命燃ゆる祖の地、オルレイア3
船は順調に鍾乳洞を抜け、湖畔に到着した。
湖面は澄み、花畑が広がり、雄大な山岳が軒を連ねる絶景が広がっている。
トーダはアルサス王の遺骸を抱えて姿を消すと、しばらくして戻ってきた。
言葉どおり、どこかに遺骸を埋めてきたらしい。
泣き顔をみせず、何事もなかったような顔で皆を見まわして、穏やかに微笑する。
「もういいのか?」と問うレザラに、「うむ」と短く返事をしたトーダは、森を抜けてすぐにあるという、セナ村へ皆を先導した。
明け方、セナ村の宿屋でレザラは跳ね起きた。
多数の魔人に囲まれて、逃げようとしても足が動かない・・・そんな夢をみたのだ。
黄色の三白眼が一斉にこちらに向けられ、キシキシ笑う赤い醜悪な魔人の群れ。動かない四肢。
食べられる恐怖・・・・。
思い出しただけで、寒気が全身に広がる。
魔人の夢はオルレイアに入国してから見る回数が増えた。
摩瘴気が濃い地域で眠ると魔人の悪夢をみることは今までの経験で分かっている。
だが、今回の夢は、ソスが魔人化したアルサス王を人間に戻したことに起因する。
ヴァビロンで魔人を殺したことは全く後悔などしていない。
だが、魔人が人間に戻る光景を目にしたとき、罪悪感ではないが、理解し難い気持ちの揺れを感じたのは確かだった。
今更価値観を変えられるほど器用ではないし、変える気もなかったが、こうして悪夢をみるのはひどく気が滅入る。
「眠れないのですか?」
「ばっ、馬鹿。驚かすんじゃねぇ!」
耳元で聞こえたソスの声に驚いて、レザラは飛び起きる。
へこんでいた枕が膨らみ、掛布団が自然とめくれる。レザラはじーっとそこにいるだろうソスを探して目を凝らした。
ソスの出で立ちは、当然のことながら周囲の注意を引く。そのため、自身の姿が他人に見えなくなる透視の聖樹法を唱えた。これは、船に隠れていたトーダが使った術と同じものらしく、ソスの姿はレザラには全く見えなくなっている。
頬に温かい指先が触れると、レザラの視界にソスの顔が浮かび上がる。
レザラには姿が見えるように新たに術を使ったようだ。
レザラの頬から手を放したソスは、「驚かしてすみません」と、消え入りそうな声で謝罪する。
「いや、いい。気にするな」
都の宿屋でもない、寂れた山間の村宿だった。
個別に部屋はなく、大部屋に寝台が幾つか並んでいるだけの大雑把な部屋。
今は他に客がおらず、トーダとタポラの微かな寝息だけが聞こえている。
「皆、まだ寝ている。お前も、もう少し眠ったらどうだ?」
「眠れないのです。迷惑じゃなかったら、少しお話をしませんか?」
そう言いながら、レザラのズボンを摘まんでいる。苦笑したレザラは、ソスを抱えて宿の窓から屋根の上に登った。
「高い所は大丈夫か?」
「登ってから訊くのはどうかと思います」
憤然とするソスは、宿屋の屋根から降りるに降りられず硬直してしまっている。
レザラは楽しそうに声を立てて笑うと、隣に腰かけた。
朝日が昇り、鳥のさえずりが聞こえる。
下を見下ろすと、宿屋の女将が桶いっぱいに水を入れて、裏手から宿屋に入るところだった。
「今日は買い物日和・・・ではないなぁ」
東の空に分厚い暗雲が浮かんでいた。
今のところは晴れているが、昼過ぎには一雨きそうだ。
ソスはレザラの腕を掴みながら、天候には目もくれず物珍し気に首をめぐらして眺望を楽しんでいた。
村で一番高層の建物が、この宿だった。
雪が残る脈々たる山岳を望むことができ、広大な田畑と果樹園、連なる民家の軒を俯瞰することができる。上から眺めると、赤煉瓦の建物が並ぶ村は細い小路を挟んで密集しており、その中心の広場にだけ、広い空間ができているようだった。
市場もそこで開かれるようで、荷馬車から荷物を下ろす人影がある。
「村が珍しいのか?」
「グラルの巫女が外出を許されることはほとんどありません。諸外国から摩瘴気を抑えて欲しいと要請を受けたときは遠出できるのですが、近年の碧双界ではほとんどそれもありませんでしたから・・・・」
「要請というと、魔人化した人間を元に戻してほしいというものもあるのか?」
「・・・・。外見は人間だった頃に戻せますが、魔瘴気に侵された精神を元に戻すことは不可能です。魔人化は真実人の死を意味します」
顔を陰らせたソスを見て、レザラは目を伏せた。
偶に起こる惨事にのみ外出が許されるなんて、想像するだけでひどく憂鬱だ。
ましてや、こんな少女がそれを担うなんて、やるせない気持ちになる。
「俺には我慢できんな。子供の頃は親の仕事の都合で、故郷と都を行ったり来たりしていたせいかもしれないが、とにかく同じ土地にいるのが落ち着かなくて、昔から旅に憧れた。新しいものがみたい。何かに縛られたくないってな。とはいえ、旅の始まりは最悪としか言いようがないものだったが、そこに自分の意思があるだけ良い方だな・・・・・」
長閑な風景を眺めて苦笑する。
新しい土地に行きたいといいながら、生まれ故郷のヴァビロンの村と眼下の村を重ねていたことに気付いておかしかった。思えば十年とは長い年月だ。
「定住しようとは思ったことはないのですか?」
「もちろんある。だが、移民を受け入れる体制の整った国っていうのは珍しいんだよ。ないわけではないが、このご時世、軍人でなくても国から戦争に参加しろって命令されることも多い。上下関係に縛られるのも嫌いだ。少なくとも依頼主が選べる傭兵の方がまだマシだと思った。基本的に仕事以外では自由だからな」
レザラの言葉に耳を傾けていたソスは俯いた。指が微妙に震えている。
「私は自分でものを決めたことがありません。摩瘴気に怯える国を救うとき、外に出るとき、着る服ひとつとってもままならない。全てグラルの長老たちが決めていました。大樹公に会いに行きたいというのも・・・本当は逃げたいだけ――――」
「どこに行ったかと思えば、ここにいたのかい!」
必至に言葉を紡ぐソスの言葉に被さるように、下からタポラの声が響く。窓から上半身を乗り出して、タポラが顔を出した。気づけば太陽も高くなっている。
「女将が朝食を食べるかって聞いてるけど、どうするね」
「すぐ降りる」
立ち上がったレザラはソスに手を差し出した。ソスは無言でその手をとる。
「故郷を捨てる覚悟があるなら、俺は手を貸すぞ」
「えっ?」
「ただ、自由は平穏の対極にあるものだ。お前の場合は故郷を失い、仲間をも失う。全てを捨てでも自分で選ぶ道がいきたいなら、必ず貫き通せ。それができなかったときは・・・・」
――――殺してやる。
レザラは最後まで言わなかったが、ソスは続く言葉を理解した。
「―――レザラさんはディーブス准将の歩む道をまず見極めるという目的があるのでしょう。私には考える時間がありますよね?」
ソスが晴れやかに言う。自然と笑みが浮かび、口元に手をあてて笑い声まで漏れてくる。
想像とは違う反応が返ってきて、レザラは少し首を傾げる。
―――ここは怖がるか慎重になるところだろうに・・・・。
「乗りかかった船だしな、国境近くまでお前を護衛してやるよ。それまで返答は待ってやる」
「絶対ですよ」
ソスの目は樹布に覆われ見られないが、お互いの目が合っていることを強く感じていた。
頭をかきながら「わかったよ」とぼそりと呟いたレザラは、「まいったな」と呆れた調子で呟く。
「嘘偽りない言葉と優しさに感謝します」
屋根からソスを下ろした際、耳元でぽつりとソスが呟く。
なさけないほど涙声で言うものだから、レザラはソスの頭をくしゃくしゃに撫でてやった。
ソスは鼻を啜りながら恥ずかしそうにして階下を降りて行く。
ソス見送ると、寝台に足を組んで座っているタポラが、物言いたげにレザラを見上げていた。
「なっ、なんだよ?」
「人が良すぎる。だいたい、何の不自由なく生きてきた人間に、簡単に自由なんてものをひけらかすもんじゃないよ。自由がなかろうが、思い通りにならなかろうが、彼女は今の幸せに気づかない時点で問題だよ。幸せを知ることができない者は、自らの人生を選択する苦痛に、何の意味も見いだせないもの」
タポラのお説教にレザラは首を竦める。
お説ごもっともなので、反駁しようがない。そこへ、なかなか降りて来ない二人を呼びに現れたトーダが、腕を組んで立っていた。
「少なくとも、巫女殿の未来を二人が選択する権利はあるまい。早く降りてきなさい」
それだけ言うと、トーダはさっさと下へ降りていく。
残された二人は気まずそうに視線を交わすと、急ぎ足でその後を追った。