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ロニエ事変9

「巫女殿は決断されたようだな」


《ケイズ》を避けるように木々が通りすぎていく。


地下より脱し、工業区に足を踏み入れた頃。


強力な聖樹法が解き放たれる波動がトーダの体を貫いた。



足元を木の根が通り過ぎ、続いて数えきれぬほどの太い枝が弾丸のような速さで成長を続ける。


枝からは芽が出て、そこから木が成長し、辺りは瞬く間に樹海と化していく。


樹齢数百年は経た木々が密生する鬱蒼とした森。


トーダは懐かしい生命の息吹を感じて根を摩る。横に座り込んでいるクーラに手を差し出してみたが、クーラは首を横に振る。


今、目にしている光景が信じられない。そんな顔だ。


「巫女のところへ行かぬのか?」


「・・・まさか、あの術を巫女が使うとは思いもしておりませんでした。どうして、私が会うことが許されるでしょう・・・・」


「巫女殿は聡いお子だ。決断されぬはずがない」


「私の知っている巫女は、自分で何事も決められぬ方でした。震えて目を逸らし、逃げる。今度もそうではないかと思っていた。だから、助けて差し上げねばと思ったものです・・・・」


「では、どうする?まさか、ずっと座ったままでいるつもりか?」


「・・・・郷へ戻らなければいけません」


トーダの眉尻が吊り上る。


「馬鹿な!お主は命じられたからといえ、この惨事を引き起こした張本人であろう。もし、オルレイア軍に露見したらただではすまんぞ」


「だから戻るのです。グラルが起こした惨事だということはオルレイアに気付かれていることでしょう。そして、主犯を罰する動きがあるはず。そこで、私が名乗らなければ、オルレイアは郷の者に危害を加えてでも私を探しだそうとするはずです」


トーダは法衣をたくし上げて腰かけると、クーラと目の高さを合わせてじっと見つめる。


「長老達が動けぬ今、お主を頼みとする者もおるのではないのか?」


顔を上げたクーラは、ゆっくり深緑のロニエを見渡して、ふっと瞳の色を変えた。


・・・・諦念と決心。


それを瞳が雄弁に語っている。


トーダもつられて緑一色に変わった景観を瞳に映していく。火災は樹木に押し潰され、摩鬼も姿を消し、優しい微風と木々だけがそこにある。




 トーダの瞳にはアルサス王と視察にきた際の、何もなかったロニエの大地が頭に浮かんだ。


あの頃見た大地は死の大地と呼ばれるほど摩瘴気に侵された大地だった。


しかし、アルサスとトーダは目を見かわして笑い合ったものだった。


あのときのアルサスの目にあったものは、不安と疲労、そして決心。


迷いは尽きなかった。だが、けして逃げたりせずに向き合った。


身を削るようにして選択した結果が、間違っているはずがないと信じられた。



 トーダの心は不思議と凪ぎ、クーラは揺れる心を振り切るようにして立ち上がった。


「巫女は五つの頃、摩瘴気濃度が高くなった街で、ロニエ同様、街を樹海化させたことがありました。そのときは、完全に木と同化して半年の間、人の姿に戻れなくなる惨事でした。それからです。明らかに己が巫女であるということに反感を持たれるようになったのは。自分で自分が怖くなるのは当然でしょう。でも、そんな巫女が、またあの術を使った。もしかしたら、人に戻れなくなるかもしれないのに・・・・。それを見て、私が逃げるわけにはいかない。あの術を使った今、ここの魔人も摩鬼もすべて大地へと帰っていったはずです。だから大丈夫、私がいなくても・・・・」


 クーラは木の根が動きを止めるのを認めて姿を消す。


グラルの作戦部隊に所属する女は、足音さえたてずに静かに消えてしまった。


 トーダが頭上を振り仰ぐと、青々とした緑の天蓋が風に揺れている。日の光は温かく、疲労もあって瞼が重い。


土や葉の香りが漂う。建物や工場全て木々に呑み込まれてしまった。


魔人の咆哮、銃撃の音や喧騒は一切聞こえず、風に揺れる梢の音だけが耳を打つ。


地下の瘴気管が根の隙間から覗いたが、摩瘴気の気配はなく、ロングラードホールから立ち昇っていた摩瘴気もない。


 ロニエ一帯は完全に樹海と化し、トーダは暫く腰かけたまま、亡き友を思い出し、今後のオルレイアに思いを馳せた。





 「いってぇ・・・・」


―――いったい何が起きた?あの木は?魔人は?


気合いで体を起こしたレザラは、視界一面に広がる景色に言葉を失う。


密集する木の隙間から煙突らしきものが覗き、根が銃器を巻き込んでいる。耳を刺激する戦争独特の騒音はまるでなく、気味が悪いほどの静寂が辺りを支配している。


レザラは唖然としながら、大樹の根に挟まった足を引き抜いて立ち上がる。


周りを見ると、魔人と戦っていた兵士達が、絡み合う木の根に紛れるように横たわっていた。


近くの兵士の息を確認してみる。気絶しているだけのようで、ほっと吐息を吐いた。


「あれは・・・・」


もう一人動かぬ兵士に警戒しながら駆け寄る。確か、木に街が呑み込まれる寸前に、魔人と化した兵士だ。その姿は人に戻っているが、完全に事切れている。


・・・・・摩鬼の姿もない。


 レザラはソスによって人に戻ったアルサス王を思い出す。


この状況がソスによって生まれたことを直感的に悟る。


そして、ディーブスの視線に必要以上に怯えていたソスの様子が脳裏に浮かんだ。


 痛む体を引きずって、砲撃があった辺りに移動すると、レイノルを抱えたディーブスがいた。


金髪は血と泥で汚れ、腹にざっくりとした刀傷があるが、何食わぬ顔で自分の副官を軽々担いで立っている。


「デヴィ、無事だったんだな。よかった・・・・」


無事だとわかるとやはり嬉しい。庇護すべき子供ではなくなったが、やはり幼馴染なのだろう。


そのディーブスは、ふてぶてしい顔でレザラに一瞥を送り、走り寄るレザラを二度見する。


「わあ、レザラ兄も無事・・・・とは言えないか。よくその怪我で平気な顔して走ってるよね。気持ち悪い。信じられない。馬鹿みたい」


「お前も似た様なものだろう。その怪我で、よく減らず口が言えるもんだ、さすがは王国軍の狂爪様とでも言ってほしいのか?」


「似合ってないって言ったの、レザラ兄でしょう。それより、足の骨が見えてるから早く何とかしてよ。本気で気持ち悪いから」


痛々しい風体の二人は、しばらく要らぬ言い合いを繰り返し、ディーブスが「もういい、降参。厭きた」と、先に両手を上げる。


「ところで・・・・レザラ兄、これ何だと思う?」


ディーブスは神妙な顔で、足元を顎でしゃくる。レザラは足元を覗き、息を呑む。


「この色、この光は・・・・・・まさか。デヴィ、こういうことはもっと早く言え」


文句を言いながら、レザラは夕霧で何重にも重なった足元の木の根を切って、かき分ける。


奥の方で緑光がうっすら点滅している。


消え入りそうな弱い光に、とっさに腕を伸ばすが、なかなかに深い。


しかし、あの色はソスの瞳の色だ。


そう直感したレザラはソスの名前を呼びながら、掘り進んでいった。





眩い光が体に触れる。温かくて、気持ちいい。だけど、覚えのある声がして、ゆっくり眠りにつく気分にはならない。


 ―――誰かが・・・私を呼んでる・・・・?


体を動かそうとして、身動きできず、力も入らない。


―――そうだ、私、また木になっちゃったんだ。呼ばれたって、手を伸ばすこともできないのに・・・・・・・。


あまりに必至に名を呼ぶので、しだいに悲しくなってくる。


仕方がないので、目を開けてみると、ぼんやりとした光が見えて、人の顔らしきものが近づいてきた。輪郭が鮮明になってくると、見覚えのある顔に心がざわざわする。


―――あぁ、誰だったかしら。思い出せない・・・・知っているように思ったのに。・・・あぁ、でも、思い出せないってことは、私が知ってるってことよね・・・・?


―――・・・・・・・


―――・・・そう、そうあれは・・・・レザラ・・・さん・・・?



―――良かった・・・無事だった。でも、こんな私の姿なんて見てほしくなかったな・・・・ただでも目を破壊する人外の化け物が、今度は木になったんじゃ、さすがのレザラさんも私を蔑むか、怖がるよね・・・・・


―――嫌だな。そんなの耐えられない。やっと・・・・やっと、私を受け入れてくれる人が現れた。そう・・・思っていたのに・・・・・





 「おいっ、ソス。しっかりしろ」


根の奥まで何とか潜りこんだレザラは、何かの影が見えて無我夢中で引っ張り上げる。


絡まっているのか、枝や蔓が千切れて底に落ちていく。


「ソス?」


繭のように蔓や枝に包まれている。


払いのけていくと、光が弾けて人型を形成していく。


目、鼻、口・・・・・と輪郭が出来て、ソスの顔を形づくった。


 ソスの木漏れ日のような双眸から、輝くような蒼い涙が滑り落ちた。


緑色の肌が、涙を辿って元の白い肌へと戻っていく。緑の繊維のようだった指が五本に分かれる。ソスはレザラの視線から逃げるように、さっと手で顔を隠した。


「私を見ないで!嫌わないで!」


泣きじゃくりながら暴れ出したソスを問答無用で抑え込み、レザラは木の根に腰かける。


足はまだ枝のままなので、ソスは立ち上がろうとしても敵わず、声を上げて泣きじゃくる。


レザラはそんなソスの頭をくしゃくしゃ撫でてやりながら、深い深い溜息を吐いた。


「・・・・・ソス。俺はどこの出身だった?」


微かに頭痛がするのを無視して、レザラはソスの双眸を見下ろす。返答がないのでレザラはさらに言葉を続ける。


「ヴァビロンの罪日が起こって祖国を彷徨っていた間、俺は少し前まで普通に会話して、笑いあった人々が魔人になって自分を襲ってくる悲惨な経験を繰り返した。お前も知ってのとおり、魔人は筋肉が膨張して凶悪で醜悪な顔だろう。見るだけでも、そりゃあ、もう気分が下がる。それに見慣れた俺が、お前が人の形をしていないからって嫌うわけがないさ。見慣れちまったら、襲ってこなければ何でもよく見えるもんなんだよ」


冗談でも言うように、レザラは笑みを浮かべる。


「・・・・私、魔人ほどひどい見た目なのでしょうか」


ソスはこれ以上ないほど真剣な顔で問う。その問いに、思わずレザラが噴き出した。


「魔人よりかなりマシだと思うぞ。可愛くはないけどな」


ソスはその返答にむくれながら、変わらず接してくれるレザラに、また涙が出て来た。


「それにしても、随分派手にやったもんだ。魔人、摩鬼の気配がないだけじゃない。摩瘴気も消えちまってる」


愛らしい小鳥の鳴き声まで聞こえてきた。戦の影も、街影もない。首を巡らしても木や草ばかり。

人類が切望している自然が目の前に広がっている。


「グラルの巫女だけが使える秘術―――《ボセドプランセ》という術を使ったんです。ご覧のとおり、巫女の目を苗床にして、魔人や摩鬼を含む、強い摩瘴気を吸収する木を召喚する術です。魔人や摩鬼は死に絶えますが、何もかも木が呑み込み、召喚した私も木と同化します」


「ディーブスが言っていたのは、これだったんだな」


レザラ達を傍観していたディーブスが、辺りの鼠やら犬やらの摩鬼の屍骸を確認しながら意地悪く笑う。


「どうやら巫女は一瞬で魔人の大群を殺す術を持っているらしいって、噂を聞いたことがあってね。『樹滅苦の姫』・・・・か。まさか術の名だったとはね。噂も馬鹿にできない」


「噂・・・?力のことを知らなかったのですか・・・・」


への字口のソスに、ディーブスは悪気のない表情で首肯する。


「もしやと思って問い詰めてみたら、想像以上の反応が返ってきたから確信したんだ。あれは噂じゃないんだってね」


くっくっと笑ったディーブスは言うだけ言って、さっさと行ってしまう。


ちらほら兵士も起き出している。救護班のところにでもレイノルを運びに行ったのだろう。


それを見送ったレザラは、すまなさそうに肩を竦める。


「困った奴だな。思ったよりは真面に軍人してるみたいだし、そこそこ兵士にも慕われているみたいだが、あのひねくれた性格は何とかできんものかな。昔はもっと素直で可愛かったんだけどなあ」


「准将は可愛くはないですけど、羨ましいほどに素直な人だと思いますよ」


「素直というか利己的って言った方がしっくりくるけどな。お願いだから、あれを見習わないでくれよ・・・・そうなったら落ち込むわ、俺」


「ふふ、見習いたくても、あそこまでいくと、そうできるものではありませんよ」


ソスはにっこり笑顔を向ける。憑きものがとれた晴れやかな笑顔だ。


起き出した兵士達は、最初はあっけにとられて動かない者もいたが、次第に生存者を探して救出をはじめる者が増えていった。その姿を慈しむように、ソスは視線を注ぐ。


「・・・私は、自分のために皆を見殺しにしていたかもしれません。いえ・・・・もっと早く力を使っていれば、死なずにすんだ人も多かった・・・・」


目覚め始めたオルレイア兵が、仲間を助けだして一か所に運んでいる。その中には、運ばれて布をかけられている兵士もいた。


「まぁ、確かにそうなんだろうな。確実に犠牲者数は減っただろう」


レザラの言葉にソスは堪えるようにして俯いた。


「だけど、誰だって木になりたいはずがないだろう。それでもお前は逃げずに選んだ。そして、この大陸を救った。お前はそれを誇れ」


優しい声に悲しい響きが混じって、ソスは困惑しながらレザラを見上げる。


「俺は祖国にバインドバーストが起こったとき、何もできなかった。両親も、村の皆も、デヴィも救えず、一人祖国から逃げ出した。だが、お前は違う。・・・・まだ、祖国から、巫女の役目から逃げたいと思っているのか?」


目が合うと、レザラは赤い目を細めた。ソスは、そっと深呼吸して口を開く。


「私は、郷を離れても、グラルの巫女だったようです。私がいくら逃げたところで、この世は私をそっとしておいてくれないし、犠牲者も増える。はじめから逃げ場がないのなら、私は自分を受け入れて、この世と己の役目に立ち向かうしかないと、そう思います」


 吹っ切れた様子で、ソスが立ち上がる。


レザラは屹然と立った少女を見て、妙に愉快になって笑い出していた。


 謎の男に誘われて、少女を奪還。


捻くれた幼馴染と王殺しの罪科がある少年魔導師との出会い。


二転三転の末にこの何物にも代えられぬ景観と少女の成長を拝むことができた。


ソスと同じような歳に、只管剣の腕を磨いた自分を思い出して苦笑する。


傭兵としての自分ではなく、あの頃はただ旅に憧れる少年だった。


思えば、遠いところまできたものだ。そして、まだしつこく生き残っている。


―――さあ、これからどうするかな。


 不機嫌そうに部下に指示を出すディーブスがいる。走ってきた泣き笑いのゴアゾルに後ろから抱きつかれてうんざりといった様子だ。


王国軍の兵士達も、それを見て大笑いしながら忙しく働いているようだった。


生き別れた幼馴染は、性格は難ありだが、オルレイアになくてはならない人間になりつつある。


 レザラは胸に仕舞いこんでいた、ずっと助けられなかった『可哀想な幼馴染』への罪悪感から解放されたような気がした。


あのとき、一緒にヴァビロンから脱出できなかったが、二人とも奇跡のような生還を果たした。


そして異国で無事に再会を果たし、二度目のバインドバーストに遭遇した・・・・。


 運命は、絶望的な災厄を運んでくるときもあるが、偶に驚くような粋な出会いを齎す。


それは凶暴で繊細な幼馴染であったり、悩める異界の巫女であったり、若い年寄り魔導師であったり、潮風が嫌いな植物人間であったり・・・・・。



―――進むべき道はもう決めた。今までのように、摩瘴気の問題にただ頭を痛めるだけの自分はもう終わりだ。ソスが逃げないと言うなら、自分もこの世界と向き合ってみるのも一興だ。




 後に【ロニエ事変】と呼ばれた一連の出来事は、死者二万人にも及ぶ被害の末、終結した。


 同日、ファンブル領主ブルーノ卿率いるオルレイアの貴族連合軍は首都ハバルに攻め込みブレスバッッフェル城を陥落。


これによって、クラビス宰相の軍事政権は倒れ、政変は速やかに行われた。


 そして、巨大工業都市でバインドバーストが発生し、突如樹海へと変貌した原因は謎のままとされ、一人の少女の存在は風聞の中に紛れて消えたのだった。


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