祭りの日は業火の夜3
「こう何にもなくちゃ、退屈の極みだね」
セナ村を出発して五日後。
山岳地帯を越えておよそ五〇〇セル進んだ地点を過ぎようとしていた。
変わり映えのしない景色に、ラピンの手綱を握るタポラは数刻ずっとぼやきっぱなしだ。
隣に座るレザラも、見渡す限りの広大な平原と、水平線の先まで伸びた直進の道が続く景色に瞼が落ちかかっている。
荷馬車の荷台からは、飽きずに「あの花は何?」「あの山は?」というソスの質問攻撃に、淡々と防戦するトーダの会話が聞こえてくる。
・・・・実に平和だ。
各地で指名手配されていてもおかしくないが、追手も来ない。
今のところ村や町はなく、偶に隊商の一団が通り過ぎるぐらいなので、タポラ曰く『退屈の極み』に陥るほど、平穏に旅が続いている。
「地図のとおりだと、そろそろロニエが見えてきてもおかしくないはずなんだがなぁ」
地図と磁石に目を落としながらレザラが呟くと、鼻息荒くタポラのぼやきが始まる。
「ここまできてロニエで何も起こらなかったら、私は発狂する自信があるよ。だいたい、グラルがまた襲ってくるかと思っていたのに、まったく音沙汰なしじゃないか。奴らは仕事さぼりすぎだよ。私はこんなに実りのない仕事に邁進しているというのに」
「はいはい、それは可愛そうに」
と、随時こんな調子だ。
タポラの八つ当たりに、やる気のない合いの手を入れていると、前方に白い靄のようなものが見えた気がして、目を擦る。
よく見ると、綿毛が大量に浮遊しているのだと気がついた。
タポラがすっと手を突き出すと、一斉に綿毛はタポラの手に集まった。
白く丸い綿毛は右手にこんもり山を作る。
タポラは喜々とした表情で瞬きした後、綿毛達を吹き飛ばす。
風に吹かれて霧散した綿毛は、平原の空に舞い上がり、どこかに飛んでいった。
「『クラビスはロニエに到着した。第三、第四、第五師団を警護につけての大所帯』だそうだよ」
緑化人というだけあって、タポラは植物を連絡手段に使う。
どういうカラクリかわからないが、ロニエにいるタポラの仲間が綿毛を飛ばし、タポラがその綿毛から情報を得ているようだ。
なまじ中年のタポラが綿毛を吹き飛ばす姿は、思わず目を逸らしたくなる破壊力があるのだが、トーダもレザラも大人なので、もちろん口に出す失態はしない。
「あっ煙」
ソスが指さした先に、白煙が上空に昇っていた。
荷馬車を進めると、眼下にロニエが一望できる丘へ辿り着く。
ラピンの足を止め、皆飛び降りて歓声を上げる。
「街が針山みたいです」
数えきれないほどの煙突が並び、そこから吹き出す煙は傘雲になって町の上空を漂う。
東に煙突だらけの工場地帯があり、西に高い尖塔の建物が林立する住宅街がある。
それを囲むように高く堅牢な都市周壁が建っていた。
色彩豊かな街並みは、白煙で霞んでいようと艶やかさを誇っている。
視線をロニエから右へ移動したソスは、戸惑ったように体を硬くする。
それに気づいたトーダは、傍らに並んで同じように赤靄の大地を見下ろした。
「あれはロングラードホールと呼ばれる大陸一大きい鬼穴だ。この辺りは昔、摩鬼の多さと摩瘴気の濃さ故に死の大地とまでいわれ、人が生活できるような地域ではなかった。しかし、数年前にロングラードホールに漂う摩瘴気や、自然の減少によって発生した土中の摩瘴気を逃がす装置が完成し、急激に工業都市として発展した」
「そんな凄い装置があるなら、アルサス王が死ぬ間際にあんな実験する必要があったのか?」
それには、トーダも切なげに目を伏せる。
「アルサスが新しい技術を欲した理由は二つある。一つは土地の問題だ。摩瘴気は地中に埋められた瘴気管を使って濃度を計算し、海に逃がしている。つまり、内陸の街だと摩瘴気をどこに逃がすのかが問題になる。ロニエは特別な土地なのだ。北にある海のようなパデリア大河を使えば、溶洸石の運搬が比較的楽に行えるのでな。そして、二つ目は費用の問題だ。ロニエの装置は、地下深く穴を掘って瘴気管を通す工事をせぬばならぬし、費用が莫大にかかる。費用をかけずにとなると、おいそれとロニエを真似られん」
「俺にしてみれば、そうまでしなければならないのか疑問だけどな」
「疑問といえば、私は大きな鬼穴がある危ない場所に、なぜわざわざ町を造ったのかが疑問です」
その問いに、トーダは苦笑する。
ついっと、ロニエの北へ視線を動かし、レザラもソスも同じようにそちらに目を向ける。
「死の大地といわれていた頃は、北のテル・カナシュ国の進攻を妨げる自然の防壁になっていたのだが、やはり摩鬼の被害に近隣住人が頭を抱えていた。昔から、何とかせねばならない土地だと皆が考えていたのだ。だが実際、摩瘴気のなくなった土地の利用を考えたとき、パデリエ大河は工業用水を確保するのに適しているし、川幅が広いからさっき言ったように物資の運搬に適している。工業都市としては理想的な立地だと思ったのだ。あとは死の大地を人が住めるようにすることが、アルサスの昔からの夢だったから、だろうな」
大地の裂け目と呼ぶに相応しいほどの亀裂が、ロニエの東に走っている。
ロングラードホールと呼ばれる鬼穴から覗く赤は、巨大な口が地獄に誘っているような、そんな不気味さを漂わせていた。
その北には大海を彷彿とさせるパデリエ大河が流れ、数多くの船が帆を広げて悠々と行き来している。
見るも恐ろしい鬼穴と、発展した街並みと広大な川の組み合わせは、これまで感じたことがない違和感をソスに与えた。
ガサガサ音がしたかと思うと、タポラが「草臥れた」と呟いて座り込んでいる。
「ほら、見てください。あのパデリエ大河は北のテル・カナシュとの国境線です。世界会議で非戦闘地域とされていますが、実際戦争になったら軍艦を使う可能性は高いでしょうね。それを見越してロニエは防衛能力が優れているという話だけど、それも戦争にならなきゃわからない。大きな戦になるかもしれません。逃げるなら今のうちですよぉー」
ソスにそう言って、恐怖で震えるふりをするタポラに、「さっきまでひと悶着ないかと言っていたのは誰だ?」とすかさずレザラがツッコミを入れる。
タポラは明後日の方を向いてやり過ごす。
トーダは穏やかに三人を見ていたが、荷馬車に乗り込んで声をかけた。
「もうロニエは目と鼻の先だ。急ごう」
見ると、ロニエ東端の王国軍駐屯地の敷地内に白いテントがキノコのように群生している。
クラビス率いる王国軍の第三、四、五師団のキャンプに違いない。
レザラの中で、どうしようもない不安が、突如湧き起こる。
ロニエの街を視界に入れてから、妙に気分が重い。
レザラは昔からずば抜けて勘がよく、悪い予感が外れたことがない。
大股でソスを抱えて荷馬車に乗り込んだレザラは、焦る自分を抑えて、ロニエの街並みを見下ろした。