146.廃墟――2
「っ……!」
掻い潜った触手から滴る瘴気の雫を避けきれず、肉が焼ける音と共に肩口を貫くような痛みが襲い掛かってくる。
この状況では一瞬の硬直も許されない。
歯を食い縛ってやり過ごし、肉薄した「喜躍する黒死」を氷剣で斬り裂く。
「アハハッ!」
でも、効果は薄い。
コイツも瘴気を本質とする魔王だけど、僕の氷を器にしているリエナと違ってその実体は気体に近い。
だから僕の手札で有効打を与えるには魔力の方から攻めるしかない。
……しかし。
「マスター……っ!」
リエナの警告。
直後、まるでペスデトスを守ろうとするかのように触手が襲い掛かってきた。
瘴気を貫いてダメージを通すには、生半可な魔力じゃ足りない。
迫る触手をギリギリまで引きつけ、刻んだばかりの斬線に魔力を――。
「くっ……『氷壁』!」
間に合わなかった。
ここでダメージを受けて動きが鈍れば状況は更に絶望的になる。
不十分な威力のまま斬線を爆発させ、迫る触手を氷盾で防御。
間髪入れず無数の触手による追撃が続いた。
咄嗟に増やした氷盾でどうにか瘴気の雫だけは防いだものの、その衝撃はダイレクトに受ける事になる。
「ぐっ……『雪華煌刃』!」
「アハッ!」
苦し紛れに触手をリエナから切り離そうと氷刃を飛ばしてみるも、やはり決定打にするには魔力が足りない。
刃が通り抜けた触手はすぐにくっつき、嘲笑うペスデトスの起こした風が更に僕を吹き飛ばした。
身体の傷はともかく、断続的に魔力を奪われるのは拙い。
意識して冷気を纏い直し、瘴気を身体から遠ざける。
「ぅ、あ……っ」
「リエナ、あと少しだけ耐えて! 絶対助けるから!」
リエナが苦し気に呻く。
その下半身は瘴気に溶け、上半身も大量の触手の中に紛れつつある。
それでも、まだ触手が形を保っているうちはまだ何とかなるはずだ。
本当に拙いのは、それさえ瘴気に呑まれてしまった時。
もう何も知らずに見れば怪物と表現する他無い姿になったリエナを改めて見た時――僕の中で、何かが切り替わるのを感じた。
足りなかったのは覚悟。
この状態からリエナを取り戻すには、手段など最初から選んでいる場合じゃなかった。
腕を捥がれようが半身を奪われようが関係ない。
それが対価だというならくれてやる。
「――我が名、我が力の元に今一度扉を開く。来たれ、永劫にして絶対なる白き冬よ」
動きの鈍った僕に殺到する触手を、最低限の動きで躱しながら詠唱を続ける。
不意に瘴気を孕んだ風が吹き付けた。
崩れた体勢からでは、続く触手の猛攻を凌ぎ切る事は出来ない。
ただ魔力の集中を途切れさせないために僕が身構えた時――。
「――せやぁあああッ!」
その姿は閃光のように視界を裂いて現れた。
彼女は眼前に迫っていた触手の束を殴り飛ばし、続く触手の連撃も全て弾き返す。
言いたい事も聞きたい事も山ほどあった。
でも、今はこの魔法の完成を優先させる。
「遍く一切を捕らえ、留め、そして救え! 『凍鎖絶界』ッ!!」
決して良いとは言えないコンディションで放った魔法がもたらした冷気は、以前と比べれば格段に弱い。
けれど……周囲に満ちていた瘴気を押し返し、二人の魔王を氷に閉じ込めるには十分な威力だった。




