46.魔王領――32
「っ、ティス――」
「大丈夫!」
宙に散る鮮血。
シェリルたち眷属に広がった動揺を鎮めたのは、当のティスの声だった。
空中で炎翼を展開して踏みとどまったティスへ、僕は遠慮なく追撃を仕掛ける。
「凍絶蒼剣」……僕の知る限り最強の武器の名を冠した剣の一撃を、防ぐのではなく受け流すことで彼女は次のダメージを最小限に抑えた。
最初の一太刀が与えた傷は浅いものではなかったはずだが、傷口を炎が舐めるのに合わせ一直線に刻まれた紅の線は薄れて消える。
「まったく、服までは直せないっていうのにやってくれるわね」
「随分と余裕じゃないか」
「別に? ただ本気で戦うっていうならこれくらいは想定内だったってだけ、よっ!」
逸らしきれない刃に身を削がれながらも向かってくるティスの言葉は、誰に向けられたものだったのか。
一瞬だけよぎったそんな思考を投げ捨て、更に氷剣を振り――不意に地面が隆起した。
「それなら……余も加減はせん! オリク、合わせるのじゃ!」
「わ、分かった!」
「く――」
「今度はこっちが攻める番、ってね!」
……誘い込まれた。
一足先に地面の包囲を抜けるティス。後を追おうとするも、口調に反して渾身の魔力が籠った炎弾は斬り裂かれてなお僅かに僕を押しとどめた。
大地の檻が圧殺するような勢いで容赦なく収束してくる。
「効かないねぇ! ――永劫の冬よ世界を呑み込めっ。『凍鎖絶界』!!」
詠唱を隠すのも忘れ、いま一度に扱える限界の魔力を冷気に変えて放出する。
……時が凍り付いた。
意識を加速させたときの疑似的な感覚じゃない。そもそも意識は既に限界まで加速している。
そうではない。理屈そのものは「氷蒼の封柩」と同じ氷が、ここら一帯のすべてを凍結させただけだ。
意思一つで大地の檻が砕け散る。
開けた視界ではすべてが停止していた。
そんな中でも流石というべきか、みんな意識は即座に取り戻している。それで、拘束を解こうと各々の力を練っているのがティスとラミス。
……でも、間に合わない。
後は誰か適当な眷属のつけている結晶を砕くだけ。
少し、いや割と無茶したな。一歩間違えれば傷つけるつもりはなかった皆にまでやり過ぎるところだった。
「――っ?」
そう反省していた僕は、不意にぐらりとバランスを崩した。
一度に魔力を消耗し過ぎた反動か?
――違う。
反動で錆びついてたのは僕の思考の方だ。
身体から直接失われる魔力……レンたちのグループと交戦していた氷狼がやられたか!
凍てついた空間から急速に力が薄れていくのに気づいた時には、ティスとラミスによって零度の束縛は打ち砕かれていた。
それによって致命的な破綻をきたした空間に、他の眷属たちを拘束する余力など残されておらず。
対する僕のコンディションは、ここ最近で最悪と言ってよかった。剣も翼も、ついでに面もさっきの冷気に乗せて放った後だ。
「最初で最後のチャンスよ! ここで決めるわ!」
「皆の者、死力を尽くすのじゃ!」
「「「おぉぉぉおおおおお!!」」」
二人の号令と同時に、全員が一斉に牙を剥いた。
突っ込んできたティスの炎剣を避け、激しく変動する地面から必死に飛び退る。
一度距離を置こうと展開した氷翼はティスの炎弾とゴドウィンの鋼矢に打ち砕かれた。
戦場全体に意識を巡らせれば、一段と離れたところではルートヴィヒに支えられたドラクロワがこちらに照準を合わせている。
雷魔法……今喰らえば敗北は決定的。しかし、一発撃つだけであれほど消耗しているドラクロワに、二発目が撃てるのか?
トゥリナの放った水蛇を苦し紛れの「蒼槌」で退け、ネロの鎌鼬は首を逸らして紙一重で躱す。
飛べないなら――!
全力で地を蹴ろうとした脚ががくりと沈み込んだ。
狙われたタイミングが悪かった。
ラミスの重力による鈍化に加えて崩れた身体のバランス。追い打ちをかけるように、ドラクロワの放った雷矢が僕を貫く。
「ぅあっ……」
「これで――終わりっ!」
流れた電撃が僕の動きを完全に止める。
そんな僕に剣の峰をぶちかましたティスはそのまま倒れた僕に跨り首に炎剣を突き付けた。
「私たちの勝ち。それでいいかしら?」
「……うん。参った」
頷くことはできない。
でも、認めないわけにはいかなかった。
ティスに、眷属たちに敗れたという事実を。
ようやく決着です。




