少年期 ―ヴァビロンの赤い罪日4―
「ぐはぁ」
レザラの斜め後ろにいた男が氷の槍に貫かれて絶命する。
魔人の中にマーヴの使い手がいるらしい。
後ろに乗るデヴィが悲鳴を上げる。レザラはデヴィの身を案じて後方に下がった。
風に煽られて火は民家にまで迫っていた。
火に照らされて赤く染まる村長は、大きく息を吸って剣を掲げた。
「皆聞け、まだまだ村に残っている村民も多い。何としてでも魔人を倒すぞ」
「おぉぉぉぉぅ」
野太い村の男達の声が、威勢よく響く。
村長の腕が隆起して、大人の背丈はあるだろう大剣を構えて走りだした。
悲鳴のような制止の声を張り上げたターラは、村長が止まらないと見て、魔人に向けて風のマーヴ《鎌風》を放った。
蝙蝠型の緑のシルエットが旋回して、魔人をすり抜けると、爆風が刃となって魔人の体を切り刻む。
二体の魔人がラピンから落馬する。
母親は続いて《砲光華弾》を放って二体の魔人を確実に燃やして滅した。
「ぬぉぉぉぉ」
鬼気迫るほどの雄叫びを上げて村長は疾走する。
先頭の魔人めがけて跳躍すると、大剣を魔人の頭に叩きつけた。
顔が真っ二つに割れた魔人は血飛沫を上げて絶命する。
他の魔人は強敵の村長を数匹で囲もうとするが、母親はそれを阻むようにマーヴを放つ。他の村人たちもそれに続いた。
―そのとき戦況は優勢にさえ見えた。
しかし、遅れて現れた魔人二体によって戦況は一変する。
標的を村長に定めた二体の魔人は、巧みにラピンを操作し、村長を挟み込むと、一体が村長に細見の剣を突き出し、後方へ避けたところをもう一体の魔人が横なぎに刀を振った。
村長が腕に刀傷を受けて態勢を崩したところを、魔人が心の臓を串刺しにする。
「がはぁ」
村長の体が痙攣して、崩れ落ちる。
年老いてはいるが、小さな盗賊団なら簡単に一人で殲滅できる村長が、こうも容易く倒された。
「村長!!!」
村の誰かが、悲鳴を上げた。レザラは一瞬のことで言葉もでない。
「じいちゃんっ!」
デヴィは祖父に駆け寄ろうとするが、それをレザラは咄嗟に腕を掴み、被さるようにして必至で引き留める。
しかし、悪夢はここからだった。
魔人の長い触手のような舌が村長の首に巻きつき体を宙吊りにすると、大きな口をあけて呑み込んだのだ。
はち切れんばかりに膨らんだ魔人は、まさに哄笑するという表現がぴったりの掠れた笑い声をあげて体を折りたたむと、のけぞって大きく口を開いた。
ごぼごぼ嫌な音を立てて魔人の喉が鳴ると、口から丸い赤ん坊ほどの肉塊のようなものが飛び出てきて、花畑に転がる。
そして、その肉塊から赤い触手が複数生え、足、腰、頭、腕と形づくっていき、もう一体の魔人が出現したのだ。
・・・・そして、その魔人の顔には白い美髯が生えていた・・・。
「ひっ」
デヴィが息を呑む。
誰もが瞠目する中、生まれた美髯の魔人は村長が使っていた大剣を掴むと、にやりと笑みを浮かべて、近くの村人をその大剣で下から掬い上げるようにして切り刻んだ。
その動きは、紛れもなく村長の剣技だった。
呆然と戦況を見ていたレザラは、横から魔人が迫っていたことに気付くのが遅れた。
間近に迫った魔人を前に、咄嗟にラピンから飛び降りて、魔葬銃を撃って応戦するが、指の震えで上手く当たらない。
息が苦しく眩暈までしてきた。
重い音がして横目で確認すると、騎乗で俯せになったまま、デヴィが意識を失っている。
震えで体が思い通りに動かない。村人の加勢も期待できない。幼いデヴィは意識を失っている。
焦燥の中、レザラはデヴィを乗せたラピンの足を咄嗟に蹴った。
興奮しているラピンは、意識を失っているデヴィを乗せて森へ走り去る。
―――追わせるわけにはいかない・・・・!
魔人に追撃させないために、その間、レザラは魔葬銃の全弾を魔人に向けて打ちまくった。
思ったとおり、弾は魔人に掠る程度で、殺傷力はなかったが、レザラに注意を向けることには成功した。
弾を使い果たしたレザラは、震える足で正面から魔人と相対し、太刀を構える。
さっきは不意を突いて倒したが、今度は勝てる自信がなく、息絶える自分の姿が脳裏に現れては消える。
跳ねるように駆ける魔人が間合いに入ろうとしたとき、魔人の体が風に舞う木の葉のように後方に吹き飛んだ。
駆けつけたターラは白い顔でレザラを招き寄せると、自分の乗っていたラピンを引く。
レザラは母親が言わんとしていることを先に察し、「いやだ」と叫んで何度も首を横に振った。
村は火に包まれ、民家にいた村人も様子を見に外に出てきたが、魔人がそれをみつけて襲いかかり、なす術もなく食い殺されていく。
「聞いてちょうだい、レザラ!」
「いやだ!・・・いやだ!・・・いやだ!俺も・・・俺も、ここに残って戦う!」
猶も首を横に振って抵抗するレザラの頬を、ターラは宥めるように撫でた。母親は決意を秘めて笑う。
「聞きなさい、レザラ。例えこのまま逃げても、魔人の勢力が増えた今、ふりきって逃げ切ることは難しい。足止めしないといけない・・・・そうでしょう?」
レザラは震える唇を噛んで俯いた。
「でも、それなら俺がっ・・・・・」
「今のレザラでは無理よ。そして、ここはもう手遅れ。レザラはいきなさい」
また一人、村人は魔人の手にかかり呑み込まれた。
すでに村の男たちはほとんど呑み込まれて、魔人の数が増えている。
さらに聞くにも悍ましい絶叫が耳を貫く。
その中で母親の静かな声は、レザラの耳から体を巡り、心に浸透して拒否するレザラを強引に呪縛する力があった。
・・・言の葉に、誘導のマーヴが含まれていたのだ。
気付いたときには既に遅かった。
気づけば全力疾走するラピンにレザラは乗せられていた。
・・・・いい、振り返ってはダメ。死を嫌い、生きることに執着しなさい
耳の奥で母親の声が木霊する。
戻りたいと願っていても指は関節がなくなったように動かず、まるでラピンを急かすように足は勝手にラピンの腹をけり続ける。
背後で爆音が轟き、熱風がレザラの背を焼く。
振り返りたくとも、振り返ることもできなかったが、母親が魔人を巻き込んで、防御不能の自爆マーヴを使ったことを悟った。




