監禁ごっこ
私のお父さんは、漫画や現代小説に出て来る、主人公の様な存在らしい。
高校時代、お父さんの周りには綺麗な女の人が沢山いて、その女の人全員がお父さんを愛していて、物語的に言うのなら、お父さんは最終的にメインヒロインと結婚して、私が生まれた。
私はお父さんが17歳の時に生まれた子。お父さんの周りには嘘みたいに良い人ばかりで、私が生まれてもその人達に手助けされながら私を育てて、手助けされた御蔭で高校も止めずに卒業まで通った。
私は同年代の他の子とは違う思考を持ち、同年代の他の子とは違う言動で話す、変な子に育っていった。
そして月日が流れ、私が7歳、お父さんは24歳になったある日、私はお父さんと一緒に監禁されることになった。
犯人は、高校時代にお父さんと恋愛関係で色々あって、刃傷沙汰にまで発展した、少し狂ってるけど綺麗な女の人。
森林に囲まれた、木製の小屋に、お父さんは逃げられないよう鎖で繋がれてる。私は繋がれてない。子供の力じゃ人里のある所まで行けない場所にあるんだと思う。
……確かに、私のか細い脚じゃ、獣道を長時間歩くなんて無理だけど。
それに、さっきも言ったけど私とお父さんを監禁している女の人は、“狂ってる”。女の人は私を、自分とお父さんの子供だと思ってる。
お父さんを寝取られた恋敵である女の子供なのにね。私はあの女の人に同情なんてしないけど、好意は向ける。
私はまだ他人を好きなったことなんて無くて、何年も同じ人を愛し続けるこの人が、とても凄い存在に見えるから。
この物語における私の呼称は『傷痕』。忘れないでね? 私の思考や言動は年相応じゃないから、この呼称を忘れると、私を認識できなくなるから。
「……すまない、傷痕」
それが鎖に繋がれてやつれているお父さんの口癖だった。
男と女の交わった、精液の臭いがこびり付いた部屋。あるのはベットとお父さんのご飯を乗せるおぼん。それにお父さんを繋ぐ鎖だけの、人を醜く思わせる、そんな部屋。
女の人がこの部屋に入って数時間出てこなかった後は、この臭いがキツイから、女の人がこの部屋に入ってしたことは、明らか。その行為自体は知ってるけど、それをする意味を私は知らない。
お父さんは、女の人が用意するご飯に手を付けない。その行為は正解。女の人が薬を粉末状にして料理の中に入れたのを目撃してる。私はお父さんに生きていて欲しいから、女の人の目を盗んでお父さんに薬が入る前のご飯をあげる。
手は使えないから、スプーンやフォークを使って、食べさせてあげる。スプーンとフォークは抵抗させない為か、金属製の物は無く、全てプラスチック製。お父さんは最初、それに期待していたようで、私にそのことを告げらると悲しそうな顔をしてた。
お父さんはご飯をあげているとたまに、口癖の後も謝ることを止めないことがある。涙を流して、顔を歪ませて、俯き、嘆く様にひたすら「ごめんな」って言い続ける。
その度私は、
「私のことより自分の心配をして。そんなに逃げたいなら私が……」
逃して、あげるから。とお父さんの頭を撫でる。繋がれているせいで体を洗うことも出来ないから、髪はゴワゴワ。だけど、精液の臭いという名の悪臭の中で、お父さんの臭いも嗅ぐことが出来たから、私は嬉しかった。
この小屋には電気も通っていて、キッチンやお風呂、ガスも使える。私はあの女の人と一緒にお風呂に入ることが多かった。女の人が一緒に入りたがったから、私は了承したの。
女の人は、私を優しく洗ってくれる。全身隈なく、まるで一番の宝物である宝石を扱う様に。私は体を洗われる時に感じる女の人の肌の温もりも、好きだった。
それに、女の人は化粧をしてなくても綺麗で、とっても綺麗で、私はこんな綺麗な人になりたいって思った。心の底から。
女の人にそのことを言ったら、抱きしめてくれた。女の人は「嬉しいっ!」って喜んでくれた。
一週間が経過すると、女の人は完全に私が自分の子だと思い込んでいた。最初から、そう思っていたけど、そうじゃなくて、女の人から見て私は、完全に女の人の子になった。
それに伴って女の人は、私に『お母さん』って呼んで欲しがった。最初は『ママ』って呼んで欲しがったけど、それは私が嫌がった。
「ねえどうして『ママ』って呼んでくれないの?」
「だって恥ずかしいもの、いい歳して『ママ』だなんて。お母さんだって気持ち悪いと思うでしょ? いい歳した子が『ママ』なんて呼ぶ光景は」
「えー、だけど……」
「子供にはよくあるのよ? 意味も無く“親”に反抗したくなることが」
私が“親”を強調したのは意図的だ。だってこの人は親になる事に憧れてる。幸せな家庭を築くことに、憧れてる。
女の人、もといお母さんは、私のその言葉で折れた。渋々という感じの言葉を使っていたけど、その声は嬉しさを隠しきれてない感じだった。……もしかしたら、心の底では気付いているのかもしれない。
これが、この私とお母さんとのやり取りが、『ごっこ遊び』でしかないことに。
でも多分、お母さんはそのことに気付かないフリをし続けると思う。この状態が続く限り、永遠に。私がそう仕向けた。私の身の安全を守る為という最悪な理由で。
……そして、更に何日かが過ぎたある日、事件が起こった。
事の始まりは、お母さんがお父さんの部屋に閉じ籠ってから数十分が経過した時のこと。私はお父さんに食べさせる薬が入る前の水と食料を調達し、隠していた。食糧と水を隠し終えると、何時も私は何でも無いように振る舞うのだけれど、この日は違った。
何時もなら部屋の前から聞こえてくるお母さんのあえき声が聞こえず、代わりにお父さんとお母さんの怒声が聞こえて来た。
「傷痕は私と貴方の子よっ!!」
「違う……違う! 何を言ってるんだよ……正気に戻ってくれ、■■!!」
お母さんの名前は、どうしてか分からないけど、私の耳に届かない。脳に伝わらない。……私にとってお母さんはお母さん。そういうことなんだと思う。
何かの弾みに、私が誰の子か、なんていう話になったんだと思う。怒声から、それ位分かる。……あまり良い状況とはいえない。お母さんはいつもだけど、お父さんまで感情的になってる。
お父さんは主人公。なんでも何とかなって、最終的にはハッピーエンドを迎えることの出来る人。昔からそういう人生を送って来たこの人だから、考え無しに発言する。少し考えれば分かる筈なのに。お母さんがそう勘違いしている間は、私が大丈夫だということを。
「私は正気! 貴方こそ正気に戻って!」
「違う! 違う違う違う! 狂ってるんだ……お前は……!」
まずい、と私は思った。その思考が正解であるかのように、怒声が聞こえなくなり、沈黙が訪れる。そして沈黙を破ったのは、お母さんの不気味な笑い声。
「フフフフ……分からない人。…………分からせて、アゲナクチャ」
お父さんの、恐怖に歪んだ声が聞こえてくる。恐らくお母さんが持って入った包丁を向けられてるんだと思う。
……この監禁されるっていう状況を作ったことも含めて自業自得だけど、それでも私のお父さん。大好きなお父さん。助けなきゃ。お母さんは多分、弾みでお父さんを殺しちゃう。
私は、今迄お母さんが居る時は決して開けなかった部屋の扉を開き、血走った目をしたお母さんと、恐怖に顔を歪ませたお父さんを見た後、お母さんだけに目線を合わせてこう言った。
「お母さん、何やってるの? 私、喧嘩嫌いだよ?」
次の瞬間、お母さんは包丁を足元に落とした。そして私に力一杯抱き付いて、嬉しそうに「ごめんね」と言い続ける。
私は、お母さんに抱擁されながらも、何とか包丁を手に入れようとするお父さんを睨み付ける。安易な行動はしないで。そう、訴えかけるかのように。
「お詫びに私が傷痕を綺麗にしてあげるね」
「うん」
そう言って、私とお母さんが部屋を出る。そしてお母さんは途中で「あ、忘れてた」と言って包丁を取りに戻った後、再び私と並んでお風呂の方へと歩いて行くのだった。
途中、キッチンを経由することも忘れずにね。
一ヶ月が経過すると、お母さんは私と遊んでくれるようになった。
お母さんは何時も小屋に居る訳では無かったけど、暇を見つけては「傷痕~遊ぼ~」って私に抱き付く。私は喜んでお母さんと遊ぶ。お母さんは綺麗なだけじゃなく、ユーモアセンスに溢れ、色々な遊びを知っていた。男の人に沢山モテそうだなって思った。
お母さんとは、外で遊ぶことが多かった。元々、おままごととかは遠の昔に卒業していたし、家の中だと出来ることも限られるからと、お母さんは言っていた。
外で遊んだ後は決まって、お母さんと一緒にお風呂へ入った。私の長い髪を丁寧に手入れするお母さんは、とても愛らしかった。
……お母さんは、私にどんどん優しくなる。だけどお父さんは、徐々に狂い始めていた。
薬の影響ではない。それはまず間違いない。だって私が毒見してからあげるし。そうじゃない。自分の状態と環境に、耐えられなくなりつつあるのだ。
私のあげるご飯も、ほとんど食べなくなって行った。無理に食べさせると戻してしまう。胃が受け付けてないんだと思う。
お父さんの目には、多分私が敵に見えて来たんだと思う。
……イヤだな、お父さんに嫌われるの。
私は、ご飯じゃ無い時、お母さんが出かけている時に、お父さんの所に行った。お父さんは、私を睨む。濁った眼で、私を敵だといわんばかりに。
悲しい。
泣きたい。
そんな感情を押し殺し、私は小さな声で。しかし確かに、こう呟いた。
「逃げたい?」
お父さんは、頷いた。目に光が戻った様にも見えた。私の言葉に、希望を感じたようにも見える。……そして分かっちゃった。お父さんの目には、既に私も共犯に写ってたんだと。
「分かった」
私はそうお父さんに告げると、お父さんに逃げる算段を伝える。それを聞いてく内に、お父さんの顔が歪み、涙を流し始めている。けど私は、気にせず説明を続けた。
お母さんは、一週間に三日から四日は家を空ける。多分、働いてるんだと思う。大抵は一日おき。だけどその時は、幸か不幸か二日連続お母さんが家を空ける。お母さんから聞いたのだ、間違いない。
「お母さん」
「なーに?」
「明日お母さんが居ない間、お父さんと外で遊びたい」
「えー? お母さんじゃだめなの?」
「……駄目?」
「駄目じゃないけど……」
「お願いっ! お母さん!」
後から考えると、お母さんにここまで強くお願いしたのは、一ヶ月の間で初めてだった。お母さんも、そこまで頼むならと了承してくれた。
ごめんね、お母さん。
私は心の中で謝った。何回も何回も。自分から言い出して、お母さんと一緒にお風呂に入った。この日はお母さんが私を洗うのではなく、私がお母さんを洗った。お母さんはそんな私を愛おしそうに微笑んでみていた。
……ごめんね、お母さん。
お風呂から出ると、私はすぐに布団の中に入った。お母さんと目を合わせていられなくなったから。多分、情が移ってしまったんだ。
……『好き』って言う感情というなの情が。
次の日お母さんは、身嗜みをキチンと揃え、家を出る前、私に鍵を渡してくれた。お父さんの鎖の鍵である。お母さんは、私のおでこにキスをした後「行ってきます」と言って出て行った。
私は、「いってらっしゃい」と手を振って返した。
お母さんが出て行って20分。私はお父さんの部屋に入った。そして、お父さんを拘束する鎖の鍵を開けた。お父さんは、一ヶ月拘束されっぱなしだったせいで筋力が衰えてるらしく、若干ふら付いていたけど、すぐに持ち直していた。
それこそ、物語の世界にそんな現実的なことは要らないといわんばかりに。
お父さんは一度、キッチンでボサボサの頭に水をぶっかけていた。フケを落とす為だと思われるその行動の後、お父さんは犬の様に首を振って水を飛ばす。私はその行動に大体予想がついたから水が掛からない位置まで退避してた。
「……傷痕」
「何、お父さん」
「…………いや、何でも無い」
言いたいことは分かるよ、お父さん。もっと早くこうしろって言いたいんだよね。でも小さな子供にそんなこと言っても仕方が無いって言わなかったんだよね。
……お父さんは、何も分かっていない。お母さんがどんな人なのか。多分、高校時代から全く見ようとしてなかったんだ。
じゃなきゃ、説明できないことが多すぎる……。
私はお父さんと共に外へと繰り出した。私の作戦はこう。私がなんとかお父さんの鎖を外す。鎖を外されたお父さんは森を抜けて、人里に降り、助けを求める。足手纏いとなる私はここでお父さんが警察を連れてくるのを待機して待つ。
単純すぎる作戦。けど多分、これが一番確実で、自力の脱出を試みるなら、これ以外の作戦なんて無いと思う。
……お父さん、さっき『何で早くこうしなかったんだ』って聞こうとした辺り、気付いてないんだな。お父さんが帰ってくる前にお母さんが帰ってくれば、私の命が危ないこと。
「……じゃあ、行ってくる」
「うん、ちゃんと迎えに来てね」
「あぁ……」
……まあ、だけど、お父さんが私を助けに来るのかも微妙だけどね。一度生まれた疑念はそう晴れない。多分お父さんもそれは例外じゃない。
……まあ私は、お父さんを信じて待つしか出来ないんだけど。
お父さんは振り返ることもなく森の中に消えて行った。私は小屋の中に戻ろうとも思えず、一人で遊んでいることにした。この辺にはここに来る前まで見た事の無かったものが沢山あって、それらを調べて周ろうと思ったのだ。
どうせどうすることも出来ないのだから、それなら楽しもう。そういうことである。僕は穴を掘ってみたり、草花を観察してみたり、動くものを追いかけてみたり、子供じみたことばかりした。
……男の子みたいだと、言われてしまうかもしれないけど。
そして、3時間が経過すると、流石に空腹感が出て来た。お父さんが森の中に消えたのが8時ごろ。まだ11時だけど、動き回ると空腹感も早くくるものだ。
「傷痕♪」
何か食べよう。そう考えた矢先、そんな、お母さんの声が、頭上から聞こえて来た。とても上機嫌な、優しい声色の声だったけど、私には死神の囁き近いものを感じさせられた。だって、早すぎる。あまりにも。
何時もなら、家を出る時は大抵、夕方まで帰ってこなかったというのに、今日に限ってお母さんは早く帰って来たのである。
「お母さんも一緒に遊びたくて、早退してきちゃった。……お父さんは?」
ギクリとしたのは、言うまでも無い。私は思考を巡らせる。どうすれば誤魔化せるか、考える。そして、答えはいとも簡単に出た。
「お父さん、面白いもの取ってくるって言って森の中入ってった!」
危ないから私は待ってろだって! と、出来る限り信憑性があり、現実的に有り得ることを言った。お母さんもそれで納得したように相槌を打つと、私の横に座った。
「じゃあ、お母さんと一緒に待ってよっか!」
「……うん!」
私は、お母さんの言葉にそう相槌を打つことしか出来なかった。
1時間、2時間、3時間……と、時間は過ぎていく。11時に感じた空腹は遠の昔に忘れ、お母さんの言葉に相槌を打って、ボロを出さないようにすることしか出来なかった。
お母さんは私を抱きしめて、頬擦りしたりする。くすぐったいその感触が、昨日まで心地よかったのに、今日は全然心地よくないのが、死にたくなる程嫌で、泣きそうになった。
そして、お母さんさえよければ、お父さんの助けなんてこなくても一生一緒に居たい。なんて絶対不可能なことを思った。
そして、人生の残酷さを私に告げるかの如く、そんなやり取りに、終止符が打たれた。森の中で聞こえる筈の無い車の走る音に、聞き覚えのあるサイレン音。それも一つや二つではない。沢山聞こえて来たのである。
……お父さん、助けに来たんだ。
「傷痕はここにいて! 傷痕は私が守る!」
お母さんは、サイレンが聞こえるや否や、愛おしそうに抱いていた私を手放し、そう言った。私は頷くしか出来なかった。本当は「逃げて」って言いたかったけど、言えなかった。だってお母さんの纏った雰囲気は、子を守る母親そのものだったから。
お母さんは、捕まった。
私も警察を名乗る青い服の集団に保護されて、約一ヶ月ぶりに家へと帰ることになった。私の気持ちなんてお構いなしに、押し付けられた善意の行くまま、である。
家に帰ると、私は母親に抱きしめられた。けど、私はその抱擁に優しさを感じられなかった。何でかは分からない。けど、何と無く分かった気もした。
私はお母さんの収用された刑務所へ面会に行った。最初、子供だから駄目だと突っぱねられたが、私はそれをあざ笑うかのように正式な許可を取って、突っぱねた警察官にそれを見せつけた後、面会した。
両親と来れば、面接自体は面倒事なく可能だったであろうが、私にはあの二人が面接することを許すとは思えなかった。
お父さんは、狂ってしまった。
母親は、私をこの世で最も嫌ってる。
母親に抱きしめられて優しさを感じなかったのは、外面を気にして私を心配していることを演じていたからだった。母親は私に気付かれていないと思っているようだけど、そんなことにも気付けない人間なら、お母さんからお父さんを逃すことなんて出来なかっただろう。
話によると、お母さんは魂が抜けたようになっているらしい。どんな声を掛けても無反応で、死人と同じ状態だとか。
そしてそれは、お母さんが視界に入った瞬間理解することが出来た。何処に連れて来られたのかも理解しておらず、私も視界に入っていない。やつれても尚綺麗であるお母さんは、本当に死人であるようだった。
私はそんなお母さんを見て悲しくもなったが、そんな感情は即座に捨てた。そして、お母さんの方をはっきり見て、静かに呼ぶ。
「お母さん」
と。
ピクッと反応し、死人のように俯いていたお母さんだったが顔を上げ、私を見る。すると、止めどなく涙をこぼし始めた。どうしようもない気持ちが、押しあがって来ているようだった。
「お母さん」
私はもう一度お母さんと呼んだ。そして間を空けて、微笑みながらこう告げた。
「お母さん、罪を償ったら私に会いに来て。また、遊ぼ?」
お母さんは何度も頷いた。何時の間にか生気が目に戻って、看守の人も驚いている。私はお母さんに触れて、お母さんの温もりを感じたかったけど、ガラスに遮られてそれは出来ない。
また抱いて欲しい。
また頬擦りして欲しい。
また髪を洗って欲しい。
だから、お母さん。早く……早く出て来てね。
ごっこ遊びでも良いから……私と、遊んで? お母さん。