無知という罪、目を背けるという罪
さっきから、一定の間隔で水が滴り落ちる音がしていた。
鼓動に合わせるようで、どうにも急かされる気分になる。
なのに、指先も瞼も、ぴくりとも動かないのはどうしてだろう。
耳だけが、規則正しい音色を追っている。
金物や石にあたる、乾いた水音ではない。
水が、水に交じり合う音だ。
そう思ったとき、額に冷たいものが触れた。
「・・・」
声を出そうとした喉は乾涸びていて、僅かに息が搾り出されただけ。
口蓋にへばりついた舌がねばついて、嘔吐しそうになった。
「ああ、寝ていてください」
真綿のようなやわらかい声がする。
その段になって、視界が暗いことに気がついた。
渋る目を開けても閉じても、ほとんど変わりがない。
「こ・・・こ、は・・・?」
「地下洞窟です。砂嵐に巻き込まれて倒れていたあなたを、私の村の者が見つけて、ここへ運びました」
砂嵐、と口が動く。
そうだった。
突然背後から砂嵐に遭って、驢馬の手綱を放した。
乱流と砂の雨にもみくちゃにされて、その後の記憶がない。
「たすけて、もらったんですね。ありがとう」
いいえ、と答えた声が、少し下がる。
動きにつれて、どこか暖かい香りがした。
「もう少し寝てください。そうしたら、お食事でも運びます。たいしたものはありませんけれど」
謝辞を乗せようとした舌が、またもつれる。
「無理はしないで。ゆっくり休んでください」
押しとどめた掌はしっとりと冷たく、ぼんやりと霞んだ意識に快かった。
「様子はどうだ」
押し殺した声音で聞かれて、無意識に肩が竦んだ。
「また、眠りました」
そうか、と獰猛な獣を思わす声が息をつく。
「香はあの量でいいだろう。明日の朝まで焚きつづける。お前は備えて眠れ」
「・・・はい」
首肯して、足早に洞窟を離れた。
底冷えのする部屋に帰り、手燭に火をいれると、獣脂の臭いがひどくたちこめる。
むせかえるようなその臭いに眉を寄せながら、傍らの襤褸切れをかき寄せた。
がたがたと震える体に、薄汚れた繊維を巻きつける。
明日。
明日の黎明には、すべてが終わる。
沐浴をして、明星の女神に祈りを捧げ、古びた宝剣であの首を刎ねるのだ。
里者は贄。
この朽ちた遺跡の残骸に棲む者たちにとって、それは人ではなく雌牛や子羊と同じものだった。
遥か昔、陰謀によって貶められ、王宮を追われた貴人たちは、民人を、この世を呪い、報復を誓った。
彼らを砂漠へと追いやった民を殺し、その血と千の首を冥府の王に捧げると。
明星は、一つ首を捧げるたびに輝きを増し、いまや月輪よりも晧晧と地を睨む。
搾り取った血を注ぎかけ続けた石柱は、妖しく脈打ち蠢き出している。
最後の贄を屠ったとき、冥府の王は呪詛に応じて炎を降らすだろう。
大地は割れ、海は逆巻き、世界は滅びるだろう。
慄く体を、わなわなとおぼつかない両手で抱きしめる。
---知らない、知らない。
---自分のせいじゃない。
---迷い込んできたあの人が悪い。
先祖の犯した罪も知らず、ここへ辿り着いてしまった者が悪い。
髪を掻き毟り、ごわついた服に爪を立てる。
---知らない。
---なにも知らない。
---知りたくない。
明日のことなど、考えたくなかった。