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ロニエ事変7

 運命とは皮肉なことに、目を逸らして逃げてきたものがあっても、再び相対する機会を運んでくるものだ。

会わないように幾ら努力しても、結局のところそれはやってきて、逃げるか向き合うかの選択を迫る。


ディーブスにとって、それにあたるのが魔人であり、悲しいことに再度その機会は訪れた。


 ヴァビロンで魔人と遭遇したときは、全て逃げることでやり過ごした。


それまで築き上げてきた戦士の心得は崩壊し、逃げることに何の躊躇も生まれなかった。


一方、今回は立場上、魔人と向き合わずに済むわけがない。


ヴァビロン脱出後は、最初は色々と苦労はしたものの、軍人になってからは自由きままにやってきた。


人によってはやりたい放題というのかもしれない。


しかし、部隊を預かっている今、さすがにここから逃げ出すことは許されない。


今逃げ出せば、もしオルレイアが魔人の脅威から免れたとき、築き上げてきた居場所や地位を失う。


良い生活や仕事をしているとは思わないが、それでも今から他の知らない国々を放浪する気にもなれない。


幼い頃に憧れた幼馴染であるレザラが聞いたら、さぞかし軽蔑するだろう。


そして、それに自分は苛立つ。


レザラは表だって言ってくることはないだろうが、心の中ではディーブスを憐れみ嫌悪する。


それが契機となって過去を振り返れば、あまりの所業に気が狂いかねない行いを幾度もしてきた。


レアズピークの虐殺は南方の大家バラクス領主と領民を蹂躙することで、クラビスに貴族との癒着を悟られないための布石として行った。


クラビスへの裏切りを計画する上で、それは必要なことだったが、何よりバラクスもクラビス同様摩瘴気を道具として扱う人種だったのがいけなかった。


だが、自分の行ってきたことの責任をとることも、過去を思い出して自虐に囚われることも嫌だった。


当たり前だ。どうして今まで辛い経験をした自分が、これ以上苦しまなければいけない・・・?


ディーブスの心の中にあるのは今だに消えない大きな闇だった。飽和状態の闇が溢れださないように、どんどん自分を誤魔化し歪めていっている。


―――人生とはなんて苦しいものだろう・・・・・逃げれば逃げるほどに堕ちていき、立ち向かえば立ち向かうほどに楽になるとも限らず、見たくない現実と向き合わされる。


まるで天罰のようだとも思う。ディーブスは数刻前のことを想起して溜息をつく。



―――レイノル、魔人が出たってどういうこと!?なんで?


―――わかりません。遠目にバインドバーストらしき、摩瘴気の噴出を見たと騒ぐ兵士もおりますが、仔細不明・・・・ただ魔人の数が増殖しているのは確かです。

・・・・主に兵士の中から出現しているとのこと。何か手を打たねば、大変なことになります


―――・・・軍だけではない。ここで食い止めなきゃ大陸全土が滅ぶ


―――准将・・・・いかがなさいますか?


―――・・・・いかがも何も、この国で生きたいなら、逃げ道なんかないじゃない。戦うしかない


 ロニエに到着後、第三、第五師団と南口で交戦していたが、突然敵方の軍勢から悲鳴が起こり、鼠や虫などの摩鬼。魔人が現れて戦況は急変した。


魔人を始めて目にする兵士達は動揺し、陣形を崩され、次々魔人に食われていったのだ。


 それを見たディーブスは魔人の増殖能力や生命力、水が弱点であること、一体につき複数であたるように指示を飛ばし、迅速に、街の出入り口である南口を兵で堅めさせた。


それらを手早く済ませると、ゴアゾルに指揮を頼んで精鋭を率いて偵察に出かけた。


魔人が知恵を持つ前に行動に移さねばならない。


正直行きたくはなかったが、自ら動かねばならないほど適任者が見当たらなかった。


赤双界の住人にしてみれば、未だに魔人は空想上の怪物のような認識で、その戦闘能力の高さと仲間が食われる恐怖で、とてもではないが士官も含めて使い物にならない。


「どういうわけか、市街区の西側だけ摩瘴気の被害がでているみたいだね。被害拡大しそうだし・・・・・なんか、もう疲れたな」


「准将、一旦ここは引いて、ゴアゾル将軍と合流しませんか?」


普段どんなときでも疲れを見せない副官のレイノルが、糸目を充血させて息を乱している。


建物のどこに潜んでいるとも知れない魔人とやり合うには、確かに精鋭部隊の人数だけでは分が悪い。


何より魔人だけではなく、鼠や虫の摩鬼がやっかいだ。


動きが俊敏であり、魔人と対している間に足元を狙われて魔人に食われる兵士まで出てきている。


「うっうがあああああああああ」


猫の摩鬼に背後から腰を引き裂かれた兵士が絶叫した。


続いて迫っていた小柄の魔人に、隙を見せた近くの兵士が殴り飛ばされる。


魔人は子供の顔ながら、腕を丸太のように膨らまし、大柄な大人を赤子のように壁に叩きつける。


しかし救助に向かえる余裕のある兵はいない。


ふらつきながら立ち上がる兵士に向かって、ディーブスは迷うことなく魔葬銃の引き金を引いた。


「――――っ」


兵士達が息を呑む。


それを無視してディーブスは小柄な魔人と距離をつめる。


マーヴを込めた鉤爪で魔人の目を潰し、続いて胴を切り刻んで《炎舞(ブレンゼ)》で焼き殺した。


少しでも遅れれば、精鋭の兵士は魔人に食べられていた。


「魔人との戦いでは、死んで終わりじゃない。取り込まれて魔人化すれば、魔人の戦力が増し、こちらが不利にもなる。食われそうな仲間がいたら迷うな」


冷たく言い放ったディーブスの言葉に、兵士は痛みに耐えるように敬礼を返す。


「一旦ここは引く。前衛は威嚇射撃に徹して魔人、摩鬼との距離をとれ、後衛は前衛との距離を保ちつつ後退」


ディーブスが指示を出すと、周囲に散らばっていた兵が集結し、後退を始める。


「遠くで見えていた摩瘴気の噴出が途絶えたようですね。碧双界から得た情報ではバインドバーストは半日以上は続くそうです。でも、ロニエのバインドバーストは長く見積もっても二刻ほどだと、生き残った住民が話しておりました。・・・・・やはり、奴らの仕業なのでしょうか」


隣のレイノルが、口が裂けた犬の摩鬼を細剣で突く。


一方、ディーブスは走る鼠の摩鬼を的確に頭を狙いながら、吐き捨てるように言う。


「このロニエでバインドバーストが起こるなんて、こそこそ嗅ぎまわっていた奴らの仕業としか考えられないじゃない。神の末裔とやらは、傲慢なところだけ神に似たのかな。奴らの郷を占拠したって連絡があったから安堵していたけど、喜ぶべきじゃなかった。いや、それより、もっと早く行動を急がせるべきだった。まったく、何か仕掛けてくるだろうと思ってはいたけど、想像以上にやってくれたね・・・・」


生源郷モルを占拠することは容易かった。


相手は警戒しておらず、郷には戦闘能力の持たない女子供も多かったからだ。


数の上でも第一師団が上回り、鬼穴を集団で通れるほど数多くの魔導師を同行させてもいた。


問題は大量の兵士をクラビスの目を欺いて碧双界へ派遣することと、慣れぬ碧双界におりた後、秘密裏に生源郷モルまで軍を進軍させることで、その下準備に時間がかかってしまった。


クラビスに神の末裔の郷を占拠することは、絶対知られるわけにはいかない。


摩瘴気を利用しようとする人間だ。どうせグラルも碌な使い方をしないことだろう。

 

―――碧双界に派遣していた諜報員から、進軍ルートの調査が完了したと報告が上がっていたが、軍をどう動かすか決めかねていた、そんな頃。


クラビスから巫女の護送と、ドーヴァ領主の動向を探り、脅しをかけるようにディーブスに命令が下った。


この機を逃すわけにはいかず、ドーヴァに派遣した第一師団の一部を碧双界に密かに派遣し、協定を結んだドーヴァ領主から私軍兵を借りて、減った人員を偽装することに成功した。


ドーヴァ領主も今一つ信用できないディーブスの監視、首都近くに兵を配置できるという利点から、兵を同行させることを了承。


ドーヴァからハバルへ地上を移動すると、通過地点の各貴族領地で兵が入れ替わったことを気づかれる恐れもあったが、軍艦で海路を行ったのでその危険もなかった。


後はクラビスの諜報員を抱き込んでしまえば、兵を碧双界に遠征させたことをクラビスらに知られず、すべてディーブスの計画通りに事を進めることができたのだ。


「異界に軍を遠征させることは簡単なことではありません。准将はどうお考えかわかりませんが、これ以上のことは難しかったはずです。それに、このバインドバーストが止まった理由は、我々がモルを占拠したことを奴らが知ったからだと考えられませんか」


「レイノルに慰められる日が来るなんてね。僕はここで死ぬのかな」


けらけら笑いながら、この状況で縁起でもないことを言う上司に、レイノルは本気で呆れた顔をつくる。


「冗談に聞こえない戯言を言うのはどうかと―――っ」


レイノルが言葉を切る。近くの摩鬼と対峙している際に、背後から襲ってきた小さな鳥の摩鬼が肩を貫いていた。


「くっ・・・」


レイノルは咄嗟にはたき落して、剣で一突きする。肩に人差し指ほどの空洞が空き、苦悶の声が漏れる。


「・・・・ふぅん、死ぬのは、レイノルなのかな」


ちらとそれを見たディーブスは、無常な呟きと同時に、一層激しく摩鬼や魔人を葬っていく。


三〇人いた精鋭も三分の二に減っていた。おまけにその内数人は魔人と化しているので、やっかいな敵が増えている。


敵の追随が激しく、集団では移動する距離も稼げない。


ディーブスも内心焦ってはいた。


「准将―――――」


レイノルの珍しく焦った叫び声を聞き、ディーブスは振り仰ぐ。


上空からランバルドの摩鬼がディーブスに向けて急降下していた。


鋭く伸びた爪に鋼のような嘴。風を切る飛行速度はその他の鳥とは比較にならない。


まともにランバルドにぶつかったディーブスは民家の壁に叩きつけられる。


「ぐっ」


 急いで態勢を立て直そうとするが、右足に激痛が走って体が傾いた。


ランバルドの異様なほど発達した舌が、ディーブスに伸ばされる。


 ディーブスは触手を鉤爪で引き裂くが、怒り狂ったランバルドは巨大な爪で体を押さえつけて体重をかけてくる。


 レイノルが魔葬銃でランバルドを狙うが、分厚い羽毛に阻まれて届かない。


ランバルドはディーブスを呑み込もうと大きく口をあけた。


「じゅっ准将―――――」


顔色を変えて駆け出していたレイノルは、突風に煽られて踏みとどまる。


ランバルドの太い首が吹き飛んで、激しく地面に叩きつけられていた。


続いて、胴を十字に切られて絶命する。


レイノルがディーブスを確認すると、ランバルドの血飛沫を浴びて、器官に入った血に咽ているところだった。


「もうちょっと、穏便に助けてくれても良いんじゃない・・・・レザラ兄」


ディーブスが文句を言う先には、ラピンから飛び降りて駆け寄るレザラの姿があった。


「言っておくが、あれが一番穏便だぞ」


ディーブスに手を差し伸べるが、払いのけられる。


危なげなく立ち上がったディーブスは、足の怪我の具合を確かめ吐息をついた。


「夕霧を使っているところを始めてみたけど、やっぱりその太刀って普通じゃないんだね。こんな綺麗な摩鬼の断面図は見たことないよ」


一撃で綺麗に切られているランバルドの首を見下ろし、口端を釣り上げる。


瞳孔が縮み、巨大化した嘴から触手のような舌が覗く。胴も綺麗に分断され、ランバルドは気味の悪い姿で絶命していた。


「何を言ってるんだ。一番はじめに夕霧を使ったのは、お前を魔人から助けるときだろう」


「あれ、そうだったかな」


「まさか、覚えていないのか?」


「さあね」


レザラの言葉を軽く無視して、レザラの背後に隠れているソスに意味ありげな視線を向ける。


ソスは慌ててレザラの影に隠れた。


「そういえば、巫女も一緒なんだね」


「デヴィ」


はぐらかす様子のディーブスを非難するレザラとディーブスの間に、レイノルが割り込む。


「こんなときに悠長に会話しないで頂きたい。准将、怪我の具合は?」


「見てのとおり、大したことないよ。お前も心配性だね・・・・っと」


ディーブスは路地裏から現れた魔人に切りかかり、体を貫いて燃やす。


「レザラ兄が来てくれたってことは、助勢してくれるって思っていいの?」


その問いにレザラは地を這う犬と鼠の摩鬼を魔葬銃で撃ち殺しながら吐息をつく。


「何を言うかと思えば、この状況で否と言うと思うのか。お前は相変わらず微妙に細かいな」


「そうは言うけど、殺すつもりだったんでしょ?僕のこと」


「『まだわからん』って言っただろう」


「同じような意味じゃない」


「全然、違う」


「実際のところ、レザラ兄が僕を助けに来てくれたのって、南口を死守できているか確認するついでなんでしょう?」


皮肉気な声音を受け、レザラは咄嗟に返答に詰まる。


「その反応、少しは僕の心配をしてくれていたと思って良いのかな」


「当たり前だろう」


―――当たり前だ。


あの日、デヴィを助けるためとはいえ、考えもなしに一人逃がしたことを後悔していた。


母のマーヴが消えた頃、漸く体の自由を得てからデヴィを探したが、見つからなかった。


母も救えず、幼い幼馴染を守ることもできず、己の無力さを知った。一回の判断ミスで人生が大きく変わること、やり直しがきかないことが恐ろしかった。


あれこれ悩む暇は魔窟化したヴァビロンではなかったが、最後に故国を離れるために船に乗り込んだとき、安堵ではなく罪の意識に涙を流した。


 自分は、一人生き残った。


何もできなかった。もう会えないという悲しさと寂しさ。


 もし、村が襲われたあの瞬間に戻れたら、自分はどうするのかと、何回も頭の中で思い描いた。何回も何回も・・・・。


思い出して反省してもどうにもならない過去を回想する。


「助けないと、デヴィは思っているのか?俺が助けないって・・・・」


掠れ声で、レザラは聞き取れるか聞き取れないかの声で問いかける。ディーブスは困惑した顔で首を横に振ると「さあ、どうだろう」と呟く。


(うろ)の双眸を揺らし、口端に笑みをのせる。



落ち着いて話す暇はなかった。


魔人や摩鬼の数は増えている。


レザラとディーブスは久しぶりに再会したとは思えぬ息の合った連携で、周囲の摩鬼を屠っていく。


一方が攻撃に徹すれば、一方が他の敵を払いのけ、防戦に徹する。


威力の強い夕霧を持つレザラと、俊敏でマーヴが唱えられるディーブスは、入れ替わり立ち代わり襲ってくる敵を見分けて攻防を切り替える。


その様子は演舞のようだと、ソスは思った。


―――足をひっぱるわけにはいかない


 ソスもマーヴを唱える魔人から《ケイズ》で兵士を守り、人がいない場所にいる摩鬼に向かって魔連射砲転銃(まれんしゃほうてんじゅう)を連射する。


自分達の腰にも満たない小さな少女が、体より大きい武器を扱う姿に、さすがの精鋭部隊も度肝を抜かれたようだった。


疲れ果てていた部隊に少女の姿は士気を上げる効果があった。


自然と歓声が上がる。


視線を感じて振り向いたソスは、血の凍るようなディーブスの目とかち合った。


「ところで、巫女がなぜこんなところに?役目を果たすつもりなの?」


ソスはびくっと肩を震わせる。


「デヴィ、ソスが何だって言うんだ?」


「ああ、レザラ兄は知らないんだ。グラルの巫女の力。碧双界の住民は巫女のことを【緑芒眼の(アウゲリシュ プランセ)】とも読ぶらしいけど、悪意がある呼び名では【樹滅苦の(ボセドプランセ)】とも言うらしいよ」


顔色を変えていくソスを眺めながら、ディーブスは歪んだ笑みを浮かべる。


「わかっていると思うけど、ロニエで魔人を一掃するのは骨が折れる。何せ魔人も馬鹿じゃない。建物の中に隠れる卑怯な奴らも現れるだろう。それを全て探し出して殺さなければ、本当の意味で魔人の脅威から解放されたとはいわない。だけど、巫女がいると話がかわってくる。どこまで本当のことかは知らないけど、もっと簡単にこの場を終息させることができるらしい」


「あれは魔人だけではなく、人にも危険が及ぶかもしれないんですよ!」


「でも、誰も生き残らないかもしれない今の状況よりは良いんじゃないの」


追い詰められたソスは動揺を露わにする。目を逸らしても、ディーブスの肉食獣のような視線が追ってくる。





――そうだ。この状況を作ったのはグラルだ。


私が何とかしないといけない。


それはわかっている。


だけど、だからといって、自分が犠牲になる運命を受け入れたくない。


想像するだけで恐ろしい。死ぬこともできず、ただガディナと一体になるだけの存在になんてなりたくない!



「さっきから、二人とも何の話をしている」


今度はレザラの視線がソスを追い詰める。


「それでいいの?できることがあるのに、何もしないの?」


「デヴィ、何か知らないが、いいかげんにしろ」


「・・・・・・・・・」


ソスは己の役目が重くのしかかる感覚に、意識が遠のきそうになった。


平和な時間が増え、最近は窮屈で面倒だから、巫女の役目なんてやりたくないと考えることも増えていた。


自由がなくて、不幸だとも思っていた。


しかし、それだって思い返せば、長老達が自分の行動を決めてくれたおかげで、責任を感じることがなかったからだ。


・・・・決めたのは、長老達だ。私ではない。そう考えることができた。


しかし、長老達から離れて自分の意志で行動している今、聖樹法をどう扱うかは自分で決めなければならない。


誰のせいにもできない。


【責任】という言葉の意味をはじめて知った気がした。


人を助けたい。人を傷つけたくない。何より、自分が非難されるのが怖い。


・・・・それに、強力な聖樹法を扱えるのは私しかいない。


・・・そう、あの術を使えるのは・・・・・


「この状況でデヴィが何をソスにやらせたいのか知らんが、己の行動は己で決めるものだ。やり直すことができないからこそ、な」


「この状況でも、レザラ兄はそう言うんだね。いっそ清々しい」


「最悪な状況だからだ」


迷いのない赤目にあてられて、ディーブスが嘆息する。


―――と、南側にいた者たちがざわつく。


「准将、前方に摩鬼の大群です、あれは何でしょう――蟻の、蟻の大群です!!」


ディーブスが兵士を押しのけて前方に出ると、黒い小さな塊が蠢いていた。


通りを封鎖するように犇めくその群れに、兵士が数人がかりで《砲光華弾(バンボルラ)》や《炎舞(ブレンゼ)》を放つが、隙間を塗って何百匹もの蟻が波のように押し寄せてくる。


「《ケイズ》」


間一髪でソスが兵士達を囲むように聖樹法で壁を作るが、あっという間に周囲を囲まれ、蟻だけではなく、周囲の魔人や他の摩鬼も防護壁を壊そうと攻撃を加えてくる。


「まずいな。魔人達もこちらに気付いて集まってきている」


「まさか蟻に殺されるなんて冗談でも笑えないよ。バインドバーストの範囲がどれくらいかはわからないけど、蟻の巣だけでなくて他の虫の巣も噴出地点にあったらと思うと、気分が悪い。見るだけで嫌だ、帰りたいな、もう」


「准将の嗜好なんてどうでもよろしい。とにかく、この場をのりきる方法を考えてください」


レイノルはいつものディーブスに安堵しつつ、同時に溜息が漏れた。


激しい摩鬼達の攻撃に、ソスの体がふらつく。


いつソスの集中が途切れるともわからない状態で、前にも後ろにも進めない。


「レザラさん、私の目の封印を外してください。視力に頼らない虫はどれほど威力があるかわかりませんが、巫女の目なら、およそ相手の動きを止めることができるはず。その間に撤退しましょう」


「でも、それをやったら俺達の目はどうなる?」


「目を閉じれば、問題ありません。特にレザラさんなら、直接私の目を見なければ影響はでません。一瞬で良いのです。その後はすぐに樹布(じゅふ)を下ろしてくだされば、問題ありません」


本来、意思とイメージだけで発動する術が、両手を上げて集中しなければ持続させられないところまでソスは疲弊している。急がなければいけない。唇にぎゅっと力を入れた。


「わかった。デヴィ、頼む」


ディーブスが皆に目を閉じるよう指示を出す。レザラがソスの樹布に手をかける。


 ソスは深緑の光彩を開き、周囲を見渡す。


 視線をやった先から摩鬼が絶叫する。黄色の三白眼が転がり落ちる魔人、粘着質の液体を撒き散らしながら目が破裂していく摩鬼・・・・・。魔人辺りは人間臭い動作で目を押さえて、転がりまわっている。


 呆然と背筋を寒くしながらその光景を見渡していたレザラは、慌てて樹布を下ろす。


「目を開けても良いぞ」


兵士は戸惑いながら瞼を上げ、辺りの凄絶な光景に声を失う。


一人ディーブスだけが、ソスを見やって「気味が悪い」と呟いたが、それが聞こえたのはソスだけだった。


レザラは早速道を塞ぐ蟻に向かって、夕霧を一閃した。


拳くらいに肥大した蟻が凄まじい剣圧に吹き飛ばされて一筋の道ができる。


 ディーブスが号令を出すと、開いたスペースに飛び込んで駆けだした。


それに皆が続いて疾駆する。


ラピンは摩鬼にやられてしまった。


負傷する者、疲労の濃い者もいるが、皆が一心腐乱に南を目指して走るしか助かる道はない。


「蟻だけは、追ってくるみたいですね」


足は遅くなっているが、レザラ達の場所を特定できるらしく後尾をついてくる。


「摩鬼化して視力は上がっているかもしれないが、本来蟻は視力があまりよくない。フェロモンをつけて、それを追ってきている可能性がある」


「『説明をありがとう』というべきなのかな。要するに、後ろの蟻がずっと追いかけてくるってことでしょう。最悪じゃない」


気分が悪そうにディーブスは胸を押さえる。


本陣が近いことを知らせるように、砲弾を打ち合う音が鮮明になる。


その間、何回か摩鬼に遭遇したが、速攻で追い払うことができたので、蟻に追いつかれることはなかった。だが、背後から追尾してくる蟻の気配は消えない。


「准将、このまま蟻を本陣につれていくと、被害が拡大します」


「わかってるよ。とはいってもねぇ、水路に飛び込んでフェロモンを消しても、囲まれて元の木阿弥だろうし。雨でもふってくれると良いんだけど」


レイノルとディーブスがそんな会話をしている頃。急激にロニエを走る水路の水嵩が上がっていた。


いち早くそれに気づいたのはレザラだ。


「来たっ!」


すっかり日が昇った空は雨の降る兆しはない。


しかし、街路に水が少しずつ満ちてきていた。レザラに抱えられていたソスは、頭上でふっと笑みを浮かべるレザラの気配に気づく。


建物の隙間から見えた水路は、凄まじい勢いで水が溢れ出していた。


蟻の大群は水から逃げるように、隊列を乱して逃げ惑い始めたようだ。


「・・・・タポラさんがやろうとしていたことって、水路の水を街に流すことだったんですね?」


「そうだ、小さい摩鬼はこれで十分封じられるからな」


あっという間に水嵩が増して、踝が水で隠れるほど水位が上がっている。


レザラな言うように、虫や犬猫の摩鬼を含め、上空を飛行するタイプの摩鬼以外は、水に触れただけで動きを止め、魔人も明らかに動きが鈍くなっている。


「よし、今のうちに南の本陣に急げ!」


レイノルが号令を上げると、なりふり構わず皆が走り出した。


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