第十一話:エア・ウォークと壊顔
1時間目から、体育。
さすがに眠ってしまうことはないけれど、かなりだるい。
その上、担当の先生が熱血マッチョ・光田なのだから疲労度倍増。
暑苦しいことこの上ない。
そして体育は坂下の独壇場。
悪く言えば、体育“だけ”だけど。
「うぉっし跳び箱七段いっちゃるぜ!」
はしゃぐ坂下に、
「朝から元気だな…」
僕は欠伸をひとつ。
「七段跳べるの?そりゃ凄いね」言いつつ、大河内は跳び箱の段数を足したり割ったりして10になるような計算を作っている。
「案ずるな、北小のマイケル・ジョーダンと呼ばれた男だ」
「マイケル・ジョーダンってバスケの選手じゃん…」
せめてモンスターボックスの池谷とか。
段数が35段位違うけど。
だいたい、小学校の話って何年前だ。
「だからエア・ウォークで跳ぶんだよ」
「跳び箱を?」
エア・ウォークで?
「うむ」
「おいおい、そりゃちょっと…」
無理だろ。
絶対無理。
「俺の勇士をしかと目に焼き付けろ!」
「あ」
坂下は一目散に跳び箱に駆け寄り、跳び箱にぶつかる盛大な衝撃音を体育館に響かせた。
*
「まったく、馬鹿だわ」
遙が一蹴する。
あれから、坂下は足の小指が痛い、痛いと騒だして、とりあえず湿布を貼ることにした。「だいたいなんで私がやらなくちゃならないのよ〜」
遙は愚痴を溢す。
「そりゃ小野寺が保健委員だから」
坂下のもっともな反論に、
「わかってるわよ!うわ、なんか足臭そう」
「失礼な!フルーティな香りがするんだぞ」
「嘘つけ!」
……なんか足からそんな臭いがしたら逆に嫌だ…
まあ、でもこの二人、見てて飽きないな…
お似合い、ってやつかな?
「何ニヤニヤしてんのよ」
遙が睨む。
「ん?僕?」
「そうよ」
「いやいや、お似合いだと思ってさ」
『そんなことない』
遙はムキになって、
坂下は照れくさそうに笑って言った。
「無理!そんなこと絶っ対に無い!」
きつく否定する遙に、坂下はショックを受けたような顔をしていた。
「そんなに否定しなくとも…」
坂下が哀れになってきた。
そう僕が言うと、遙はますます不機嫌になって、
「蓮なんか光田とくっついちゃえ!」
「はぁ!?」
光田って男じゃん!
しかもマッチョじゃん!!
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
僕は今のところ秋庭さん一筋だし。
そういえば、僕はフラれたんだっけ?
嫌いってことはないって…
要するに、『振りだしに戻る』、か。
*
何時から秋庭さんが僕の視界に入って来たんだっけ…
最初は、
「秋庭」
と聞いて、
秋庭→アキバ→秋葉原?
なんて思ったものだけど。
教室がやけに騒がしい。廊下まで声が響いている。
何だ、何だ?
教室に入ると、笑い声がその場を占領していた。
しかし、それはさながら
嘲るような、見下すような、
そんな嫌な……嗤い声。
「秋庭ってアキバに似てるー!」
一人の女子の声に、数人がつられて笑った。
「確かに!じゃあオタク!?」
きゃはは、と甲高い笑い。
「秋庭さん本好きだしねー」
けたけたと、
その嗤いは無意識に、無自覚に、深く、他人の心をえぐっていく。
秋庭さんはその嗤いに包まれた混沌の中、
静かに微笑っていた。
只其れは、僕の知る彼女の笑顔ではなく、
『壊顔』
笑顔とは決定的に違う、全ての希望が打ち砕かれて壊死してしまったかのような、
目の前の惨劇に対する抵抗を全て諦めたかのような、
壊顔。
とても、痛々しい顔。
周りは、彼女の変化に気がつかないのだろうか?
秋庭さんが楽しくて皆と笑っているとでも、本気で思っているのだろうか?
嗤い声が、続く。
ぱりん、と、酷く小気味良い音を起てて、秋庭さんの心が割れる音を
聴いた気がした。