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ロニエ事変3

声が途切れてしばらく後、トーダが息を切らせて辿りつくと、クラビスの無残な遺骸が目に飛び込んできた。


腰から上が見事に何もない。

クーラを背に乗せた摩鬼の牙には人の指が挟まっていた。


 トーダは呆然とそれを見下ろして、袈裟を身に着けたグラルの女を睨んだ。


宿敵のあっけなくも悲惨な最期に、やり場のない怒りが体の中で暴れ狂う。


静寂の中、クーラが静かにトーダを見つめ返してくるので、苦々しげに問う。


「この後に及んで釈明でもするつもりか」


「釈明などしない。そちらは私と戦うつもりか?」


「グラルの目的が、クラビスに死を与えることに飽き足らず、オルレイアに災厄をもたらすつもりなら戦わぬわけにはいかぬ」


トーダの言葉を受け、クーラは腕を摩って目を伏せた。


そこで、はじめて目の前のグラルから敵意が読み取れないどころか、奇妙なほど動揺していることに気付く。


「・・・まさか、お主・・・・・・既にオルレイアに何かしたのか?」


白い肌は青ざめ、虚ろに視線を彷徨わせるクーラの様子に、トーダは只ならぬものを感じる。


美貌の女は胸を押さえて、頼りな気に視線を上げる。


まるで、助けを求めるような目に、トーダは益々不安を募らせる。


「っ!」


どんっと、遠くで爆発音が響き、足元が揺れた。


頭上から少量の土が降ってくる。


坑道が崩れるのではないかと危ぶみ、しばし二人は頭上を見上げ、目を見交わした。


「ソス様は今どこに?ロニエにはおられるのだな?」


早口に捲し立てるクーラに、トーダは指を立て、口を閉じるように伝える。


「足音がきこえる」


間もなく、新たな人影が闇に紛れるように現れる。


十代半ばの若い娘が、足を引きずりながらクーラの前まで行くと、片膝をつく。


「クーラ様、大変です。モルがオルレイアの第一師団と名乗る軍勢に攻められ、応戦するも、数の前に敗れて占拠されました。私は何とかオルレイア軍の目を盗んで逃げることができたのですが、長老方が捕縛された今、モルは反撃も難しい状況に追いやられています」


クーラは驚愕で言葉を失うと、崩れるように座り込んだ。

第一師団と聞いて金色の髪をした悪魔ディーブスの顔が思い浮かぶ。


「なぜ、そんなことに・・・・第一師団はロニエに来ているはずではなかったのか。既に、私はロニエに摩瘴気を流した。もし、これがオルレイア軍に知られれば、モルはいったい・・・・どうなるというのだ――っ!!」


クーラの叫びに、若いグラルの娘は耐えられず泣き出した。


顔色を変えて焦ったのはトーダだった。


「どういうことだ!!ロニエに摩瘴気を流したとは!詳しく説明するのだ」


「見せしめとして、ロニエにバインドバーストを起こせと長老方の命が下ったのだ。私は、ロングラードホールの摩瘴気を一つの瘴気管にまとめ――噴出させるように細工をした。今頃、市街の西通りで人工的に発生させたバインドバーストが起こっているはず・・・・」


「・・・・なん、だと・・・?バインドバーストを起こすとは、正気なのか!?」


確かに高濃度の摩瘴気を一揆に吹き出させることができればバインドバーストは理論上起こせる。

しかし、凄まじい速度で増殖する魔人をつくり出すバインドバーストを起こすなど、正気の沙汰ではない。


その繁殖力の凄さから1体魔人が現れれば、大陸が滅亡するとまで言われる。

それを瘴気管をつかって広範囲にバインドバーストを起こせばどうなるか、グラルなら分からないはずがない。


「碧双界が落ち着いてきたかと思えば、次は赤双界だ。長老方は人間達への警告のために、それも致し方ないと決定を下してしまわれた。だが・・・だが、モルが人に占拠されるなど、誰が想像した。巫女の保護も完了していないというのに。もう・・・もう終わりだ――――」


トーダは想像を超えたグラルの行いに言葉が見つからず、額に手をあてたまま固まった。


破裂音が続いており、頭上から土がはらはら落ちて足に積もってきている。


この近くで起こっている爆発はグラルの起こした瘴気管の破裂に間違いないのだろう。


トーダは深く深呼吸して息を吐き出すと、拳を握った。


「・・・バインドバーストを起こす前に巫女殿を保護しなかったのは、クラビスの宴を真に受けて、まだオルレイアが動かないと思っていたからか?」


クーラは虚ろな目で頷く。


クーラ率いるグラルの作戦部隊は、慣れぬ土地と、ディーブスの妨害によって完全に後手に回っていた。


そんな折りの突然の開戦に、大事な巫女を保護する機会を逸し、想像もしていない第一、第四師団の裏切りによって、標的のクラビスは早々に逃走しようとしていた。


確実にロニエでクラビスを殺す必要があったクーラは、巫女を保護する前に急ぎ暗殺とバインドバーストを決行することを決めた。


巫女奪還にグラルより増援が来ると聞いていたからだ。


しかし、モルが占領され、いくら待っても仲間は来ず、結局巫女を探す手筈が整わず今に至っている。


碧双界においてグラルといえば、神の末裔として畏怖される種族だった。


そのため、利用することを考える不埒な人間がいても、占領しようとする者は現れなかった。


クーラだけでなく、グラルの誰もが全く予想だにしていなかったのだ。



 放心状態のグラルに「立て」と命じたトーダは、暗然たる気持ちで破裂音が続く坑道を見つめた。


既に赤い靄が漂ってきている。充満するのも時間の問題だろう。


「ひとまず、摩瘴気の流れを元に戻すしかあるまい。巫女を探すのはそれからだ」


トーダは怒りをかみ殺すように言葉を絞り出す。


己を捨てたモルの愚かしさに、吐き気がした。


友が守ってきた国が魔人に侵される。


罪のない人々が土地を奪われ、畜生道に堕ちる。


―――こんな結果など、誰も望んでいないのに!


・・・落ち着け、まだ・・・まだ、間に合うはずだ


トーダの瞼の裏に、頼りない一人の少女と、魔窟ヴァビロンから生還した青年の姿がよぎる。


「今、坑道の先に進むには、摩瘴気の濃度が高すぎて近づけない。全て滅びを待つより方法はない。終わりなのだ。何もかも」


「・・・・我は諦めぬ。お主は長老の命にどこか懐疑的に見える。間違っていると思うなら、お主も簡単に諦めるな」


「しかし・・・・」


「我は巫女と人の半端者。郷の秘め子の話は聞いたことがないか?」


クーラは瞬きすると、嘗て長老の一人が忌むべき秘め子の話をしていたのを思い出した。


子供の頃にきいた話だったが、郷の闇に触れるものだったので記憶に残っていた。


「こうなってしまえば、自身が何者であるかなど、何の意味もないものよ。グラルの秘め子、オルレイアの元宰相、大魔導師、幼き体・・・・。そんなものなぞ関係なく、ただ我は友の残したこの国を救いたいと思うのだ。そのために、この身に流れる力が必要ならば、喜んで使う。お主はどうなのだ?」


ゆるゆると愁眉を開いたトーダは決意を胸に、ひたっとクーラを見つめる。


クーラは一つ頷くと、摩鬼から降りて片膝をつく。


「私も許されるならば、昔から仕えている幼く憐れな巫女のために力になりたい。そのために、己の過ちは己で始末をつける。真に畏れ多いことでございますが、ご助力お願いいたします」


クーラは自分を律するように深々と頭を垂れる。


トーダは迷いが消え、深い紫の眼を滲ませて頷いた。




 ―――ロニエ工業地区の港では、テル・カナシュの軍艦が自慢の機動力に物を言わせ、オルレイア軍の包囲網を振り切って対岸へ引き返していく所だった。


これをもって、テル・カナシュの事実上敗戦が確定する。


オルレイアの死亡者数はおよそ四千。


そのうち兵士の死亡者数は二千だった。


それに対して、テル・カナシュの死亡者数は三千。


船団は大打撃を受けて半数以上の軍艦が落ちたが、本当の被害は自国に齎された摩瘴気による摩鬼被害に拠るものだった。


 一方、オルレイアは勝利するも、人命だけではなく工場や住居の損壊は甚大なものであり、今後長い間、国民の不満をより一層募らせる要因ともなった。

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