祭りの日は業火の夜5
「休憩中なのか?」
ロニエで別行動をとっていたトーダは、ベンチに腰かけている男に話しかけた。
初老の男は疲れた顔でありながら、優しげな眼を隣のトーダに向けた。
「おや・・・これはこれは、小さなお咎め役に見つかってしまったようだ」
男はそう言って、見ず知らずの少年に向かって肩をすくめてみせる。
「今日は秋の祭典だから、街に孫を連れていってやりたくてね。仕事を少し抜け出してきてしまったのだよ。途中で、人混みに疲れた私を、孫がここへ連れ出してくれた。優しい子だ」
薄汚れた緑の軍服を着た初老の男は、公園で遊ぶ孫娘を眩しそうに見つめた。
レザラ達と別れたトーダは、パデリエ大河沿いに造られた港公園にいた。
公園からは堤防と、立派な大堰の管理施設を眺めることができる。
遠くで太鼓の音が響き、偶に歓声が聞こえてくるが、公園は人も少なく静かだった。
洒落た街頭が並び、噴水の周りには円形の花壇、甘い匂いを漂わせる屋台まである。
あいにく今日は祭りだが、平時なら街の憩いの場として賑わっているに違いない。
男とトーダは、公園で遊んでいる少女をしばらく見守っていた。
しかし、出会ったばかりのこの綺麗な少年が、その場を動こうとしないことに心配になったらしく、男は言葉をかけることにしたようだ。
「・・・・君は一人のようだけど、ご両親と来たのかな?」
男の言葉に、トーダは苦笑する。
「両親は亡くなった」
「・・・それは、なんと神は無慈悲なことか・・・可哀想に」
「友人も最近亡くなった」
そこまで言うと、我が事のように同情する男の顔が歪んだ。
まだ幼い子供が不運にあっているのだ。当然の反応だった。
「でも今、もう一人の友人が目の前にいる」
トーダがそう告げると、きょとんとした初老の男が若々しい顔で笑った。
「嬉しいね。この年で新しい友ができるなんて」
「新しくはない」
「ん、なんだね?」
男は興味深げに瞬きをする。
次はこの若い坊やは何を言うのだろう。そんな期待に満ちた顔だ。
「貴君と我は彼是四〇年近い仲になるだろう」
そこまで言ってやると、さすがに初老の男は戸惑ったように見つめ返してくる。
「友人が亡くなったというが、正確には我が殺した。アルサスが魔人化したから葬ったのだ」
「き、君は何を言っているんだね」
声を荒げて立ち上がった男を静謐な目でトーダは見返した。
軍服を来た年老いた男が子供に声を荒げるなど、傍から見たら、目も当てられない光景だろう。
やれやれ・・・と、トーダは頬杖をついて、ベンチを叩く。
警戒した顔で初老の男が、ゆっくりとベンチに座りなおした。
「まだわからないのか?ノエル=フォン=ウォルフ。相変わらず鈍い男だ。これでは奥方も気苦労が絶えないだろう」
しばらくトーダの顔を括目していた初老の男・・・ノエルは、頬を蒸気させ、すぐに蒼白になった。
「まさか、ラピス卿なのか。いや、そんなはずは・・・・だが・・・・その話し方、その目、本当に君なのか・・・?」
「如何にも。いち早く会いに行きたかったのだが、貴君の周りはクラビスの手の者が見張っていたから、それが叶わなかったのだ。しばらくして、降格されてロニエに飛ばされたと聞いたときは、心が痛んだ」
ノエルは瞬きを忘れたように、トーダの頭の先から足の先まで時間をかけて観察すると、神に祈りを捧げてトーダを抱きしめた。
「アルサス王がご逝去されたと聞いたときは、こちらも心の臓が止まるかと思った。おまけに君が殺したっていうから、年甲斐もなく頬を抓って夢じゃないことを悟ったよ。あの悪党はこちらが確認する間を与えず、謂れ無い罪を着せてこの地に私を封じた。だから、あの悪党の謀略だと見当はつけていたわけだが・・・・さっき君はアルサス王が魔人化したと言ったね。何があったんだい?」
トーダは一息つくと、アルサス王の最期を語って聞かせた。
黙って聞いていたノエルは、顔を手に埋めて、しばらく動こうともしなかった。
地方領主だったノエルは、アルサス王の信任を得てハバルで国政に携わっていた男だった。
真面目で優しい人柄から、周囲の信頼を得て、領主と国王の調停役として腕を振るった。
そんな男が、今やロニエに左遷されて真昼間に孫娘の遊び相手をしている。
トーダは公園を見渡して、続いて友人を盗み見た。
「なぁ我が友よ。我は、ここでクラビスがまた悪巧みをするのではないかと疑っているのだ。知っていることを教えてくれないか?」
苦悩の残した顔で、ノエルはゆっくり頷く。
「私も詳しいことは知らない。領地を没収された私は、この地の警護責任者として赴任してきた。しかし当然それは名ばかりの役職で、事実上仕事を任されることはない。それでも注意深く聞き耳を立てていれば、多少は軍の動向も耳に入ってくる。今までその意味がわからなかったが、君の話を聞いて腑に落ちた」
ノエルは白髪をガシガシ掻くと、トーダの頭を撫でる振りをして耳元で囁いた。
「ロングラードホールの地下施設で、まだ工事が行われているのは知っているな。表向きは、ロニエ工業区の地中に眠る摩瘴気を抑えるため、瘴気管を通す坑道を掘っているとのことだが、実は、パデリエ大河方面にも坑道を掘っているそうだぞ・・・・」
トーダは驚愕で目を見開き、すぐに表情を隠すように俯いた。
「もし、瘴気管を対岸に伸ばしたら情勢は変わる。地下施設の瘴気管の摩瘴気濃度を調節してテル・カナシュに流せば、簡単に敵国テル・カナシュは死の大地に変貌するだろう。テル・カナシュが魔導師を集結させ、その瘴気管の破壊が成功しても、しばらく摩鬼の退治などで混乱は免れない。嫌でもテル・カナシュはその対応に追われ、軍もその対処に追われる。その隙に、テル・カナシュの西にある小国チタンを落とせば、テル・カナシュに攻め込みやすくもなるな。オルレイアの包囲網は瓦解する」
「心のどこかで、さすがのクラビスも摩瘴気を悪用したりはしないだろうと高を括っていたのだ。しかし、アルサス王を魔人化させて友に殺させたほどの男だ。そうとしか考えられん」
孫娘が振り返って手を振ってくるので、ノエルは何事もなかったように笑って手を振りかえす。
しかし、その目は周りを注意深く警戒していることに、トーダは気がついていた。
「ノエル・・・奥方やご子息夫婦はどうした?」
トーダも幼い顔を作って笑みを作った。
その目はノエルを移さず、周囲にいる数人に視線を向けていた。
ノエルは肩を竦める。
「私は監視されてる。息子夫婦達は君の想像通りさ。心苦しいが、力になれそうにない」
ノエルは虚ろな目で笑みを作り続けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おーいっ、下っ端!何もたもたしてるんだ!早くしろーーーー!」
「すっ、すみません!って、あぁっ」
紙袋いっぱいに詰めていた碧筒が、つまずいた拍子に坂道を転がり落ちていく。
慌てて追いかけるが、努力も空しく方々に散らばりながら見えなくなる。
ロニエの最南端にある市場で買い物を済ませた後、立っているのもつらい急勾配を上がっている途中での悲劇だった。
「こぉのぉ馬鹿野郎――――!」
前方を歩いていた上司が怒鳴り声をあげる。
「ひぃぃぃっ、すみません!」
「カレル、俺たち先行っとくから、全部回収しとけよーーー」
呆れながらそう言ったのは同僚だった。
同じように大量の碧筒を詰めた紙袋を両手に持って、額に汗を浮かべている。
クラビス宰相と共に行軍した第三師団の主計兵の彼らは、ロニエに到着するなり、市場を駆けずり回っていた。
十分な物資は揃っているが、兵士達に新鮮な野菜や果物を食べさせてやれとのクラビスからのお達しがあり、カレル達主計兵は祭で浮かれる街中を奔走する破目になったのだ。
そして、漸く調達も終わり、碧筒に大量の食材を詰め込み終えた。
後はキャンプに帰るだけだったところでの新参者カレルの失態。
上司だけでなく、何人かの同僚も精神的な疲労を感じ、カレルを置き去りにして先に行ってしまった。
「はぁぁぁぁ・・・うっげほげほ」
軍人ではあるが、普段は会計、遠征時は炊事が主な仕事内容だ。体力にも自信がない。
溜息をつくと、息切れで咳き込む有様だった。
「やぁやぁ、頑張っているようだね」
碧筒を回収しつつ坂道を下ったところで、見知った顔が立っていた。
その声の主が残りの碧筒を持って裏路地に消えたので、カレルは慌ててその後を追う。
民家の裏口にあった樽に腰かけて、上品な装いの中年男が気安い笑みでカレルを迎えた。
同胞の緑化人、タポラ=ティエラだ。
カレルは自分でも気づかぬうちに顔を引きつらせて一歩後ずさっていた。
見た目は小ざっぱりした柔和な紳士だが、同胞の中でも何を考えているのかわからないと噂の奇人だ。
大樹公の信頼も厚く、優秀な人物だと皆が太鼓判を押すが、出来れば関わりたくないと誰もが口を揃える。
緑化人の隠れ里でのんびり育ったカレルに、突然言い渡された初めての任務はオルレイア王国軍に潜入して、その動向をタポラに逐一報告すること。
獣のように恐ろしい軍人達の目を盗み、タポラに情報を流し続ける毎日は胃液が逆流するほど緊張の毎日だった。
そして、何より気が重い瞬間は、この目の前の御仁と相対する時に他ならない。
「いつもながら君の演技力には感心してしまうね」
第一声は揶揄からはじまる。
「ほらきたっ」と、カレルは心の中で悲鳴を上げた。
それを察したようにタポラが意地悪な目つきで、にやにや笑う。
間違いなく、目の前の同胞は、カレルで日頃の鬱憤を晴らしている。
しかし、今日こそは言ってやるぞとカレルは奮い立った。
「僕が碧筒を落としたところを一部始終見ていたんですね。あれが演技じゃないことくらいわかるでしょう」
「なんだ、つまらないね。本気で褒めていたんだよ。私に接触する機会を作ったのだとね」
嫌味がくるかと思ったが、想像に反して優しい言葉が返ってきた。
カレルはタポラから碧筒を受け取って「本当かなぁ」とぶつぶつ愚痴を言いつつ紙袋にしまう。
「軍生活は慣れたかい?」
「いいえ、早くお暇を頂きたいです。そもそも、何で僕みたいな経験値の少ない人間が、オルレイアの軍内部に送りこまれたのか謎です」
「そうは言っても、下手に優秀そうなの送ったら、狂爪に見破られて首が飛ばされちゃうんだから仕方ないでしょう。私だって不平不満が多いこの仕事を受けているんだから、緑化人としての責務を果たしなさいよ」
「説得の内容がこの上なく自己中心的に感じたのは僕だけですか」
おずおず非難すると、タポラに睨まれて急いで口を手で覆う。
「それで、クラビスの動きはどうなんだい?」
「あぁ、はい。軍の兵糧は一か月程度しかありません。クラビスは早期決着を予定しているのは確かです。あと、今日の晩、軍内部で宴が開かれます。開戦前に兵士の士気を上げるためのものだと皆が噂しているのを聞きました。もう戦が始まってしまうのでしょうか・・・怖いな」
最後は我慢できなくなって不安を吐露する。そんなカレルを無視したタポラは、腕を組んで思案顔だ。
カレルはがっくりして膝を抱えた。
「だとすると、動くのは明日、明後日というところかもしれないね。他には何か情報はあるのかい」
「現地の仲良くなった駐屯兵から聞いた話ですけど、ロングラードホール付近を巡察していると、叫び声が聞こえるって専らの噂です。確認しに行った同僚が帰ってこない事件があったと聞きました」
「それについて、他に情報は?」
「さぁ、幽霊とか化け物ではないですか?」
同意を求めるカレルをまた無視したタポラは、埃を払って立ち上がった。
「あぁっあれ、もう行っちゃうんですか?」
「君の話を聞いていたら、苛々してお腹が空いてきたんだよ。これ一本もらっていいかい」
そう言って、タポラは袖から碧筒一本取り出した。顔色を変えたカレルは、タポラからそれを奪い取ると、心底ほっとする。
「ダメに決まってるでしょう。一本にいったい何人分の食料が入ってると思ってるんですか」
「それなら、さっき猫が一つ銜えてどこかに行ったけど、あれはいいのかい?」
「えぇぇぇぇぇぇーーーーー何で早く言ってくれなかったんですか!」
絶叫したカレルは叫びながら駆けだした。その姿はすぐに見えなくなる。
猫の特徴や、どこで見たのかも伝えていない。
いったいこの街中でどの猫を探しているのやら・・・・タポラはカレルが戻ってこないので、面倒臭くなって、その場を後にすることに決めた。
「意外と軍生活が性に合ってるみたいだね」
タポラは失笑しながら、鼻歌交じりに姿を消した。