第十九話:フェルマーの定理と秋庭さんの問いかけ
…一つ、僕の中で気になる事があった。
今までもずっと気になっていたけど、何とか考えない様にしてきた、そんなもの。
それは、「結局秋庭さんに告白してどうなったんだっけ!?」というものである。
まあ、今は勉強会中の訳だし。勉強、勉強。
しかし、人間一度気になりだしたものは止まらない。まったく勉強に集中出来なかった。
そもそも、何でいきなりこんなことが気になりだしたんだっけ?
あ、多分さっき桜さんに「返事まだ?振られたんじゃね?」って言われたせいだ。まったく、あの人は何てことを言うんだ。
…結構クリティカルヒットだったり。
「おーい、上城?蓮〜」
気がつくと、大河内が僕の目の前で教科書をぶんぶん振っていた。
「なにやってんの?百面相は見てて面白いけどね。…それより、ルーズリーフ」
「えっ?ああ!」
大河内に言われて初めて手元を見た。
ルーズリーフの上に書かれた字…らしきものはものの見事にぐちゃぐちゃで、しかもそのルーズリーフ自体が乱暴に掴まれて滅茶苦茶になっていた。
「誰がこんなことを!」
「お前だ」
…大河内にツッコミ役を奪われてしまった。相当だな…。
「フェルマーの定理はワイルズが証明するまで350年かかったっていうけど、君の行動はそれ以上の難問だと思うよー」
「そりゃどうも」
すると、科学反応式を理解した坂下が話しかけてきた。
「なあなあ、何か科学反応式の問題出してー」
「水の記号は」
「馬鹿にすんなよ。H2Oだろうが」
そういやさっき答えてたっけ。
「酸化マグネシウム」
「さ、酸化…?」
おいおい!まだ中学の範囲なんですけど!
「参加することに意義がある!」
「違うわ!」
ちなみに解答はMgO。
「つ、次!」
「硫化鉄」
「鉄はFeだったよな」
おっ、次はいけるかも。
だが、こいつに期待したのが間違いだった。
「エフイーの家をー見に行こうー」
あああ、聞き覚えのあるCMソング!しかもエスピーだよ、たしか。
「桜さーん数学教えてー」
逃げたな。
しかし、意外なことに桜さんの顔色が変わった。
「数学だと…?」
腕はわなわなと震えている。
「フン。自分でやりやがれ」
その時、遙の腕が上がった。
「桜さん、私も数学教えて下さい」
「うっ!数学…。しかしこの秋庭桜、女の子の頼みは断れない性分でね」
どうやら桜さん、数学は苦手らしい。
だが、数学といえばもちろんこの人。
「あ、数学なら僕が教えるよ」
そう、大河内。
「ここの線分と線分が平行だから、和分の積で、△ABC∽△DEF」
「すごーい、大河内!」
大河内はあっという間に三角形の相似を証明し、遙の奨励までうけてしまった。
どうやら、それが桜さんの琴線に触れたらしい。
「…お前は気に入らん!」
なんてわかりやすい人だろう。
*
…桜さんのおかげで秋庭さんと話すことはおろか、近づくことさえ出来ない。
桜さんは、秋庭さんの周囲を仁王立ちで監視しつつ、守護バリアを張りまくっている。
と、大河内がルーズリーフにメモを書きつけ、遙に手渡して、小声で何か言った。
「桜さん、この問題がわからないんですけど、やってみてくれませんか」
遙が桜さんにルーズリーフを手渡した。
書かれていたのは、『もしnが2より大きい整数である場合には、Xn+Yn=Anをみたすようなどんな整数も分数も存在しないことを証明せよ』、という問題。
「うっ!しかしさっきの雪辱戦…ちょっと待っててくれ」
桜さんは、遙の隣に腰を降ろすと、ルーズリーフとの睨み合いを始めた。
「ちょいちょい、上城」
大河内に小声で呼ばれた。
「今のは?お前が遙に渡したやつだろ」
大河内は頷いた。
「フェルマーの定理。さっきの証明するのに三百年かかったやつ。絶対出来ないから、桜さんがやってる間に秋庭さんと話してきなよ」
「えっ!?」
「ほらほら、急いで」
「ありがとう大河内…こんど何かおごるわ」
ホントに恩に着る。
僕は、ありがたく秋庭さんの近くに席を変えた。
隣だと桜さんに気づかれるので、少し間を空けて。
「秋庭さん、今何処やってる?」
「あっ、上城君。今は英語です」
僕も英語の教科書を開いた。
当然だけど、秋庭さんの方が頭が良いから、同レベルで勉強とは中々いかないけれど、美術なら僕にも教えられる。
秋庭さんに英語を教えてもらって、美術を少し僕が教えて。
うん。生きてて良かったよ、ホント。
ただ、その時僕は気づかなかったけれど、僕と秋庭さんの手助けをしてしまった遙は、幾分複雑な顔をしていた。
*
「それじゃあ、そろそろおいとまします」
「お邪魔しましたー」
遙以外もう来るな、という顔をしている桜さんを背景に、勉強会は終わった。
秋庭さんが外に出て、見送りに来てくれる。
「また来てくださいね」
「…秋庭さん」
皆が先に行ったのを見計らって、僕は遂に秋庭さんにそれを訊いた。
「告白の返事、聞かせてもらいたいんですが」
「……!」
秋庭さんは、凄く驚いた顔をした。
長い、沈黙が場を満たす。
本当は一瞬の間だったのかもしれない。けれど、今の僕には、その間は酷く長く感じられた。
「……」
秋庭さんは、口を開く。
そして、僕にとって予想外の質問を投げかけた。
「上城君は、私のどこが好きなんですか?」
――何故だろう。
僕は、その時秋庭さんの問いに答えられなかった。