月夜の監獄破り6
レザラは、タポラに「どうする?」と視線を送る。
「私に捕まって!飛び降りるよ」
いつの間にか、足の鉄球を外されたソスがタポラに背負われていた。
新しい砲弾が頭上を飛んできたので、レザラはスライディングでタポラに近づくと、袖をつかんだ。
タポラ達は空いた壁から飛び降りる。
落下したら間違いなく即死だ。
タポラは口をもごもご動かすと、風船のような玉がぷぅっと膨らみ、落下地点に《熊風船》のマーヴがプルルンと巨大化して出来上がる。
数秒もおかず、巨大風船に落ちた三人は、バウンドして一度空中を浮遊すると、難なく地面に降り立った。
どよめく兵士達を無視して、一目散に回廊を駆ける。
「どっちに進む」
狭い廊下のため、前方を塞ぐ兵士をレザラ一人で撃退し、後続の兵をタポラがマーヴで抑えてひた走る。
「この廊下を左にずっと進んだ先に、緊急脱出用の船着場がある。そこの船を奪おう」
タポラの言う船着場はそれほど離れていなかった。
監獄の裏手に出ると、小さな木造船が一艘、波に揺られて停泊しているのが見えた。
兵も黙ってこちらが乗り込むのを見ているわけではないので、要塞と化した監獄からは、銃弾が雨のように浴びせられる。
近くの岩礁に身を隠しながら、突き進むと、何とか船に乗り込んだ。
小さいとはいえ、帆と舵が備えつけられた立派な船だ。
ソスを船倉へ入れると、タポラは指に風を纏いつかせ、指をくるくる回し、近くの岩礁に向けて放った。
強い追い風を受けた反動で、帆柱に上って帆を開いていたレザラは、船首楼の甲板に叩きつけられてもんどりを打つ。
縄梯子に捕まりながら上体を起こすと、暗闇に浮かぶ監獄の明かりが遠ざかっていく様子が見受けられた。
向こうも混乱しているのか、今のところ追ってくる気配はなさそうだ。
タポラは右手で《鎌風》を発現させて風を帆にあて、左手で舵を器用に動かして船を操っている。
心なし蒼白なのはやはり潮風のせいなのだろう。
屈みながら、船を操縦する姿はどうも緊張感に欠ける。
「なんだ、出てきたのか」
甲板に顔を出したソスを認めて、レザラは声を掛ける。
「暗い所と、狭い所は苦手なんです」
「それはそうだろう。あんな所に閉じ込められていたんだからな」
絞り出すように言葉を紡ぐソスが憐れに感じ、レザラはソスに近づこうとしたが、ソスはじりじり後ろに下がっていく。
それを見て、さらに大股でレザラが近づくと、ソスは船尾に追い詰められて、後ろに足場がなくなった。
見るからに動揺して、逃げるところがないかときょろきょろしている少女をしばらく観察していたレザラは、少女の頭にポンっと手を乗せる。
そして、かき混ぜるようにくしゃくしゃ髪を撫でた。
ソスは耐えるように手を組んで、じっとしている。
憐れに思うほど、ぎゅっと我慢している様子なので、気になったレザラはさっと少女の顔を隠している布を剥がした。
「あっ!」
「ちょ、ちょっと!!」
タポラとソスは叫びに似た声を上げる。
「あっいったっっぅっっ」
レザラの目に飛び込んできたのは、光を吸収した青々とした木漏れ日の緑だった。
それがソスの双眼であると認識すると、眼球の裏側を、思いきりたわしで擦ったような痛みが走り、目を抑えて蹲る。
火花が散ったように、目の前がチカチカする。
・・・・なんだ?この痛み・・・・
腰の夕霧が主の危機を感知して鞘から飛び出しそうになるのを、両手で抑え込む。
目の前の少女に対する殺意を太刀から感じ、膝をついて柄を押さえつけた。
目を閉じても、緑の双眸が浮かびあがり、吐き気までしてきたが、首を何度か振ると治まった。
それと同時に夕霧も大人しくなる。
レザラは痛みで脱力し、甲板に寝そべると、大きなため息を吐いた。
「あの・・・・大丈夫ですか?」
白い布で顔を覆ったソスが、おずおずとレザラの脇に膝をつく。
信じられないとでも言うような響きがして、レザラは眉を寄せる。
「なんだよ、あれ?マーヴなのか・・・?」
怒気を含んで問うと、タポラがわざとらしく咳払いする。
「封印――樹布を、そんな簡単に捲ってはだめだよ。普通の人間なら目玉が破裂するところなんだから」
「破裂?人の目玉を熱した卵のように言わないでくれ」
タポラが露骨に明後日の方を向く。
ソスは俯いて何か考えた後、慎重に言葉を発した。
「赤双界の方は基本的にグラルの巫女について知らないと噂には聞いていましたが、それは本当だったようですね・・・・」
「グラル・・・巫女?聞いたことねぇな。今の痛みと関係があるのか?」
「グラルは碧双界の生源郷の村『モル』に住む、神々の末裔といわれる種族です。そしてグラルの巫女は、グラルの中でも限られた血筋の女子一名に授けられる称号です。巫女は、摩瘴気を利用しない聖樹法という力を有していて、ガディナに漂う摩瘴気を抑える役目が与えられます。私は五つのときに、先代の巫女からその役目を引継ぎました」
「・・・聖樹法ねぇ聞いたことないな、この目の痛みと何か関係あるのか?」
「巫女の巨大な力の源は、両目です。継承の儀式は、先代の巫女から次の巫女となる少女へ、目玉を交換することで完了します。だから、簡単に目玉を奪われないように、古の時代より巫女の目には相手の目を破壊するマーヴがかけられているんだそうです」
「グラルの巫女に選ばれる少女は巨大な聖樹法を受け継ぐために、生まれ持ってマヴィを持たないことが条件だ。お兄さんは巫女の血筋でもないのに、極めて珍しくマヴィがないみたいだし、それで無事だったのかもしれない」
「・・・ちょっと待て、つまり下手したら目玉が破裂してたのかよ。そんな恐ろしいことをなぜもっと早く言わない?」
「いやぁ、すまないねぇ。でも、言う暇もなかったし・・・たぶん」
タポラはおどけて見せるが、レザラは頭を抱えた。
察するに、教えるつもりが毛頭なかったのだろう。
実際グラルの巫女とやらが、どれほどの力を持っているのかわからないが、摩瘴気を抑える力が事実あるというのなら、このご時世、クラビスどころか皆が手に入れたがる力であるのは間違いない。
癪にさわるが、タポラが強固に秘密主義を通した理由はそこにあるのだろう。
「クラビスに巫女が拉致されたということは、その同胞のグラルは怒り心頭だろうな。監獄にあった封印は対グラル用だったというわけか」
「さすが!ご名答。腹の立つ話だが、クラビスは大した悪党だよ。ヴァビロンの赤い罪日の後、使節団は碧双界の知識を貪欲に求め、グラルの巫女の存在を知った。そして、各国が水面下で暗躍を企てる中、遂にクラビスは一計をめぐらして、見事ソス様を手中に収めたんだ。しかし、それはグラルの怒りを買うことでもある。グラルの使命はガディナを守ることだといわれているけど、人間達の自然破壊行為は目に余るものがある。そこへ、グラルの至宝ともいえる巫女をあろうことか人間に奪われてしまったんだから、角を生やしながら巫女奪還を狙うのは当たり前だね」
「アンタに支持を与えている大樹公とやらは、巫女をどうするつもりなんだ?」
返答によっては切るつもりで、レザラはゆっくり夕霧を鞘から抜く。
しかし、タポラは舵に頬を乗せた状態で、面倒そうに首を横に振った。
「・・・この方は緑化人です」
ソスはレザラの肘を遠慮がちに引く。
レザラの殺気に恐怖したのか、小さな白い手が震えていた。
「何の心配もありません。なぜなら、グラルがガディナの守護者なら、緑化人はガディナの欠片。緑化人の長である大樹公は、太古の昔より地に根をはり、ガディナを見守り続けてこられた、ガディナそのものともいえます。それに従う緑化人は草木から生まれた種族で、大樹公とともにガディナの調停役として、人を見守り導くのが役目だそうです。碧双界にグラル、赤双界に緑化人が配されているのは、おそらく摩瘴気を残した神々が、生きとし生きるものの今後を憂いての采配ではないでしょうか。そんなお役目を持つ方が、グラルの巫女である私に危害を加えるとは思えません」
指に力を込めたソスは、そう力説する。
だが、潮風に身を丸める奇妙な御仁が、そんな高潔な種族には到底見えるはずもなく、思わず腰ほどしかない子供を疑いの目で見てしまう。
幼少の頃、アンバルであった両親や村の大人はことある毎に、『無闇に木を手折ってはいけない。花を抜いてはいけない。これらは全て我らを守り導くものであるのだから』と子供を諭した。
大人達もなぜそう伝えているのか既に解らない者が多いようだったが、ヴァビロンの民が代々子孫に伝え続けてきたことだ。
しかし、ある時都のシャプールでは、人に花を贈るのが流行りだし、レザラもそれを聞いて花を摘んで母親に渡そうとしたことがあった。
それを見た父親が『これらは神から人類への贈り物。頂いた物を誰かに捧げるものではない』と言ってひどく怒る出来事があった。そのときは、意味がわからないと腹を立てたレザラだったが、ソスの話が真実だとすると、大人達の教えは実は重要な意味を帯びていたのではないだろうか。
「・・・・そんな使命を持つ種族がいるなら、なぜ、ヴァビロンの赤い罪日が起こったんだ」
「大樹公は創生の時代から根をはる大樹。だから、聖樹法が使えても、その場から移動することが叶わないお方だ。変わりに我々が、人々に紛れ込んでちょっとばかし時代の潮流を修正する仕事を担っている。ただ、ヴァビロンについていえば・・・・」
そこでしばし考え込む様子で、タポラは押し黙る。
「・・・かの国は我々にとって予想外のものだった。数々の失敗を繰り返した碧双界の民族であるにもかかわらず、代替わりしたら簡単に摩瘴気の危険性を忘れた。都合の悪いことは忘れる。これは人の美点であり汚点だ。そして、今回のクラビスの動き・・・人の欲望は愚かしいほどに加速し続ける」
不意に真面目な顔をしたタポラは、眩し気に朝日が昇る水平線を見つめた。
もともと草というなら日の光は喜びに値するものだろうかとレザラは考え、妙な人種に出会ってしまったものだと半ば後悔していた。
溜息交じりに胡坐を組んで座ると、タポラと同じように漫然と日の光を眺めた。