は言葉を続ける。
「あなた方が訪ねてきたガリアル殿は我が客人。もし強引に連れ去ろうと言うのであれば、お引き取り願わなければなりませんので」
「そういう事なら無用の心配です。彼の答えがなんであれ、今回は話を通しに来ただけ。元より連れ去る意図などありませんから」
「そうですか」
淡泊に頷くトリマヘスク……アルディスからは、相変わらず何を考えているのか読み取れない。こちらの考えをどれだけ見透かしているのかも。
ただ、こちらの素性を知っているという事は本音が別にある事、それぐらいは理解できる。
僕らが勝手な真似をしようものなら、自分が黙っていない。そういう警告であり、また実際に万が一が起きた場合への備えでもあるのだろう。
まぁ、この問答に関して後ろ暗い事は何一つない。
実際同じように道中数人の元サグリフ王朝の臣下に、政権奪還が成った暁には復職して国を支えてくれるよう話をつけてきた。
横車を押すような真似してどこに綻びが出るかも分からないし催眠だって使っていない。純粋にラミスの説得で頷かせてある。
というより、元より彼らはディアフィス側にとって不都合だったために居場所を追われた人たちだ。
何が不都合だったのか? それは、サグリフ王朝への忠誠心。もしくはディアフィス聖国への反発。
ましてラミスが旗頭として十分な資質を持っているのは明らかだ。最初から妙な小細工を弄する必要など存在していなかった、という方が正しい。
「……では、こちらからも質問を。なぜ僕らの素性に気付けたんです?」
アルディスとしては、少なくとも僕が読み取れた範囲内では表も裏も要求はシンプルなもの。
これ以上自発的に情報を出してくれる事はないだろうと踏んで、こちらから軽く探りを入れる。
その答えは拍子抜けするほどあっさりと返ってきた。
「ああ、それは単純にクリフから知らせを受けたためです」
「クリフ……クリフって、あの? 大陸の意思を名乗るクリフ?」
「ええ。彼はあれで案外抜けているところがありますから、貴方たちが移動している途中にでも気づいたのかもしれません」
抜けている、ね……。
正直クリフと僕は個人としてそこまで親しいわけじゃないし、アルディスの言葉の真偽も判別し難い。
嘘を吐く必要があるとは思えないけど……半信半疑で曖昧に頷いていると、アルディスは言葉を続ける。
「ですが、それで互いにとってはプラスだったと思いますよ。仮に何も知らない状態であなた方と出くわしているよりはね」
「……こちらとしては、愚痴の一つでも言いたいところですけどね。向かう先に魔王がいる事くらい、事前に知っておきたかったです」
まぁ、クリフの方も僕がどれだけ大陸の魔王事情を把握しているかなんて知らないだろうし。事前に知らせておくなんて選択肢が出てこなくても仕方ないと思わないではない。
そう分かっていても、気持ちまで完全に納得させられるわけではなくて。
……というか、クリフがチクらなかったらそもそもこんなエンカウントせずに用事を済ませられたんじゃないか?




