ロニエ事変2
―――ディーブスとゴアゾルが合流する数刻前。
「馬鹿な!第一王子がドーヴァへ移送されただと?」
ロングラードホールの最奥にある研究室に届いた報告を受けて、クラビスは声を荒げた。
「それだけではありません。各地の領主達が手を結び、ハバンに進軍中であるという報告も入っております。領主共は・・・・・おっ『王子を傀儡とする逆賊クラビスから、政を王家へ返却すべし』と各地に呼びかけてさらに数を増やしているとのこと。総大将は、王家の忠臣と名高いファンブル領主ブルーノ卿です。王子も何者かの手引きによって奪われた今、城中の大半の者は寝返るかと存じます。このままでは、手薄になった首都ハバンは貴族の連合軍によって、明日にでも占拠されるのを免れません」
「ブルーノ卿といえば、ゴアゾル将軍のご子息だったはずです。では、一連の黒幕はあのゴアゾル将軍が謀ったことだとでもいうのですか」
書記官が伝令に詰問をすると、それ以上はわからないと首を横に振って、頭を床に擦り付ける。
「いや・・・違う。あの武人の誇り以外とりえのないゴアゾルが、貴族達に手をまわし、ここまで周到に事を運ぶ胆力があるとは考えづらい。すべてはディーブスが裏で糸を引き、貴族共の信用を得るため、信頼の厚いゴアゾルの名を頭に据えたのだろう。そう考えれば、辻褄が合う。あやつはゴアゾルと昵懇であるし、王子の信頼も厚い。城を抜け出すように、王子を誘導するのも容易かったはずだ。先日お主が言っておった貴族邸に出入りしていたという目撃情報は真であったか。―――とすると、南のテル・カナシュを殲滅した後、ディーブスとゴアゾルは私の首をとりに、ここに攻めてくるということだ。・・・・迎え撃つ用意はできているのか?」
「第三、第五師団も今頃報告を受けて、南の防衛を固めています。しかし、先の戦での被害を考えると、兵力が十分とは言い難い状況です」
「どこまでも忌々しいことよ。引き続き第三、第五師団は南を守り、我らが逃げおおせるまで時間を稼ぐように伝えよ。相手は剛腕のゴアゾルと狂爪のディーブスだ。頃合いをみて撤退し、南東の我が領地フラブに集結するよう伝えよ」
「はっ」
クラビスの怒りに冷汗三斗の思いである伝令は、飛ぶようにその場を後にする。
怒り冷めやまぬ様子の書記官は、クラビスに深々と頭を下げた。
「閣下、申し訳ございません。ディーブスが貴族と不審なやり取りがないか影に見張らせてはいたのですが・・・」
「所詮奴はヴァビロンの民。私のやり方を不満に思わないはずがなかったのだ。あの残酷なまでに利己主義を貫く姿勢は気に入っていたが、それが仇となったわけだ。腹立たしい限りではあるが、あの裏切り者の命は一時捨て置くしかあるまい。我々が優先すべきは、貴族共の足並みが揃う前に、急ぎドーヴァを攻め、王子を奪還すること。そうであろう」
感情の読めない声音を受けて、書記官は無言で首肯する。
クラビスは心の臓が凍えるほど冷たい笑みを浮かべると、踵を返した。
「船で脱出する。次こそ準備は万全であろうな」
「はっ。すぐに出航できるように準備は整えてあります」
書記官は、クラビスの皮肉混じりの言葉に顔を白くして後ろに続く。
酷薄な笑みを浮かべたクラビスは、絶壁沿いの階段に出たところで急に足を止めた。
「閣下、どうなさいました?」
階段の頂点に大人とは思えない小さな影が佇んでいる。
「・・・・子供、だと?なぜこのようなところに」
クラビスは目を細めて前方に目を凝らす。
動揺することなどほとんどないクラビスだが、信じられない光景に眉を寄せる。
冴えた紫の双眼で、無礼なほど悠然とクラビスを見下ろしている。
下から吹き上げる摩瘴気の影響がないのか、吹き飛びそうな軽い体は微動だにせず、烈火のように激しい双眸が、クラビスの姿を捕えていた。
「我がわからんか。逆賊の宰相殿」
厳かな少年の声を受け、クラビスが目を見開くと、次に顔を歪めて笑い声を上げた。
いつもクラビスは感情を表に出さない。
だが、このときばかりは腹の中から突き上げるように感情が発露していた。
「ほお、これはこれは。まさか、子供になって逃げ延びていたとは。しかし、逆賊とは貴様のことであろう、王殺しのトーダ=ラピス」
後ろの兵士がその名をきいて固唾を呑む。
当のトーダは名前を当てられたことに身じろぎ一つ見せず、怒りを滲ませてクラビスを睨みつけた。
「お主がアルサスを魔人化させて、我に殺させるように謀ったのであろう。それだけではない。摩瘴気を戦の道具にし、ロニエを戦場にした。王国軍の武力で貴族達を押さえつけ、魔性狩りで国民を迫害し、国を乱した。守るべき民を殺し、国を乱してまで、貴様は何をしようとしている!」
「閣下、お下がりください!」
後ろにいた兵が慌てて魔葬銃を構えるが、前方のクラビスに阻まれ、上手く狙いが定まらない。
「何をしようとしているかだと?私は年若い王子の代わりに、他国に侵されないほどの強き国を造ろうとしたまでのこと。貴様も知っていたはずだ。オルレイアは長く太平の世が続き、保守的な政治構造が確立され、国王でさえもそれを覆すことができなくなっていたことを。腐った根を一新するには、一度すべて壊さねばならなかった」
「だからアルサスを殺して実権を握り、古き象徴である貴族を抑え込み、武力に頼った恐怖政治を行ったというのか」
二人は火花が散るように睨み合う。
「現にオルレイアは時間がなかった。少なくともテル・カナシュとチタンは同盟を画策し、オルレイア進攻の計画を進めていたようだぞ。もしそうなれば、今のところ静観している諸外国も参戦する。国内で足並みの揃わぬオルレイアが防衛に成功したとは思えん。何としても、攻め込まれる前に行動に移さねばならなかったのだ。だが、国王がいくら開戦を唱えても、保守的な貴族達は賛同しなかった」
怒りを滲ませて吐き捨てるクラビスに、トーダも憤怒の形相で一段一段階段をおりていく。
「確かに、施政者は国を存続させるため、最善をその都度選ばねばならない。テル・カナシュとチタンが進攻してくる前に対処する必要はあっただろう。しかし、お主は政権を握った後、自身の意に沿わぬ者を魔性狩りと称して悉く投獄し、国に混乱を齎した。お主は国のためと口にするが、結局己にとって楽な最善を選び、国民の最善を選ぼうとはしておらん」
それを聞いて「やれやれ」と、クラビスは嘲笑する。
「やはり、貴様とは話が合いそうにないな。国民の最善とはなんだ。民に笑みを浮かべて尻尾を振ることか。民のためというが、アルサス王も貴様も悠長に構えすぎていた。それでは国を衰退させるだけではないか」
「このロニエを見て、お主の言うことが本当に正しいと言い切れるのか?」
人一人分しかない狭い階段で睨み合っていたトーダとクラビスは、同時に動いた。
距離をつめるトーダに、クラビスは前方の階段を《重覇砕》で砕いた。
鋭利な棘が生えた黒の球体型マーヴは足場を粉々に破壊したのだ。
それを咄嗟に後ろに飛んで、トーダは回避する。
ちっと舌打ちしたクラビスは身を翻す。
急いで労働者が働く区画に入ると、彼らが掘る穴を通って逃走を始めた。
トーダは風を起こして砕かれた足場を飛び越えると、それを阻もうとする兵士をマーヴで吹き飛ばして後を追う。
坑道は薄暗く、迷路のように道が分かれていた。
摩瘴気の通る鉄のパイプを踏みしめる音に耳を傾けながら、トーダはクラビスの通った道を正確に選びとっていく。
しかし、大人と子供の足では距離は開いていくばかりで、焦りが胸を打つ。
もし、ここでクラビスを止めることに失敗すれば、今度はいつその機会が訪れるかわかったものではない。
それどころか、クラビスはその間もこの国に何らかの影響を与えることは間違いない。
それはトーダにとって許せるものではなかった。
・・・・・・・・・・?
トーダはふと背後から強烈な寒気を感じて、反射的に横に飛んだ。
坑道の中央を赤いエネルギーの塊が通り過ぎる。
当たっていれば即死だった。
振り向くと摩鬼の群れが後ろから迫っている。
前方を走り、群れを誘導しているのはセナ村で会った、クーラと名乗るグラルの女だ。
大人の四倍ほどに膨れ上がった獅子の摩鬼に跨り、その後ろに狼や熊の摩鬼が数十体続いている。
足場の瘴気管に罅が入るのではないかと危ぶむほど、足音を響かせて向かってくる。
クーラが二本立てた指でトーダを指した。
群れの摩鬼達が咆哮すると、口中から白いマーヴが現れ、一つの塊となって直線状に放射された。
「うっ」
第二波をトーダは《ケイズ》で防ぐが、踏ん張りが利かずに後ろに投げ飛ばされ、土壁に叩きつけられる。
「待て!」
咄嗟に叫ぶが、クーラの冷たい横顔を拝んだだけで、無情にもトーダを追い越していく。
狙いは間違いなくクラビスだった。
数体の熊や狼の摩鬼が残って、トーダに睨みをきかせて足止めする。
トーダは土に埋もれた体を起こす。背が痛んだが、気にしてはいられない。
指先に細いマーヴの糸を作ると、あやとりでもするよう両手で網目模様をつくって、坑道を塞ぐように拡大して張り巡らせる。
腕を突き出し、そのまま摩鬼達に向けて放った。
摩鬼達が糸のように編まれたマーヴに切断され、一斉に事切れる。
トーダの使うマーヴは、一般的な《砲光華弾》や《鎌風》といった名前のついたマーヴではなく、それらを応用したオリジナルだ。
その辺りにいる魔導師が逆立ちしてもできない高度な術を瞬時に、緻密に発動できるのは、大魔導師と呼ばれる所以である。
ふぅと吐息をついて一歩踏み出そうとすると「うっ」と呻いて、トーダは態勢を崩した。
どうやら足を挫いたらしい。
指の爪に血と泥が入るのも構わず、摩鬼の血の海から必至の形相で立ち上がる。
トーダが一歩足を踏み出した瞬間、坑道の奥から何者かの絶叫が響く。
反響しているので、内容はわからないが、憐れに泣き叫んで助けを求めるクラビスの声だった。
脇目も振らず、トーダは走った。




