月夜の監獄破り4
牢獄への侵入は想像以上に簡単だった。
内通者がいるようで、警備の人数や施設内の構造など、タポラは全て把握しているようだった。
黒い煙幕をはって小舟で回り込むと、闇夜に紛れて牢獄の周壁を登り、内部に侵入した。
タポラは背負っていた袋から、白光の鎧を取り出して身に着けると、兵士に扮する。
一方、レザラは連行される囚人を演じるはめになった。
しばらくして、タポラに槍を突き付けられながら廊下を進むと、囚人が収容されている四塔に繋がる回廊を見下ろすことができた。
回廊の先には塔の入口があり、周囲に松明がたかれ、兵士数人の影が浮き上がってみえる。
「まるで要塞のような監獄だな」
石積みの監獄は、囚人を収監する四つの塔が設けられており、それを囲むように看守、私軍兵が駐屯する兵舎などが設けられていた。
そして外周には大砲や見張り台などがあり、まるで外敵から身を守るように厳重だ。
「元々ここは領主宅の要塞だったらしいよ。だけど、領主が新しい館を別に構えたから、監獄にしたという噂だ。何にしても魔性狩りを奨励すると囚人が自ずと増えるから、昔は余っていた牢内が今では満室。最近は静まっているけど、反発した一部の反政府組織がデモを起こして監獄を取り囲む事件があったから、領主の私軍兵が念のため警護にあたっているんだ」
「人を守っていた要塞も、今では恐怖の象徴だな」
静まり返った闇夜に浮かび上がる殺伐とした兵士達の姿に、思わず溜息が漏れる。
回廊の柱には等間隔でランプが並び、導べの如きランプの光が塔へ続く。
静まりきった中、光に沿って歩むと、十二層立ての塔が地面から生えたように悠然と聳えていた。
「ここまでは予定通りというところだね」
タポラは耳元で笑いながら呟く。
懐から一枚の書類を出して門番と二、三言葉を交わすと、重々しい監獄の門扉が地響きをたてて開かれた。
塔内部は中央に看守部屋や階段が設置されており、それを囲むように牢が配置されている。
饐えた匂いと、鼻がマヒする体臭と血臭。
排泄用の桶の中からは虫が湧いているのか、羽音が煩い。
囚人の鼾、すすり泣く声、拷問の痛みで唸る声が反響し、悪夢のような悲壮感が充満していたが、レザラとタポラは散歩でもするように黙々と上を目指す。
「まったくなんて厄日だ」
レザラは思わず小声でぼやく。ぼやかずにはいられなかった。
五層辺りで看守の声が聞こえてきたので、レザラは耳をそば立てる。
見ると見張り部屋の木戸が少し開いている。
鎧をきていないため、私軍兵ではなく看守のようだ。
「お前今日の勤務時間は何時間目だ?」
「一五時間目だ。拷問もないし、退屈極まりない一日だ。あぁ腹減った」
「かぁー、俺は二三時間目だぞ。狂爪のディーブズ准将閣下の来訪で、我が物顔の私軍兵共が少なくなったのは良かったが、隣村に摩鬼の襲撃があってさらに人手が減り、看守達も集団食中毒。嘘みたいについてないぜ。ずっと厠勤めのトマスには、今日の借りはぜってぇ返してもらわないと許さねぇ」
「お楽しみは料理長だ。あの赤っ鼻は今回の件で、しばらくこちらに住まうことになるかもしれねぇって話だ。しばらく鼻を膨らませてひぃひぃ言わせてやろうぜ」
下卑た笑い声が完全に聞こえなくなると、前を行く猫背のタポラに向かって忌々し気に声をかけた。
「・・・・えげつないことしたもんだな」
「おや、何のことだね。念のために言っておくけど、隣村に摩鬼が現れたのは知らないよ。狂犬将校相手に大人しい民衆の牧羊犬は、右往左往。檻の獣を気にかける余力がなくなって大助かりな日だよね。念のためにもう一度言うけど、隣村の摩鬼は私も知らない」
「はあ、そうですか。厠も満室なんて、盛況な牢獄でけっこうなことだよな。料理長も可哀想によ」
タポラは溜り兼ねたように腰をおると、口を押えて「ひひひ」と笑う。
その姿に中身は大した悪党だなという感想を持ったレザラは、看守の話に出た狂爪のディーブズという名を思い出して、自然と渋面になる。
「狂爪のディーブズ・・・・」
徐にタポラが呟く。
まるで人の心を読んだようなタイミングだった。
タポラは上機嫌にひぃひぃ笑うのをやめて、内緒話でもするように声を抑えた。
「クラビスの子飼いの将で、アルサス王死後、軍の変革で突然出世した若き狂人だ。その戦闘能力は鮮烈、気性は激烈というこの軍人は、南方の守護者バラクス領主とのレアズピークの内戦では領民全員を谷底に落として皆殺死にし、非難する味方を惨殺したことで内戦を終結させた。その後軍法会議にも出頭せず、クラビスの計らいによりお咎めもなし。まさに、現状のオルレイア軍部の悪の象徴たる人物として周知されている」
すらすらタポラは何でもないように説明する。
オルレイアの軍内部まで精通しているかのような迷いない口ぶり・・・・。
一体前を行くこの猫背は何をしようとしているのだろうと、レザラは関心を持たないでもなかったが、思考をそこで止めた。
依頼主の思惑を考えるのは傭兵の仕事ではない。
「狂爪とは一度すれ違ったことがある。オルレイア首都ハバンの某地方貴族の別宅でな」
「よく殺されなかったね。噂では、気に入らない人間は首が飛ばされるらしいけど」
「ふん、すれ違っただけで殺されるなんて御免だね」
庭園のテラスで目にした長身の男を思い出す。
―――――灰がかった金髪、死んだ目をした童顔の軍人。
身のこなしや気配から、手練れであると一目見ただけで確信し、館内の者に男が何者であるか聞き出した。
あれが噂の男かと思ったものだったが、それにしても、前回の依頼主であるその貴族様はクラビスの番犬に何の用事だったのか、今になって気になるところだった。
「ディーブス准将と言えば、素性の知れない謎の多い男だよ。我々の調べでは一部の貴族と何か繋がりはあるようだけど、あの男は怖いだけでなくて慎重だからね。ちと、こちらも骨が折れるやっかいな男だ」
そうこうやり取りしているうちに、最上層まで辿りつく。
他の階層と違って物音一つしない。
見張りの看守部屋にノックしたタポラは、木戸を開けて出てきた看守を思い切り引き寄せると、首筋に手刀を打って眠らせた。
鮮やかなその手並みは、それだけに留まらなかった。
筒を持つように拳を握って口元に寄せると、ふぅっと息を吹きかけて、瞬時に《夢絃香》という眠りのマーヴを発動させた。
桃色の風がタポラの拳から出現し、内部にいた看守数人は派手な音をたてて、床に沈む。
穏やかな寝顔の看守は夢の中だ。
「一人でも上手くいったんじゃないのか」
「さあ、それはどうだろうね」
タポラは看守から鍵束を盗み取ると、鎧を脱いで上着のポケットに突っ込む。
中に入っていたそれが邪魔だったらしく、適当に部屋に投げ捨てたタポラは、牢獄側の扉を開けて部屋を出ていった。
部屋に残ったレザラの足元に、タポラの捨てた白い一枚の紙が落ちる。
―――罪状:貴族への窃盗と殺人―――危険度:S。
それは、塔に入る前にタポラが看守に見せていた書類の一部だった。
偽の罪科の羅列に、レザラは思わず鼻で笑う。
「・・・・一夜で一級犯罪者か、悪くない。それで四塔に堂々と侵入したわけだ」
役所の書類を偽造するには時間が必要だが、罪人の特徴という項目には【赤髪・赤目】ときたものだ。
こんな辛気臭い場所で鼻歌でも歌ってやりたい気分だ。
紙を踏みつけてタポラの後に続くと、牢獄側の廊下に出た。
囚人の姿が見えない鉄扉が並んでいる。
廊下の突き当たりを見やると、ぼんやり緑色の光が網膜を刺激する。
「あれは?」
レザラは碧筒からランプと火打石を取り出して火を灯そうとすると、タポラがそれを制止する。
《光蝶》と呼ばれる初級マーヴを唱えると、光る蝶がレザラの周りを舞った。
視界が明るくなって緑の光に近づくと、その向こうに覗き穴がついた鉄扉があることがわかった。
その扉の前に緑色の文字が光を放ち、渦を描くように平面を浮遊している。まるで薄い緑の壁だ。
「名もわからない封印のマーヴだよ。何者がきても侵入を許さないように、扉の前に壁を作っているのさ」
「あの部屋にソスって子がいるのか?」
タポラは珍しく真面目な顔で頷き、品定めをする顔で問題の壁に近づいていった。
「あの子を捕えるように命じたのは宰相クラビスだ。クラビスにとってソスは大事な駒だ。捕まえて首都に護送するまで警護も入念ってわけなのさ」
「逃げないようにではなく、何者にも侵入を許さないように・・・か。クラビスが念の入ったマーヴを使って警戒している相手は誰なんだ・・・アンタ?」
「残念ながら違うよ。私たちはクラビスとも、クラビスの警戒する者達とも違う。言わば中立の立場だと思えばいい」
「その相手は・・・・と訊いたところで答える気はないようだな」
タポラはふふっと含み笑いをして頷く。
忌々しげに舌打ちしたレザラは、溜息ひとつで気持ちを切り替えた。
鉄扉の向こうには確かに人の気配がある。
レザラは眉を顰めたまま、封印のマーヴに近づき手を伸ばすが、タポラの言葉で急いで手をひいた。
「やめときなよ。腕が壊死しても知らないよ」
「物騒なことは早く言ってくれ。それと早くこのマーヴを解かないとヤバそうだぞ」
レザラは背後の通路を見つめて目を細めた。
濃厚な人の気配が数体近づいてくるのがわかる。重々しいが、足音を殺すような動きではない。
肉体を鍛えている人間で、看守でもないようだ。
「誰か来る。これを解く方法は考えているんだろうな」
タポラに視線を向けたレザラは、意味ありげに笑うタポラを凝視する。
「・・・まさか・・・・」
「これを解くのは私じゃないよ。こんな何人もの腕の良い魔導師が作った封印を、私のマヴィで解けるはずがないよ」
「ちょっと待て、その流れからすると、もしかしてこれを破るのは・・・」
「お兄さん」とタポラがレザラを指差す。
濃密な闇の中で浮かび上がるタポラは、奇妙に落ち着いた表情でレザラを眺めていた。