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もうあの頃には戻れない、自分

 

 

 右足がたたらを踏んだ。


 くぐもった音を立てて、足元の鉄の板が鳴る。

 均整を失って手摺にぶつかると、螺旋を描いて立つ階段が軋んだ。

 喘ぐ喉を落ちつけて、這うようにのぼる。

 開いた右手から、鈍く光るガラス片が落ち、幾階か下の踊り場にあたって音高く飛び散った。


 鉄棒で砕かれた右の膝は、もうただ重いだけになってしまった。

 泥まみれのワンピースは肩口から裂かれ、貧相な乳房が丸出しになっている。

 その肌も、折檻の痕で汚く荒れて。

 自慢だった髪も脂じみて乱れ、白桃と誉められた頬はただ青白くこけて見苦しいことこの上ない。


 殴られ、罵られ、いいように扱われた。

 投げ与えられる残飯すら手に入らない、豚や野良犬より劣る暮し。

 限界は、津波のように膨れ上がったなにかにはじけとんだ。


 叩き割った窓。


 その一番大きな破片を、あいつの腹に突き立てた。

 泣き叫びながら悶絶する恰好が可笑しくて、背といわず尻といわず、滅多矢鱈にガラスを振り下ろした。


 あいつの悲鳴。

 自分の嬌声。


 血まみれになって動かなくなった肉塊を置き捨てて、部屋を飛び出した。

 

 外へ、外へ、上へ。


 髪を振り乱し、血みどろで走る自分に、すれ違う誰もがなにか叫んだが、何一つ耳には入らなかった。


 上へ、上へ。

 

 のぼりつめた螺旋階段の果ては、群青と緋のないまざった絶景。


 銀砂のまきちらされた空と、細く切り取られたような透明な月。

 目を射るように鮮烈な、黄金の太陽。


 吐息は哄笑に変わり、冷たい大気を震わせる。



 嬉しくて嬉しくてたまらない。


 腹の底から笑いながら、その空へ向かって身を躍らせた。 




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