29.セントサグリア――2
――ボンッ!
唐突な爆音に、僕は読んでいた本から顔を上げた。またシェリルが何か……と、そこまで考えたところで今自分がディアフィスの王都に来ていたことを思い出す。
時間は早朝。王城の向こうの空が僅かに白み始めている。
一体なにがあったんだろう? ……敵襲?
すぐ見に行きたいところだけど、一応今の僕は病気で寝込んでる設定。雑な洗脳のカモフラージュって裏の意味を知ってる密偵に見られたら何かと拙い。
一応いつ襲われても対応できるように警戒だけは緩めないまま、様子を見ることにした。
特に何事もなく時間は過ぎていき、朝日が本格的に輝き始めた。
他の宿泊客たちの動きを窺いつつ適当なタイミングで部屋を出る。
大きな張り紙はすぐ目に入った。なんでも調理器具が故障して食事が準備できないらしい。今朝の爆発音はこれか。
うーん……贅沢といえば贅沢な話だけど、食事抜きは些か辛い。
ただ、今朝気にしてた密偵の目のこともある。今回みたいなケースそうそう無いだろうし、あまり不審に思われることもないだろうけど……。
それに場所も良いとは言えない。ディアフィス聖国の心臓部、王都ともなれば貴族だって大勢いるだろう。……できれば、必要以上には関わりたくない。
レンたちを助けたのに今王都にいる奴隷たちを助けないのは矛盾だ。
でも、僕一人の力じゃ助けられる数には限界がある。下手に動いたら余計な災いをばら撒く結果にしかならない。
なら助けられる相手だけでも助ければ良い……そんな心の声に対して、じゃあ何を理由に助ける相手を、見捨てる相手を決めるのかと別の声が即座に噛み付く。
そもそもどんな奴隷が何処でどういう状況にあるのか、何の手がかりもない状況だ。
……結局、何度繰り返してもこの葛藤が行き着く先は同じ。
そんな事考え始めたらサグリフ中にいる奴隷たちを背負うことになる。どこかで目を逸らし、耳を塞ぎ、折り合いをつけないといけない。
どうせ一時的な封印に過ぎないと分かっていながら、僕はまた思考を意識の底に押し込めた。
活気があるのは王都の美点と言えるだろう。
朝から通りで良い香りを漂わせていた屋台の一つで焼き立てのパンを買う。
「――うん、美味しい」
久しぶりのパンに思わず頬が緩んだ。
穀類は加工とか色々手間がかかるし、僕らは育ててない。普段から炭水化物の少ない生活をしてる身に小麦の香ばしさが染みる。
お土産にして帰るか……いや、でもパンは焼き立てだからこその美味しさってのがあるしな……。
外出は最低限に抑えたい。
まだ人の少ないうちに、昼の目星もつけておきたいところだったんだけど……良さそうなのは見つからなかった。
昼時の客を狙う店も屋台も、こんな時間から営業はしていないらしい。
二十四時間のコンビニみたいな店があれば弁当買って帰れたんだけどなー……。
無いものねだりをしていても仕方ない。
少しでも安全そうなルートを検討しながら、大人しく宿まで引き上げる。
部屋に籠り、王都に入る前に密偵から催眠で得た情報を整理することしばらく。
自分の腹の虫で我に返った。
時間を確認すると、お昼時を少し過ぎたくらい。
混雑からタイミングずらせたのは良いけど、食いっぱぐれるような事態になるのは困るな。少し速足に宿を出る。
……業者っぽい人が厨房に入っていくのが見えた。この分だと夕飯は宿で食べれるかな?
屋台を探し回るも、もう店を畳もうとしているところが多い。まだ営業しているところにしたって焼き鳥とかポテトとか、ちょっとした一品くらいの店が多くて紛らわしい。
いっそ諦めてレストラン街を目指すにしても……遠いんだよなぁ……。
彷徨う内に、ようやく肉巻きおにぎりを売っている屋台に辿りついた。お腹が空いてたこともあって、残っていた分を全部買うことにする。
「わっ――」
不意に誰かの身体がぶつかった。
注意を手の中の食料から引き剥がすのに要した一瞬。その一瞬で、パッケージの一つは無情にも零れ落ちていく。
即座に意識を最高速へ切り替える――より早く。すっと動いた人影が、落ちていくパッケージを捉えた。
「おっと、ごめんね?」
そう言ってはにかんだのは動きやすそうな軽装に身を包んだ少女。
その視線が僕の持つ積みあがったパッケージに吸い寄せられ、一泊おいて逸らされる。
ただ、腹の虫までは誤魔化せなかったらしい。
少女からくぅっという音が小さく響いた。
空腹の辛さは僕も身に沁みていたところだ。ちょうど多めに買ったところだし、一つお礼しようとしたんだけど……。
屋台から少し離れた広場の、噴水そばのベンチ。
なぜか僕はそこで少女と並んで、遅めの昼食を摂っていた。
食べる時にパッケージを置く場所がほしかったとこだし丁度良い。静かな空間で遠くから微かに喧噪が聞こえるのもリラックス効果があるように感じる。
特に会話もなく肉汁の染みたご飯の味を堪能していると――。
「――狂犬め!」
「ここはお前なんかが来る場所じゃないぞ!」
「犬小屋に帰れ!」
不意に騒ぐ子供の声がした。
狂犬? 居るなら危ないけど、そんな気配どこにも……。
そんな間抜けなことを考えながら声の方向に目を向けると、子供の一人が少女に向かって石を投げたところだった。
まあ所詮は子供の投石。普通にキャッチしようとした手が少女のものと重なった。
「「あっ」」
……パッケージの時もそうだけど、僕って素の状態だとトロいのかもしれない。
僅かに意識が逸れたところで反応が遅れキャッチに失敗。
剣でも魔法でも受け止められる手でも、痛いものは痛いし傷自体は普通につく。違いといえば痛みに耐えられる上限と傷の治る速度だろうか。
石は掌で跳ね返り、薄皮が破れてちょっとだけ血が滲んだ。格好悪い。
だけど、なんで急に石を投げられたんだ?
狂犬がどうとか…………――――っ。
……居る。このディアフィス聖国に所属する者で、狂犬と呼ばれる者が一人。
貴族には会いたくない? この王都で、もっと警戒すべき相手がいる可能性を考えなかったのか。
咄嗟に引き上げた意識の中、混乱しかけた思考を必死に落ち着かせる。幾つもの可能性を考慮し、取るべき対応を弾きだし、態勢を整えていく。
「――ごめんね、巻き込んじゃって。手は大丈夫?」
心底申し訳なさそうな顔をしながら、常人には為し得ない身のこなしで子供たちに迫り威圧した少女――拳の勇者ノエルが戻ってきた。




