156.隠れ屋敷――3
「ァ゛ァア゛ア゛――」
「……気持ち悪い」
見た目通りの鈍重な動きで迫る茶黒のシルエットたちに、嫌悪感を露わにしたリエナが触手を一閃。
それは相手の身体の半ばまでめり込んで止まりそうになったが、そのまま力任せに振り抜かれた。
汚泥のようなものがこびりついた触手は、リエナが自ら切り離すと自身の瘴毒に蝕まれて消滅する。
万物を侵蝕する瘴気の毒。
そんなものを纏った触手で身体を両断されて、無事なはずはないんだけど……。
「ア゛、ォ……ォ゛オア゛ア゛……ア」
「っ――『氷結』!」
歩みを緩める事なく近づいてきたソレが、腕を振り上げる。
よく見てみればその身体は確かに触手が通り過ぎたところからズレていて、おまけに断面は瘴毒に蝕まれて現在進行形で崩壊している。
それでもこうして動けるのは異常な生命力によるものか。
……こんなものを、生命と呼ぶ事が許されるのだろうか。
感傷を振り払い、振り下ろされる一撃を受け流すように氷剣を合わせる。
直接接触している方がより多く、効率よく魔力を通せるのは自明の理。
こと戦闘においては防御側も同じ事が言えるし、一概に有効とは言い切れないけど……この異形には魔法を扱うような技術は備わっていなかったらしい。
氷の刃が触れたところから一気に全身を凍結させ、そのまま微塵に打ち砕く。
「覚悟――!」
「甘いっ」
氷の破片の向こうから襲い掛かってきた剣の勇者は、横合いからノエルに迎撃されて再び後方へ下がる。
どういうわけか、暴走しているようにしか見えないこの異形たちは剣の勇者を攻撃する事は無いようだ。
異様な耐久に加え、さっき攻撃を受け止めた一瞬の感覚からすれば奴らの膂力も野生の熊を上回る程のものだ。
それを壁にして剣の勇者も仕掛けてくるとなれば、それは絶望的な布陣に違いないだろう。
実際、ここに居たのが僕一人なら恐らく二度目……いや、普通の日本人としての分も数えれば三度目の死を迎えていたところだ。
「リエナ!」
「……任せて」
魔力を集中させながら呼びかけると、それだけで意図を察したらしいリエナが一歩前に出る。
その彼女を更に追い抜き、ノエルが異形の群れに囲まれた剣の勇者へ突っ込んで行った。
異形の鈍重な攻撃など構う事さえなく、一気に剣の勇者と間合いを詰めたノエルはほぼ完全に彼女をその場へ縫いとめる。
そこを無数の触手を束ねたリエナが薙ぎ払う。
大振りな一撃は熾烈な打ち合いを続ける二人の勇者にこそ容易く躱されたものの、耳障りな呻き声を上げる異形たちを壁際まで纏めて押しやった。
――完璧だ。
「「「ァ゛ア゛ア゛……」」」
「醜悪なる者どもよ、蒼き眠りに沈むがいい! 『濤凍華』っ!」
十全に練った魔力を込め、放ったのは一輪の氷華。
異形の一体に突き立ったそれは魔力を解放し、瞬く間に成長して固まっていた相手全てを氷の棺へ閉じ込める。
仕上げにぐっと手を握り締めると、氷棺はそこに存在したものの痕跡すら残さず粉々に打ち砕いた。
「っ……!」
「もう諦めたら? 見たところこの部屋は行き止まり。このまま戦ったって、結果は明らかでしょ」
「く――」
ノエルの言葉にも耳を貸す事なく得物を振るう剣の勇者。
でも、表情を見れば本人も状況を理解しているのは明らかだった。
本来なら徒手空拳で剣を持った相手に挑むなんて無謀もいいところだ。
……だけど、ノエルには相手が動き出した後からその初動を潰すだけの力と速さがある。
僕や多くの魔王にとって最大の脅威だった魔力を断ち切る斬撃も、自前の身体能力を頼みにしているノエルには意味を成さない。
最強にさえ思えた彼女にとって、ノエルはまさに天敵だったというわけだ。
そこからダメージを蓄積させた剣の勇者を拘束するまでに、時間はそう掛からなかった。




