空を仰いでも、月はない
甲高い音がして、空の薬莢が石畳に跳ねた。
それを、硬い軍靴の先で蹴る。
涼やかな金属音。
あまりにも場違いな。
「御機嫌斜めですか」
口の端にしわくちゃの煙草を噛みながらの、笑い含みの声がした。
「・・・そうでもない」
「楽しくて歌い出したいって気分でも、ないでしょうが」
暗に込めた、来るなと言う意思表示を、相手は無視して隣に立った。
「たくさん死にましたねぇ。敵も、そうでないのも」
「味方じゃないのか」
「敵の敵は味方、って思えるほど、無邪気じゃないんでね」
せせら笑う声に、昏さはない。
たしか、立っていられるような体ではないはずなのだが。
「煙草は毒だぞ」
「なにを今更」
手遅れですよ、と嘲笑ったのは、現状に対する認識なのか、ただいつもの癖なのか。
「あー、月ぐらい見えて欲しいもんですね」
「今日は満月に近いだろう。月なんか出たら、夜襲かけられるぞ」
「いいじゃないッスか。お月見しながら討ち死になんて、オツなもんでしょ」
闇に低く響き合う聲。
「雨の中ってのもいいけど、泥だらけになっちまうからなァ。太陽の下より月夜のほうが、色気あるじゃないですか」
「詩人だな」
「お褒めに預かり恐悦至極」
皮肉に軽口で返す、いつもの応酬。
だが、そう長くは続かないだろう。
「あと、何人だ」
「5人ですよ。俺たち入れて」
そうか、と答え、膝の上に横たえたライフルを押さえる。
使いこみ、使い古した三本めの腕。
あとは壊れるだけの。
「ここまできたら、あとは本国からデカい大砲飛ばしてくるだけでしょうな」
「海の向こうから、たった5人のためにか?」
「こっちの人数なんて把握できてないでしょ。島ごと潰す気で、ミサイルぶち込むんじゃないですか。こっちからさきにやってもいいけど、それじゃ面白くないし、どうせなら正当防衛になったほうがいい」
「そうなったら、向こうもお終いだけどな」
ぼそりと呟けは、なにが楽しいのかこらえきれない様子で笑う。
「見てみてェなァ。本国の馬鹿どもの阿呆ヅラ」
「確かにな」
言って、思わず笑みがもれる。
「ああ、でも、ホントに月が見たいな」
「月が好きなのか」
「アンタの次ぐらいにね」
「よく言う」
「ホントですよ」
「・・・光栄だ」
憮然と口を曲げても、相手はかまうことなく空を仰いでいる。
「夜に飛ばしてくれるってことは、ないだろうなぁ」
「そんなに月が見たいのか」
呆れて聞けば、静かな声が答えた。
「あの銀の紗みたいな光がね、こう、身の内の澱を、全部清めてくれるような気がするんですよ。それと」
じゃり、と音がして、火のついていない煙草が踏みにじられた。
「女の名がね、月と言ったんで」
月に帰っちまった、女の名がね。
ああ、と漏れたのがなんなのか、自分でもわからなかった。
「そうか」
「まあね。ガラでもないですが」
無残な女の骸を抱いて、天を罵った男。
思えば、それが踏み出すきっかけだったのか。
こつんと、踵で石畳を蹴る。
「夜がいい、か」
「夜がいいですねぇ。できれば、今日明日あたりの」
昼じゃ、花火も見えづらいし。
「盛大な花火だな」
そう言って笑う。
冷たくも乾いてもいない、ごく普通の笑いだった。
多分、世界を壊すのは、自分たちだろう。
今、この足の下にある物は、それだけの力を持っている。
空を覆い尽くす、暗灰色の雲。
この星に生きとし生ける者すべてを奪う、それは醜悪な花火。
そうわかっていてなお、後悔はない。
壊れてしまえ。
消えてしまえ。
かたちあるすべてのものと同じように。
終わりのないものなどないのだから。
狂っているのかもしれない。
それでも、だからこそ。
迷いはなかった。