祭りの日は業火の夜4
紙吹雪が舞う石畳の中央通りを踊りながら大道芸人が行進している。
白粉を縫った道化師が観衆に手をふり、太鼓や笛を鳴らす奏者が後ろに続く。
大路を埋め尽くすほどの観衆は爆竹をならし、これから始まる催し物を前に、熱狂ぶりを露わにしている。
ロニエは秋を祝う祭典が行われている真っ最中だった。
高層の建物のせいで谷間のように見える街路はオルレイアの国旗で埋め尽くされ、街の中央大路は出店が並び、食欲をそそる匂いと人々の熱気で満ちている。
桃色の氷菓子を串で刺したものを舐めつつ、ソスは忙しく辺りを見て回った。
氷菓子はじっと出店を眺めていたソスに、レザラが与えたものだ。
透視の聖樹法がかかっているソスは物を食べられないと半ば諦めていた。
しかし、樹布の中に入れてしまえば、菓子も透明になるとレザラが気づき、こっそり渡してくれたのだ。
無愛想に見えるレザラは、実は一番目端が効き、ソスが困っていると必ず手を差し伸べてくれる。
―――全てを捨てでも自分で選ぶ道がいきたいなら手を貸す
そう言ってくれた。
それを聞いたときの嬉しさは、言葉にできないほどの衝撃だった。
今まで巫女という役目が尊重されても、ソス個人の意思に耳を傾けてくれる人はいなかった。
だけど、レザラは違った。
それどころか、選択した道を貫きとおせなかったら殺すとまで言ってくれた。
レザラの言うとおり、役目を放棄して出奔する道は、多くのものを失うだろう。
だが、真に悲劇なのは、役目を失くしたことを後悔することだ。
大切な役目だとわかるだけに、それがずっと怖かった。
もし、全てを失ったとき、レザラが死を与えることで解放してくれる。
これほど、容赦のない究極の救いはないだろう。
友人が道を誤ったなら殺すとまで言った人だ。
必ずその時は、実行に移してくれるはず・・・・。
なんて甘えた考えだろうと思う。
自分がだめになったら、人に助けて貰おうなど、恥ずべきことだ。
でも、それだけ、追い詰められている自覚があった。
赤双界の情勢を聞けば聞くほど、その思いは積もっていく。
耳の奥で、あの不快な葉のざわめきが聞こえるようだった。
――――四肢は動かず、風にされるがままに翻弄される・・・・・・。
こんな情けない自分に比べてしまえば、レザラはなんと現実と向き合っている人なんだろうか。
自分にないものを持つ人だから、憧れた。
レザラが私を助けてくれる。そう信じたかった。
舌で味わうもの、濃厚な匂い、人々の声、街の喧騒、空の色。
生源郷モルを離れてから、目に映る何もかもが新鮮で、輝いていた。
外の世界を知れば知るほど、もっと世界を知りたいという気持ちが止められなくなる。
同胞から逃げ続ける過酷さ。
お金の使い方だって知らない。
食べるために何をしていけば良いのかも検討がつかない。
自分を利用しようとする人間の悪意はいつも付き纏っているけれど、なぜそれほど自分を欲するのか本当の意味では理解していないと思う。
―――自由が欲しいと欲張っているけれど、私は何も知らない。決断することすらままならない・・・・・・
「どうした?」
顔の表情が見えないというのに、レザラは微妙なソスの変化に反応する。
ソスはレザラの手をぎゅっと握った。
「このお菓子がとても美味しい。今まで生きてきた中で最高の味だと思います」
「いくらなんでも、それは言い過ぎだろう」
苦笑したレザラはちょっと嬉しそうだ。
人ごみの中、ソスの手を引いて迷いなく進んでいく。
人の少ない小路を通って宿泊先を探せば良いのに、祭典を見たいと願うソスを思ってわざわざ大路を選んでくれる。
・・・この人の手を放すわけにはいかない。
自分でも理解できない胸の痛みと切なる思いが、胸中を支配する。
――――と、レザラが急に立ち止まり、ソスはレザラの背にぶつかった。
レザラは驚いた表情で、裏通りを凝視している。
閑散とした薄暗い小路だ。そこに金色の色彩を見つけて、息を呑む。
・・・・・ディーブス准将・・・・!
ソスもそれに気づいて、不安気にレザラを見上げた。
「ソス、悪いがあそこで少し待っていてくれないか?」
レザラが指定したのは、小さな雑貨店だった。
ディーブスの真意を確かめるのがレザラの望むことだ。
単独行動をとっているらしい今のディーブスなら、接触するのは好都合だとそれはわかる。
しかし、トーダとタポラは近くにいない。ロニエに着くと、用事があるからと言ってどこかに出かけてしまった。
お尋ね者になったレザラがディーブスに接触して、何も起こらないという確証はない。
「私も行きます。ディーブス准将には私の姿は見えませんから危険はありません。もし、あなたが彼に捕まったら、トーダさんやタポラさんに誰が知らせるんですか?」
「お前、見かけによらず口の達者な奴だよな」
レザラはソスの言葉に仕方なく納得したようで、同行することを許した。
ディーブスは人込みを避けるように入り組んだ小路を進み、街中をとおる水路を越えた先で建物の中に入った。
何の変哲もない寂れた高層マンションだった。
レザラもその後を追って建物の前まで近づく。
・・・すると、中に入ったと思っていたディーブスが、壁に背を預けて待っていた。
「上がって」と短く言うと、ディーブスは背をみせて建物内部の階段を上がっていく。
最上階の角部屋につくと、ディーブスはレザラに部屋に入るように言った。
最小限の家具があるだけの何もない部屋だ。歩くだけで床が軋み、埃も舞う。
窓の近くにいた一人の若い男が、レザラに気付いて細剣を抜いたが、後ろから入ってきたディーブスに気付いて鞘に納める。
「彼はレイノル。僕の副官だよ。あぁ、安心して、基本的には真面目で従順な奴だから」
レイノルという細面の男は、一言も発さず、鋭い眼光で一瞬ディーブスに視線を投げたかと思うと、静かに目を閉じる。
ディーブスは寛いだ様子で寝台に寝転がり、レザラは警戒を解かずに入口近くの壁に背を預けた。
「俺がここにいることを驚いていないようだな」
「驚いてるよ。だけど、何となくだけど、会える気がしていた」
「どういうことだ?」
「うーん、グラルの巫女とかいうあの子。もし仲間の元へ戻らないとすれば、ここに来るんじゃないかと何となくそう思ってね。そして、そのときは、もちろんレザラ兄も一緒だ」
「本当に何となくそう思ったのか?あれこれ考え込む癖があるお前が、何となく?」
険しい顔になっていくレザラを見て、ディーブスは小さく笑う。
「ねぇ、知ってるかい。オルレイアに異界臭いネズミが最近増えたんだけどね。どうも、ここが一番多いみたいなんだ。臭うんだよねぇ、嫌になっちゃうよねぇ」
ディーブスの言う『ネズミ』がグラルだと気づいたレザラは、奇妙なものを見るようにディーブスを見下ろす。
「グラルがここで何か企んでいて、ソスがそれに関係しているとそう考えたのか?」
「いいや、あの子とグラルは無関係だ。それほどグラルという種族に詳しくないけど、あの子はグラルの特別な存在だからこそ、いつも蚊帳の外という印象がするんだよね。それに、小汚い悪事に関与するくらいなら、もうとっくに同胞と故郷に帰っているんじゃないかな」
「それなら、なぜ俺を捕まえようとしない。それどころか、グラルの情報を教えてくれるんだ?」
「今から捕まえようとするかもしれないよ」
ディーブスは子供のように楽しそうに笑い、レザラは眉間に皺を寄せる。
「それはしないだろう。お前も何かから身を隠すようにしてここに潜伏している。俺を捕まえる余裕はないはずだ」
それを聞いてディーブスは腹を抱えて爆笑した。
飛び起きたディーブスは、目に涙を溜めつつ「レザラ兄ってサイコー」と叫ぶ。
そして、徐に部屋の扉を開ける。
「君も入っておいでよ。そういうことだから、危害は加えない。ついでに姿も見せてくれると嬉しいな」
扉の前に佇んでいたソスは、ディーブスに言われて姿を現す。
ご機嫌のディーブスは「どうぞ」と言って、ソスの背を押して部屋へ入れた。
ソスは緊張で、可哀想なほど震えている。
「ごめんね。せっかく隠れてくれていたんだけど、ここ老朽化が進んでいて歩くと音がするんだよ」
「良い潜伏先だな」
「まぁね」
「住み心地は最悪だけど」と狡賢い顔をする。
実際、窓から指す光で大量の埃が舞ってきらきら光って見えていた。
これでは、姿が見えなくとも、誰かがいることくらい、埃の動きでわかりそうなものだ。
天井には天蓋のような雲の巣がはっており、ソスあたりに冗談で「これがレースだ」と言えば信じてしまいそうな厚みと重厚感がある。
ソスが申し訳なさそうにレザラを見上げると、レザラの大きな手が頭を撫でた。
「レザラ兄は僕を殺すつもり?」
ディーブスの唐突の言葉に、レザラは嘆息する。
レイノルという副官もいつの間にかこちらを注視している。
「それはまだわからん」
「ヴァビロンの教えか・・・懐かしい。でも、悪いけど、今はだめだよ。僕もやらないといけないことがあるからね。例えどんな手を使っても」
「―――もう話すことは、なさそうだな」
レザラはしばらく考える素振りを見せたあと、壁から背を離して扉を開けた。
それから、思い出したように、振り返る。
「そうだ、『狂爪のディーブズ』は名前負けしてると思うぞ。通り名を改名した方がいい」
「あっははははははは」
これにはディーブスも大爆笑して体をよじった。
寝台で体を丸めて息も絶え絶えで、オルレイアの泣く子も黙る将とは思えない姿にレザラは呆れ顔を作る。
「勝手に周りが付けた名前だから、どうにかできないかも」
笑い続けるディーブスを置いて、レザラはソスと一緒に部屋を後にした。
背後ではディーブスの馬鹿笑いが部屋を出ても聞こえてくる。
「あの、もういいのですか?」
気遣う調子でソスが問うと、「あぁ」とレザラが神妙に頷く。
「いいんだよ」
氷のようだった赤目が落ち着いた様子になっていることにソスは気づく。
レザラは振り返ることなく、歩みを進めた。