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ロニエ事変4

隣国との戦争に勝利したオルレイア王国軍は、内紛の勃発により、休むことなく新たな戦いの火蓋を切ろうとしていた。


港の防衛は一部隊を残して撤収を開始し、南の防衛に回る動きをみせていた。




一方、レザラ達も工業区の火の回りが激しくなり、今潜んでいる場所を離れ、そろそろ市街区へ移動しようと検討を始めていた。


「夜明けはまだでしょうか・・・・・」


瓦礫の中から聞こえていた数多くの呻き声が途絶えていた。


夜は明ける気配もなく、工場から漏れた薬品が燃えたのか、目を刺激する異臭が漂っている。


 ソスは必至で逃げていたときよりも、落ち着いて物を見られるようになった今の方が苦しかった。


・・・・怖い・・・この状況は、私のせいだというの・・・・力を使わない私の・・・


オルレイアの陣営から、夜のしじまを突き抜ける具足の音が響く。


パデリエ大河に視線をやると、破壊された軍艦と兵士の遺骸が複数流されていた。


煤だらけになりながら、血走った目をした人々が通り過ぎ、帰る家も家族も失った人々は、虚ろに大河を眺めて座り込む。


黒々とした群衆の姿からは、怨嗟と悲鳴が聞こえるようだった。


港に人垣ができている。


泳ぎついた敵兵を見つけた住人が、よってたかって櫂で殴って川へ突き飛ばしたのだ。


誰かの名を叫びながら、兵士は闇色の川に溺れて消えた。



これが、数刻前まで騒がしいほど祭りで賑わっていた街なのだろうか。


皆が陽気に歌い、親しい者と笑い合う姿は強烈にソスを魅了するものだった。


今は、目を瞑りたくなるほど残酷な現実に、ただ震える。


横を見上げると、昼間に見たときと変わらない表情で、レザラが辺りの様子を見渡している。


・・・・彼にとって、これが普通なのだ。


自分はやっぱり世間知らずなのだと現実を突きつけられる。



カレルが疲労の濃い細面を南に向けた。


神経質そうに音がする方に顔を向ける。


「南から、砲弾を打ち合う音がしていますが、またテル・カナシュが襲ってきたのでしょうか」


高台の一隊が、火器やら火薬やらを碧筒につめて、ラピンに乗って駆けていく。


何も知らないレザラ達はその様子に憂心を抱き、特にソスは鬼胎を隠すことができずに敏感に視線を彷徨わせて警戒する。


「第一、第四師団がクラビスを裏切って、ロニエに攻めてきたそうだよ」


そこへ、小路からタポラが腕を回しながら現れた。


後ろを見ると、眠るように意識を失っているオルレイア兵の姿がある。


近くにいたオルレイア兵から情報を聞き出した後気絶させたようだ。


 レザラはタポラの言葉を心の中で反芻し、憂い顔で呟いた。


「デヴィのやらなければいけないこととは、クラビスを打つことだったということか。そして、ロニエに潜伏していた理由は、独自でクラビスの動向を探るためだった・・・・」


「感慨深いことだね。気狂いしてもヴァビロンの生き残りだったということか」


こんなときでもタポラの嫌味は健在で、言った後に一人だけ笑みを浮かべている。


心配そうにレザラを見やるソスに「気にするな」と、レザラは苦笑してみせた。



「でも結局、戦はまだ続くってことですよね」と、ディーブスに興味のないカレル。


「あっ」


そこで、突然カレルが声を上げて道端に駆けていった。


その先には、意識のない小さな男の子が体を丸めて倒れている。


道すがら、カレルは何度も同じように倒れた人を見つけては、声をかけて歩いていたが、息をしていない者、動かせないほどの重症者ばかりで一人も助けることができなかった。


しかし、一見気弱そうなこの青年は、助けられそうな人を見過ごせないのか、飽きずに声を掛け続けている。


次も・・・と、レザラ達も半ば諦めていたが、カレルは笑顔で振り返ると「生きてる!」と叫び声を上げた。


レザラは駆け寄り、少年が息をしていることを確認すると、ほっと安堵で顔を綻ばせた。


「煙を吸いすぎて意識を失ったみたいだな。息もあるし、しばらくしたら目を覚ますだろう」


それを聞いてカレルは「うぉぉぉん」と、情けない声で泣き出した。


よっぽど嬉しかったらしく、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。


「市街地へ移動した後、どこかでこの子を休ませてあげましょう。ねっ、ねっ」


カレルの提案に皆が一様に頷く。


戦を目にして、臆病で内気だったカレルは変わり始めていた。


後ろでレザラとタポラが、悪戯小僧のような笑みを交わす。




気が付けば、もう夜明けに近い時刻となっている。


時間はかかったが、何とか工業区から市街区へ辿り着こうとしていた。


力尽きて道端で座り込む人々も目についたが、生存者は工業区より断然多い。


市街区はランバルドの攻撃で潰れた建物と、火災が幾つかある程度で、街の傷跡は浅い。


ほぼ一晩中歩いていたので、体力のないソスは足元が覚束ない。


そろそろ、カレルの提案どおり休憩にしようとした矢先、レザラが急に足を止めた。


「どうかしたのかい?」


レザラの挙動不審に、後ろのタポラが見かねて問いかける。


「夕霧がいつになく落ち着きがない」


よく見ると、夕霧がレザラの腿の辺りをコツコツと強打している。

歩いて揺れたわけでもなく、風もないのに揺れている。


太刀に魂が宿っていることを何となく察していたタポラでさえ、暴れる夕霧に怪訝な顔になる。


―――赤い魔人が跋扈していたヴァビロン以来の落ち着きのなさ・・・・・。


杞憂に終わるはずがないならば、凶事の兆候で間違いない。


これはまさか・・・・


 考えに耽るレザラは、鳥の甲高い鳴き声を聞いて、はっと闇に目を凝らした。


東の空からうっすら光が伸び、上空に動く影を見つける。


 赤い流星のように鳥が急降下する姿が目に飛び込んでくる。


下には赤子を抱えた若い母親が、水路の欄干に凭れて子をあやしていた。


 鼓動が体を突き破る感覚に身を任せてレザラは走り出す。


夕霧を鞘から引き抜くと、いつにないほど殺気立った刀身が紅に染まっている。


柄が熱を持ち、指先から夕霧の興奮した鼓動が伝わってくる。


 レザラは地を蹴ると、鳥に向かって一閃した。


爆発的な剣圧に、真っ二つになって飛散した鳥が、親子の前に重い音をたてて落ちる。


若い母親がその姿を認めて絶叫した。


「もう、いったい何だっていうんだい?」


耳を押さえて駆けつけてきたタポラは、レザラが切り落とした鳥を認めて、途端に眉間に皺を寄せる。


レザラは抜き身のまま、瞬きを忘れたように鳥の遺骸を見下ろしていた。


 ・・・・触手のような舌、飛び出た目玉、赤く膨張した醜い姿・・・・。


 鳥の亡骸は、まるで両親を亡くした某日の再現そのもののように、レザラの前に横たわっている。


「こりゃあ、いったい。鳥の摩鬼・・・・初めて見た・・・」と、タポラがしゃがれた声で誰にともなく呟く。


――普段警戒心の強いマヤ鳥は摩瘴気を察知すると上空へ逃げる。

しかし、そのマヤ鳥が摩鬼化したとなると、上空まで立ち昇るほどの摩瘴気が一瞬で膨れ上がったとしか考えられない・・・


レザラの耳には懐かしい父の声が蘇る。


心臓がすでに爆発しそうなほど暴れている。


「蝙蝠の摩鬼は嫌と言うほど先日みたけど、鳥も摩鬼になるんだねぇ」


「・・・・・いや―――、違う」


「ん?」と聞き返したタポラは、レザラの青白い顔色を見ると、それを察して顔色を変えた。


「―――まさかっ」


―――先ほど都のアンバルから知らせがあってね。高濃度の摩瘴気が地下から地上へ噴出する・・・・


「鳥の摩鬼化は、バインドバースト・・・正式名は摩瘴気爆発と呼ばれる惨事が起こるときだけだ」


気が付けば、亡父の言葉をなぞるように言葉を紡いでいた。


マヤ鳥に限らず、鳥は摩瘴気を察知すると大空に逃げる。


住処である洞窟に摩瘴気が発生すれば逃げ場がない蝙蝠と違い、鳥は無限に広がる空へすぐに羽ばたいて魔瘴気から逃げることができるのだ。


その鳥が、摩鬼化するということは、突発的に大量に摩瘴気が噴出するバインドバーストに巻き込まれたことを意味する。


当時、父親は確かにそう教えてくれたのだ。


「・・・・確か、なんだろうね?」


聞きたくないというように、タポラは耳を塞いだが、レザラが首肯するのを熟視して、力なく手を下ろす。


「早く何とかしなければ、この広大な大陸は魔窟となり、膨大な魔人を輩出することになる」


レザラの容赦ない未来を告げる言葉に、後ろのカレルが尻餅をつき、ソスが胸に手を当てた。


――バインドバースト・・・・その言葉は、全員が最悪の事態を想像するには十分すぎるほどのものだった。


一様に顔を白くして、口を噤む。


「どうする?」とタポラはレザラに視線をむける。


「魔人が一匹でもロニエから出る前に殲滅できれば、未来はある。だが、一匹でも逃せば、広大な大地は魔人に埋め尽くされる」


「勝機はあると思うかい?」


「ヴァビロンの魔人が海を越えてこないのは、水が苦手だからだ。なるべく奴らは海辺に近づかないし、水気に触れると動きが鈍くなる。そして、幸いロニエにはパデリエ大河がある」


レザラには珍しく歯切れが悪い。


幾ら食い止めようとも、魔人に故国を侵食されていった。

人も狂っていった。

今度は助けられるか・・・。


少年期の体験を思い返せば、小さすぎる希望のようにも思えた。


 しかし、頭の切り替えの早いタポラは、すぐに内容を咀嚼して、次の行動を決めたようだ。


「悪いけど、魔人との戦闘経験のない私は魔人の弱点をつく側へ回るよ。お兄さんは察するに、南に行く気だろう?」


レザラの思考を完璧なまでに読み取ったタポラに、レザラは口端を釣り上げて笑む。


決意を固めたらしく赤目が輝いた。有事の際は悩んだところで、何もならないものだ。


「ご名答。塁壁に囲まれたロニエの出入り口は南だけ。そこを何としてでも死守しなければならない。それに、何の因果かクラビス討伐のためにロニエに戻ってくるデヴィもその辺りに来るはずだ。もしかしたら、頑張ってくれるかもしれない。今度こそ、俺は助けになりたい」


「一人で行くつもりですか?」


「ソスとカレルはタポラについていけ」


腰の碧筒一つをソスに押し付ける。


以前にソスが暴走させた魔連射砲転銃(まれんしゃほうてんじゅう)が入っている。


魔葬銃のような軽い銃を渡したいが、摩弾を装填する必要もなく、弾を連続発射する機関銃の方が使い勝手は良いはずだ。


困惑気味のソスは行かせまいとレザラの袖を掴んだが、その手をレザラは爪が食い込むほど強く掴む。


「バインドバーストはその辺の戦と比べようがないほど危険だ。絶対来るな」


「摩瘴気が今も吹き出し続けているかもしれない中、一人で行くつもりですか」


「そうだ、俺一人だ。お前は連れていけない」


「いけません」


頑固な視線を感じたレザラは、「ああ」と呻いて頭をがしがし掻いた。


なぜ、ソスが自分に固執するのか理解できない。


考える時間もないというのに・・・・!


「絶対、来るな。何度も言わせるな」


「攻撃はできませんが、摩瘴気から身を守る術については私が一番頼りになりますよ。魔人にならないように私があなたを守るんです。それは私にしかできないはず」


「とにかく危ないことには変わりない。グラルの巫女に何かあったら、グラルに俺が殺される」


「いや・・・ソス様と動向した方が良いかもしれないよ」


レザラとソスの押し問答が続く中、タポラが二人の注意を引いて、「あっち」と指差した。


「ほら、あれ。近くでバインドバーストが起きてる。あれの中を通るには生身では無理だ」


見ると、南の民家の屋根が吹き飛び、摩瘴気が天に伸びた。


周囲のものを吸い寄せ巻き上げる様はまさに竜巻と類似している。


しかし、巻き込まれれば、間違いなく魔人になるだろうところは、竜巻に比べるべくもなく厄介だ。


遠くで人のものとは思えぬ、獰猛な鳴き声が響いた。それは次第に大きくなっている。


「遂に魔人が現れたか・・・・・」


「もう時間がないようだね。それじゃあ、私とカレルは行くよ。なるべく早くするように頑張るから」


そう言うと、タポラは腰を抜かしている母子を担ぎ、カレルの腕を引いて北に向かって走り去った。


レザラが声を掛ける暇もなく、必然的にレザラはソスと同行することが決定した。




「言ってることは納得できるんですけど、違和感があるんですよねえ」


タポラに腕を引かれて走ること少し。


カレルは露骨に不審がりながら、横を走るタポラを見やる。


「どういうことか、聞かせてもらえるかね」


「おかしいと思ったんですよ。ソス様を無事大樹公のところへ連れて行くことが御役目なのに、こんな状況で激戦区間違いなしのレザラさんと同行させるなんて、らしくないです」


「ああ、そうかい。私がお兄さんを心配したとは思わないんだね」


「有り得ませんね。そんなことがあれば、今日は槍と爆弾が降りましたから、そうですね・・・明日は剣が降りますよ」


「言うようになったもんだ。余計なこと考えないで、とっとと行くよ」


小柄ながらに軽々親子を担ぎ、タポラは走る速度を上げる。


「待ってくださいよーーー」と叫ぶカレルの声を聞いた気がしたが、当然待たない。


目指すものは、大河沿いにある。


今後急速に増えるだろう魔人を弱体化させるために、急がねばならない。


バインドバーストなんてものが起こってしまった以上、躊躇は命取りだ。


―――ソス様もそれをわかって下されば良いけどね・・・・


 民家を突き破って摩瘴気が吹き上がった。


赤煙の中からまた一つ凶暴な咆哮が上がる。


タポラは祈るような心地で、北の目的地に向かった。


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