37.魔王領――23
「――おい、『凍獄の主』」
「……なに?」
「座るものを用意しろ。仮初の身体とはいえ、立ち続けるのは億劫だ」
尊大な、それでいてどこか馴れ馴れしい口調で椅子を要求する大陸の意思。
傍にあった樹を切って切り株を用意すると、妙に人間臭い雪像は悠然と腰を下ろす。
……駄目だな。
小さく気合いを入れて、その何気ない動きにさえ呑まれかけていた自分を取り戻す。
そんな僕の様子など気にも留めず、雪像は語り始めた。
「最初にはっきりさせておこう。我が目的は愛し子たる人々の繁栄だ」
「……?」
「どうした、疑問があるなら解消させておけ」
む……。
些細な事なんだろうけど、少し引っかかった事がある。
重要ではないし流してもいいんだけど、相手は目敏く気づいてきた。
隠すほどの事でもないし言ってもいいかな。
「いや、大陸の意思なのに望みが人間の繁栄っていうのが……」
「親なら子を想うのは当然であろう」
「そうじゃなくて。他の動物とかはどうなんだろうなって」
「ふむ。そういう事か」
そう言うと、雪像は気負いなく頷いた。
それにしても愛し子とか人間の繁栄が望みとか、いきなり印象と違う言葉が飛び出してきたな……。
日本、というか地球じゃ地母神とかいうのがあったけど、こっちは地父神って奴なんだろうか。
どうにも違和感……まぁ違う世界なんだし、それくらいの差異はあって当然なのかもしれない。
僕がそんな事を考えていると、雪像は自然に言葉を発した。
「どこまでも不完全なヒトという種族が不完全なまま成長していくのは見ていて飽きん。贔屓するのもまた情というものだろう。……もっとも獣らとて我が子には違いない。不当に虐げられるようであれば、その時は獣としての我が手を差し伸べるさ」
「……不当っていうのは、何を基準に判断するのよ?」
「獣が従うのは獣の論理だ。だがそれはヒトの身たる今の我の知るところではないし、またお前たちに通じる道理でもあるまい」
クリフの言葉に更に疑問を重ねたのは、意外にもティスだった。
真理を告げるようにもはぐらかすようにも聞こえる返答に、難しい顔をしながら引き下がる。
「どこまで話したか……そう、我の意思までは伝えたな。そして、当面の目的は勇者と呼ばれる外来人の根絶だ」
「えっ」
「確かに話が飛躍したわね。まあ、もう少し話を聞きなさい」
「順を追って話すか……」
クリフが説明したところによると、まず人間が魔法を扱うこと自体が大陸に少しずつ負荷をかけているらしい。
傷口から血が流れるように、そうして蓄積された歪みが災害として吐き出されるのが魔王という存在。
魔王が振るう力は人間の魔法と似ているようで反するもの。魔王が暴れることで負荷は消化され、また魔王のもたらす破壊は偏った魔力を大地に還す意味が――。
「――って、ちょっと待って」
「なんだ?」
「僕は魔王になった身だけど、元はれっきとした人間だよ」
そう言って、僕が魔王になった事情……奴隷時代の主のコレクションの一つに喰われたときの事を話す。
それを聞いたクリフは特に迷う素振りも見せずに口を開く。
「今も言った通り、魔王に求められるのは破壊だ。溢れた歪みがそれ自体で己を制御できないほど大きいとき、適当な依代に宿ることで安定する。お前の場合はそのパターンだったのだろう。お前の言う宝はおそらく力を媒介する経路になっただけだ」
「適当な依代……」
「そうだ。事実お前は魔王にふさわしく振舞った。それが答えだ」
「…………」
それまで知りもしなかった事実、向けられるとも思わなかった言葉。
僕が複雑な感情を持て余す間も話は進む。
「いま問題となるのがこの歪み……そして勇者の存在だ」
そこでようやく勇者が話題に上った。
その語るところによると、外の世界から招かれた勇者はそれゆえに強大な力を行使できるが、与える負荷が相応以上に重いのだという。
そうして生じた巨大な歪みの依代として異世界から選ばれたのがティス……いや、魔王「天裂く紅刃」。
今なお勇者たちが暴れることで溜まる負荷に対して用意できる依代はもう存在しない。溢れれば魔王という枠にも収まらなかった災厄が人々を蹂躙することになる。
その負荷は現在、無理矢理に大陸が抱え込んでいる。しかしそれが限界を迎えればサグリフ大陸は死に、恵みが喪われた大陸をあらゆる災厄が跋扈する未来が待っている。
「――それが、勇者の根絶を目的とする理由だ。理解はできたか」
「……な、なんとか」
事情を理解するためだけに意識を最大まで加速するも、混乱のせいか思考は横滑りするばかり。
えっと、つまり魔王って存在が致命的な破局を防ぐための安全装置みたいなもので。
それで、勇者が魔法を使うとその破局がぐっと近づくから早急になんとかしないといけない、ってことか。
…………ん?
魔法の使い過ぎは、滅びをもたらす歪みの原因になる。
そう聞いて一人、思い出した子がいる。
正当な王族として莫大な魔力をその身に宿した少女――ラミス・パンディエラ。
脳内に現れた彼女が「のじゃ?」と無邪気に首を傾げる。
……ちょっと血の気が引くのを、自覚した。




