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ロニエ事変8

 「こんなものかねぇ・・・・・」


タポラは開閉桿を握っていた手を離して突っ伏した。

全開にしていた閘門扉(こうもんぴ)を元に戻して一息つく。


水位が下がっていくのを認めてほっとため息がもれた。

動けない怪我人も多いというのに、街を水没させては助かる者も助からない。


「まったく、こんなに走らされるなら、こんな仕事受けなかったよ」


「緑化人の誇りはどこにやったんですかね。・・・・でも、これで魔鬼に効くのなら頑張った甲斐、ありましたね」


「効いてくれないと、困るんだよ。人類の平和のためにね」


始めにタポラとカレルは、港公園近くにあるパデリエ大河を跨ぐように建造された大堰の管理施設に向かった。


しかし、テル・カナシュとも隣接する大河とあって、水量を増やすような操作はここでは簡単にできないようにマーヴで封じられていた。


そこで、街を通る水路に散在する調節箇所、閘門扉を開閉させたら水位がさらに上がるはずだという考えに至り、バインドバースト発生地点近くの開閉装置に急いだのだ。


「みんな、無事だといいんですけどねぇ」


意識のない少年は目を覚まし、港公園近くで待っている。


大河沿いは摩鬼もなるべく近寄りたくないのか、まだ姿がみられない。


助けた少年が心配になったカレルは、動こうとしないタポラを起き上がらせて背を叩く。


「・・・皆の無事ねぇ。それはあの方にかかっているだろうよ」


「はあ!!?打開策があるんですか?」


「お前は勉強不足だね。あっそういえば、私が無理やりひよっ子のまま任務にあたらせたんだっけ」


「そうですよ!」


カレルの悲痛の叫びを聞きつつ、こんな時でもタポラはひぃひぃ笑い声を上げる。


「仕事なんてものは、突き詰めてみると、『何がしたいか』ではなく、『何ができるか』なのさ。お前は確かに能力的にみると問題ありだが、素質がないわけじゃない」


「はっ、はあ・・・・ありがとうございます」


タポラの突然の賛美に気味が悪いとでも言いたげに、カレルは顔を引きつらせる。


「ソス様も巫女としてのやる気は感じられないが、素質は言うまでもなくピカ一だ。やりたくないものをどこまで我慢して仕事に従事するのか。それが今を打開する鍵だ」


「なんか嫌ですねぇ。自己犠牲ってやつですよね、それ。どうせなら、楽しくやれたら良いのに」


「それができない世の中なんだから仕方ないよ。お前はさっき、なぜソス様を行かせたか聞いたね。危なかろうが、それが一番いい結果を生むからだ。何度も言うが、私だってしたくてやってるわけじゃない。必要だから選択するんだ。逃げられないんだよ。誰もかれも。それを理解しないといけない」


摩鬼の気配がして、タポラは動く。

摩鬼を蹴りで粉砕し、態勢を整える。何かの虫の摩鬼のようで、羽と甲羅ごとひしゃげて地面に落ちた。


・・・・どうやらもうひと踏ん張り必要らしいねぇ。


タポラは内心溜息をついて頭上を見上げる。


屋根の上から、身軽な魔人が降ってきた。


悲鳴を上げるカレルを無視し、タポラは目を細めて魔人に向かって言い放つ。


「仕方ないねぇ。ここでお前を殺すのが私の仕事らしい」










 ロニエ南口では入れ替わり立ち代わり、忙しく兵士が入り乱れている。


即席のバリケード越しに続く銃弾戦を横目に、ディーブスらは本陣の奥へ奥へとずんずん進んでいく。


目的の人物は部下に介抱されながら、次々に指示を飛ばしていた。


「准将、戻ったか」


ディーブスを認めてゴアゾルの鬼のような形相が緩む。


血を浴びて悪鬼のような姿だが、疲労の色は目の下にも顕著に表れている。


「大将がひどい有様だね」


「はっはっはっ、准将は息災で何よりだ。見た目は派手にやられているが、これらはほとんど返り血だから、そう心配なさるな。・・・・・ところで、後ろの御仁とお嬢ちゃんは、准将の知り合いかな?」


打って変わって鋭い視線が、レザラとソスの頭の先から足先まで移動する。


「こっちは幼馴染で、こっちの小さい子はグラルの巫女」


「ほお・・・とすると、ヴァビロンの生き残りと、神の末裔ということか」


探るような目をしたのもつかの間、すぐにゴアゾルは愛嬌のある目元を綻ばせる。


「これはまた、頼もしそうなお二人を連れてきてくれたものだ」


居心地悪そうにソスが身じろぎ、レザラは一歩前に進み出る。


「それより、戦況はどうなってる?」


「うむ。一進一退を繰り返しておる。こちらが優勢になったかと思えば、凶暴な魔人に一気に戦況がひっくり返されて魔人の数が増える。その繰り返しだ。だが、そろそろ弾薬の数も底が見えてきている。逃げた第三、第五師団の将の中には顔見知りが何人かいたから、幾つかの中隊と共闘を取り付けることができたが、それでもなかなか厳しい状況と言わざる負えない」


「こちらは疲弊していくが、魔人は街の住人をさらに取り込んで数を増やせるだろうし、知恵もついてくる。徒党を組んで襲ってくる魔人も現れるだろう」


「未だに夢じゃないかと思うのだ・・・・・。一大決心の末、クラビス打倒を掲げて決起したはずが、何がどうしたのか魔人と摩鬼の掃討戦へと変わり、標的だったクラビスは何者かにすでに殺されておった」


驚いたディーブスが瞬きする。


「へぇ、閣下死んだんだ。あっけないものだねえ」


「第三師団から得た情報では、書記官が遺体を確認したと言っていたそうだ。ロニエの駐屯地もロングラードホールから湧き出た摩鬼で混乱したらしく、その隙に捕縛した書記官達はいち早くどこぞかに逃げてしまったらしいがな。この際クラビスのことも内乱も後回しだ。とりあえず、ここを何とかせねばならん」


飛び込んできた伝令が被害状況を説明し、ゴアゾルは眉間の皺をより深くする。


「なにか、なにか打開策はないものか・・・・」


ゴアゾルの呟きに、皆一様に押し黙る。特にソスは蒼白になりながら、唇を噛みしめて口を噤む。


「将軍、大変です!駐屯地に五百以上の徒党を組んだ魔人が武器庫を襲い、軍が敗走したと報告が入りました。その場にいた兵士は壊滅的な打撃を受け、大多数の者が魔人化したとのこと。その中にユラ―師団長の姿もあったということです」


「なっ、なんだと!」


顔色を変えるゴアゾルらの下に、さらに伝令が駆け込んでくる。


「中央通りに展開していた第七部隊が、強力なマーヴを使う魔人達に攻撃を受けているとのことです。このままでは突破されてこちらに雪崩込んできます」


「ついに目覚めたか・・・・。魔人の真の脅威は人間だった頃の能力を発揮し始めてからだ。その内巨大な軍隊を作りだし、人間を取り込んで支配していく」


レザラが厳しい顔つきで爪を噛み、ディーブスは見るも恐ろしい形相でソスを睨んでいる。


ゴアゾルは、横に立てかけてあった大剣を握って立ち上がった。


「儂も出る。西通りに配置した第四部隊も加勢するように伝えよ」


「はっ」


伝令が立ち去ると同時にゴアゾルも駆けていく。


・・・と、同時に凄まじい轟音が響き、体が宙に浮く間隔と、激しい痛みをソスは背中に感じた。


顔に生暖かい感触を覚え、指で擦ると、赤い血が付着した。


目を開けると全身傷だらけのレザラが覆いかぶさっており、滴る血がソスの頬を濡らしていた。


膨らんだ土煙が視界を塞ぎ、ぼんやり石畳に大穴が空いているのが確認できる。


離れた場所から、ディーブスが副官を呼ぶ声が聞こえる。


横目でレイノルが爆撃地近くで倒れている姿を認めた。


意識はあるようだが、重体であるのは間違いない。上司を庇っての負傷だった。


恐々レザラに顔を向けたソスは、レザラが薄目を開けていることに気が付いた。


「レザラさん・・・・私を庇って・・・・?」


「っ・・・直撃は避けたから、大丈夫だ。心配するな」


夕霧を杖にして立ち上がったレザラは見るからに傷が深く、立つのも辛そうだ。


ソスが体を支えようとすると払いのけ、爛々とした目を魔人の群れに向けた。


「っの野郎ーーーーーー!」


ソスが止めるのも聞かず、レザラは砲撃があった方向に向かって突進する。


 凄まじい速さで駆け抜けたレザラは激しい砲撃を避けて、武器を構える魔人達の中へ突っ込んでいく。


二体を一瞬で切り伏せ、三体四体と剣舞でも見せるように斬撃を繰り出していく。


「こんな、所で、死んでたまるかよ!まだ俺は戦う!まだ俺は世界を見る!俺は、まだ・・・・生きる!!!」


まさに鬼神のような強さで一気に魔人の前衛部隊の陣形を崩していく。


立ち竦むソスは、放心状態でその鬼気迫る姿を眺めていた。オルレイア軍もレザラに負けじと突撃していく。


「私は、私は・・・・」


譫言のように呟くソスの背後に、ディーブスがいつの間にか立っていた。


「まだ、決断できないの?」


びくっと振り返ると、ディーブスの憂い顔が間近に迫っていた。言うだけいうと、興味もなくなったようについっと顔を背け、軍勢の中に飛び込んでいく。


乱闘を繰り広げていたレザラもついに多数の魔人に囲まれて、脇腹を剣で抉られ口から血を吐く。


それらの様子が奇妙なほどゆっくりとソスの瞳に映った。


・・・・あぁ、もうだめ。


 足が震えて立てなくなったソスは、地面に座り込む。


 目の前では傷だらけのレザラや兵士達が、決死の覚悟で戦っている。




―――私はどこに行っても・・・・・・・・結局グラルの巫女なんだ


少し前まで、あんなに毛嫌いしていた役目だが、今は、少しだけ受け入れられる気がした。


 大粒の涙が頬をつたう。


ごしごし涙を拭ったソスは意を決したように立ち上がり、思いを振り切るように樹布をむしり取った。


「どうか、水の神よ。この世に一筋の希望を。我々に慈悲を、お与えください!」


悲鳴のような声で叫ぶと、ソスは目をかっと見開いた。目の前に光が溢れる。


―――お願い、せめて皆を救って・・・・


 目尻のあたりから血管が浮き出て皺が走る。


燦然と輝くその双眸から樹の枝らしきものが伸びて膨れ上がった。


重みに耐えかねたソスは大地に体が沈む。


水路から溢れ出た水で体が浸かり、ソスも沈んでいくが、抵抗する力が出ない。


その間、ソスの目から伸びた枝は、木となり森となり、凄まじい速さでロニエの街を呑み込んでいった。


砲弾や剣戟などとは違う、異質の何かが地を這う音がする。地面は揺れ、立つのも困難になって膝をつく者も増えている。


歯を食いしばりながら、魔人の剣を受け止めていたレザラは、背後から押し寄せてきた木々に目を疑う。


「なんだってんだ。次から次から!このくそったれ!俺達人間に、死ねって言いたいのか!」


周辺の兵士や魔人も全て、木々に呑み込まれていく。


レザラも最後の力を振り絞って突き進んでくる枝の大群を避けたり切り飛ばすが、生き物のように伸びる木の枝に、遂に後頭部を強打されて意識を失った。


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