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関西夫夫

一生に一度の恋をしよう

作者: 篠義

 関西弁で、字書きはできるのか? で、はじまった、このお話。

意味がわからない言葉があれば、連絡ください。ははははは。

 同居人が出張して、二日が経過した。携帯が繋がらないので、連絡の取り様が無い。休日にすることもなくて、コンビニで買ってきたクロスワードを暇つぶしに解いていた。

 正午のサイレンが聞こえたものの、別に空腹でもないので無視した。こんなふうにひとりで過ごす休日というのは、久しぶりのことだ。学生時代は、とりあえず、忙しくて休日は睡眠補給日だった。同居人と知り合ってからも、それは変わらなかったが、起きると同居人が、となりに寝ているというのがパターンになっていた。


・・・・そういや、ひとりだったのは、あいつが実家へ戻る時ぐらいだったよな・・・・・


 学生の頃は、一応、年末年始だけは、きっちりと、あいつは帰省していた。別に、休みではなかったから、俺は働いていたのだけど。そういえば、一度だけ年越しをしたことがあったな、と、それを思い出していた。なんだったか忘れたが、帰省するつもりだった同居人は、「帰らない」 と、言い出して一緒に、初詣に行ったのだ。大学を卒業してからは、帰省することはなくなったが、あれからは、三日の朝には帰ってきていた。大学は十日からだったのに、だ。あの当時は、まだ、そういう関係ではなくて、ただの親友ぐらいのことだった。


・・・・・あれからか・・・・おかしくなったのは・・・・・


 卒業する少し前から、そういう関係になったが、よくよく考えたら、あの年越しの後から、あいつの態度が変わったように思う。なんだか、よくわからないうちに、事態はいろいろと進んで、何がどうなったのか、花月は、俺を抱きたいとか言い出して、それから、なし崩しに関係は始まった。思い出しても、お笑いとしか言いようのないことをしていた。どっちも、やり方を知らなくて、わざわざ大学のコンピュータールームで、それらをネット上で検索して試したりしていたのだ。

・・・・今では、ベテランやろうなあ・・・・

 最初のドタバタを思い出して、笑ってしまった。まるで、プロレスでもしているのか? というぐらいの乱暴さだったし、加減がわからなくて、どっちも一日、沈没したこともある。世間に、そういう人間がいることは知っていたが、まさか、自分がそうなるとは思わなかった。俺の正しい人生設計というものは、そこで頓挫した。だが、離れようと思ったことはない。もう、すでに、それは無理なんだろうと、身体が感じている。夫という地位は、手に出来なかったが、嫁という地位は手に入れた。誰かと一緒に暮らして、とりあえず死ぬまで生きているという設計の根本は、ちゃんと遂行されたと思う。それも、「愛してる」とかいう恥ずかしい関係ではなくて、花月という人間がいることで、安堵できるという関係に確立された。



 ぼんやりとしていたら、いきなり携帯が鳴った。見慣れない番号なので、少し躊躇して、それから出た。もしかして、同居人からかもしれないと思ったからだ。

「・・・もしもし・・・・はい・・・浪速ですが?・・・・・え? みどうすじ? ・・・え? はあ、いえ、こちらこそ、ご迷惑を・・・はあ・・・ええ・・・」

 電話の相手は、同居人の同僚で、少し前に、とんでもないイベントに参加させてくれた人でもあった。初めまして、の挨拶から自己紹介までして、いきなり、御堂筋さんは、「今、そちらの最寄り駅なんですが・・・」 と、切り出した。

「すいません、お昼、まだですよね? 一緒に食べてもらえませんか? 」

「え? 」

「えーっと、吉本から頼まれてもうて・・・・なんでも、浪速さんは、ひとりだと食事もしないから、相手をして欲しいって頼まれたんですわ。」

 恐縮する御堂筋さんは、同居人に頼まれたらしく、律儀に電話してきたらしい。

・・・・・子供やあるまいし・・・なに、頼んどるんじゃっっ、あのたわけっっ・・・・

 内心で、同居人を罵りつつ、丁寧に断った。しかし、相手も折れてはくれない。一度でも食事をしないと、後から大変なことになると、懇願されるにいたって、「わかりました。」 と、重い腰を上げた。

 駅前で待ち合わせて、近くのファミレスで食事をすることになった。顔も見たことの無い相手では、話も進まないし、気づつない気分ではあった。

「はじめまして、御堂筋です。 この間は、助かりました。」

「こちらこそ、浪速です。大丈夫でしたか? 」

 当たり障りのない会話をしながら、サービスランチを食べた。

「あの、吉本は、なんのポカをやらかしたんですか? 」

「えーっと、俺も詳しいことはわからんのですけど、なんか東京事務所との連絡ミスがあったらしくて、担当のあいつが出向かな話にならんかったみたいで・・・・代われるんやったら代わったったんですけど。」

「そうですか。あいつ、どっか抜けてるから、迷惑かけてるんちゃいますか? 」

「いや、そんなことはあらしまへん。でも、相当に浪速さんのことは心配やったらしくて、なんでもいいから、『飯を食わせてくれ』って拝み倒されましたで。そんなに無頓着なんですか? 」

「そんなことはないねんけどなあ。食べてますよ。自炊するほどのことはしてへんけど。・・・ほんま、すいません。帰ってきたら、制裁を加えておきますから。」

 なぜ、わざわざ見知らぬ相手と食事なんかせなあかんのや、と、首を傾げつつ、とりあえず食べた。食べ終われば帰れるだろうと思ってのことだ。

「せやせや、帰りにスーパー行きましょ。」

「え? 」

「金預かってるから、レトルトとか買わしてもらいますわ。」

「金預かってるって? 」

「ほんまは、二日か三日に一度は食事に誘ってくれ、と、言われてますけど、仕事あるし、浪速さんは時間が遅いんでしょ? せやから、折衷案ということで、ええですか? 」

「はあ、まあ、ええですけど。・・・・あいつ、頭に虫でも湧かしとるんちゃいますか? 俺、そこまで生活不能力者やないねんけどなあ。」

「さあ、俺もようわかりませんわ。まあ惚れとるってことにしといたら、どうですか? 」

 そこで、ふと気づいた。この人は、うちの関係を知っているのだ。

「御堂筋さん、気持ち悪いとかきしょいとかないんですか? その・・ほら・・うちは・・・」

 直接には言えなくて、ちょっと口ごもった。普通の感覚では、気持ち悪いと言われても仕方がない。しかし、相手は、カラカラと笑って手を振った。

「なぁーんもありません。別に、そんなん個人の趣味ですやろ? 俺は、そっちではないけど、別に、ええと思います。・・・・気楽やろうな、とは思います。」

「気楽ですね、確かに。」

「イベントごとにプレゼントせんでもええし、ホテルでディナーとか、気取ったラウンジでカクテルとか、そんなん考えんでもええっちゅーのは、羨ましいことですわ。」

 そう肯定されて、少し気が楽になった。まあ、そういう人だからこそ、あんな村の行事に、俺たちを行かせたのだろう。そういうことは、一切なかったな、と、自分でも気付いて笑った。ただ単に同じ授業を受けて、どちらかの部屋で飯を食ったりするぐらいのことだけだったからだ。そういう関係になってからも、たまに強引に、花月に連れ出されはしたが、それだって、どこかの山の上とか海岸とかまで散歩するぐらいのことで、気の利いた台詞も、おしゃれな食事なんてものもなかった。


 結局、同居人がいつ帰れるのかわからないまま、スーパーの袋いっぱいのレトルト食品と菓子パンを持たされて、御堂筋さんと別れた。たぶん、これは消費できないだろう。家には寝に帰るだけだから、食事は外食だ。誰も居ない家は寒いから、あまり長時間居たくない。






「先生、最短で退院させてもらいたいんですが、明日とか、どうですかね? 」

「・・・・吉本さん・・・それは無茶です。まあ、経過は良好なんで、週末ぐらいには退院してもらえるでしょう。」

「土曜日の朝ですよね? 」

「まあ、いいですけど、珍しいですよ、吉本さんみたいな患者さんは。普通は、延ばして欲しいとか言います。」

「そら、俺かて、なんもなかったら延ばしてほしいとこですわ。」

 でも、俺には、早く戻って、無事に姿を確認させないとあかん相手がおるんです、と、正直に言ったら、「わかりました。」 と、医者に苦笑された。



 週末に退院できることが判明して、とりあえず職場に連絡した。別段、忙しい時期でもないので、「ゆっくりでええぞ。」 と、課長からも、自宅療養するように勧められた。

「ええ、わかってます。でも、あんまり休むと忘れてまうんで。・・はい・・・はい・・・ああ、すんません、御堂筋はいてますか?・・はい・・・」

 さすがに、術後三日ばかりは、痛いし熱は出るしで、公衆電話まで遠征できなかった。まだ痛みはあるが、歩けるので、看護師の詰め所の横にある公衆電話まで遠征した。

「おう、御堂筋か? 俺の嫁は元気か? メシは?・・・・なに? レトルト? あほかっっ、そんなもん、食うかいっっ。」

 とはいうものの、俺の嫁は人嫌いなので、御堂筋にしたって、それが限界だったのは、わかっている。たぶん、週末に家に帰ったら、食べていないレトルトの山が、ひとつ転がっているだろう。

「ああ、ええって。・・うん・・うん・・・すまんな。月曜日には顔出すさかい。・・うん・・・ほな。」

 礼だけは言って、電話は切った。ということは、そろそろ人生を半分ほど投げ出していることだろう。慌てて、浪速の携帯の番号をプッシュする。

「俺。俺や・・あ・・・・」

 出た途端に切られた。

・・・あほや・・・・携帯やないから、リダイヤルできひんのに・・・・・・腹痛いやんけ・・・

 「俺俺詐欺」みたいな言葉だったが、声でわかるはずだ。だが、それすら忘れているのか、と、思って心配になった。 もう一度、プッシュすると、今度は、ぶっきらぼうな応対をされた。わかってはいたらしい。

「俺俺詐欺ちゃうで、水都。・・・・ああ、ごめん・・・充電器忘れてな・・うん・・・・・どうにか土曜日には帰れると思う・・・・ああ、おまえ、仕事か?・・うん・・・うん・・・・俺も、めっさ忙しいねんて。・・・何? 愛しいダーリンからのラブコールが欲しかった? ・・・・うそうそ・・・うん・・・うん・・・ほな、また電話するさかい。うん。・・・・忘れんなよ、おまえは、『俺の嫁』やねんからなっっ。」

 それだけは、はっきりと言って電話を切った。あんまり長いこと、放置すると、『俺の嫁』は、『俺の嫁』であることを忘れる。鳥頭なんではなくて、寂しくて、その存在自体を忘れようと努力する。忘れると、たぶん、人生すべてを投げるであろう。正しい人生設計なんてものを思い出して、実行するに違いない。だから、早く帰らなければならない。それは、俺の嫁でなくなって、ただ正しいと世間で評価されるだけのものでしかない。水都にとっては、人生なんて生きてればいいんだろうという程度のものになってしまう。それだけはダメだと、俺は思うから慌てるのだ。



 結局、俺たちは、その語学の授業が気に入って、次の年は、その上の授業も受講した。やっぱり、俺と浪速しか生徒がいなくて、教授も同じ人だったから、気軽な感じで勉強させてもらえた。だから、毎週、やっぱり、顔を合わせて、たまには、浪速か俺の下宿で飲むこともあった。外食は金がかかるから、俺が作った食事を食べることもあって、週に何度かは、顔を合わせているようになった。

 浪速は、それなりの顔立ちをしていたから、適当に彼女がいた。適当、というのは、何度も変わるので、本命はないのか? と、尋ねたら、「適当でいい。」 と、当人が答えたからだ。

「それなら付き合うなよ。」

「そうもいかんやろ? 適当に付き合って、相手が本気やったら結婚したらええことや。」

 一緒に食事していたら、爆弾発言をかまされた。

「おまえの意思は? 」

「え? 」

「だから、おまえは、本気で惚れるような相手はおらんのか? 」

「・・・・考えたこともない・・・・でも、卒業したら就職して結婚するのが、普通にやることやろ? さっさとやっとかんとあかんかな? と、思って。」

 人生の正しいレールっていうのに沿って生きていたいというのが、浪速の考えらしかった。だが、それで、浪速が楽しいとか幸せだとかいうのではないところが、とてもおかしいと思った。ただ、普通であれば、告白してくれた女性を、どうとも思っていなくても結婚して家庭を作るというのだ。

「おかしいやろ、それ。」

「なんでや? 」

「別に、これと思う相手が目の前に現れるまで、独身でおったらええがな。そうでないと、辛いぞ。」

「・・・あははははは・・・吉本は幸せもんやな? 相手に、何の期待もせんかったら、何をされても、何にもないんやで? 」

「だからな、期待できる相手を、やなっっ。」

「・・・・いらんねん、そんなん・・・とりあえず、死ぬまで生きてたら、そんでええんや。」


 ・・・・ああ、こいつ、ちょっと壊れてるな、と、俺も苦笑した。たぶん、それが気になって縁を切れなかったのだと、その時に気づいた。何も期待しないでいるなんて、相手にも失礼だ。たぶん、この水都の態度が、彼女と長続きしない原因だろうと解った。誰だって、自分に関心を向けて欲しいものだ。告白して、それを受けてくれたなら、少しぐらい関心があるのだと思うだろう。だのに、相手の態度が変化しなければ、関係は維持できなくて当たり前だ。それすら気付かないこいつが、哀れだと思った。どっかおかしいとは思っていたが、それでは、精神的な安らぎは、絶対に手に入らないのだと、こいつは知らないのだ。




 仕事をしていたら、出張している同居人から電話があった。いつものように、いつものバカ話をした。最後に、同居人が、「忘れんなよ、おまえは、『俺の嫁』やからな。」と、きつく注意をされた。

 ・・・・今更やろ? それは・・・・・

 携帯を切って、人気のない廊下で、ひとりで笑った。ただ声を聞いただけなのに、なんだか、ほっとしたのだ。

 だが、期待してはいけない。もし、仕事の都合で出張が延びたら、落胆するから、それが怖い。もし、そのまま、戻れなかったら、忘れるために、マンションを引っ越すだろう。忘れてしまえば、寂しいことも悲しいことも感じなくていいからだ。

 そのまま、どこかで、誰かの手をとればいい。何も期待せず、ただ誰かと暮らせば、それで忘れていくだろう。ただ、無傷ではないから、少し臆病になってしまうだろうか。

「・・・ごめんな、花月・・・・土曜までは忘れへんから・・・・」

 切れてしまった携帯を、ぼんやりと眺めて、遠いところにいる同居人に謝った。どこかが壊れている自覚はある。それを肯定して、それすらひっくるめて認めてくれるのは、花月だけだった。それは大切なことだとは思う。だが、それがなくなったら、自分で立っていられなくなりそうで怖いから、認めたくはない。なんでもないことだが、花月が家に居れば、ほっとする。肌を合わせれば、それだけで落ち着く気持ちがある。ずっと、それがなんであるか考えることはしない。考えたら、怖くなると予想が着いている。

・・・・なんだかなあー、あいつと暮らしてからのほうが、余計に壊れたような気がせんでもないぞ・・・

 それが良いことだったか、どうか判じかねている。だが、悪いことではなかったとは思っている。



 病院の消灯は早すぎて眠れない。テレビばかり見ていて飽きてしまったし、読書する気にもなれない。

 考えるのは、同居人のことばかりだ。どうせ、食べられていないレトルトが、台所で山をひとつ作っているだろう。菓子パンぐらいは食べているだろうか、それとも、気分転換に自炊でもしているだろうか。いや、自炊なんてしないか。また、コンビニ弁当で食いつないでいるだろう。

 寂しがってはいないだろう。外面的には、普通に淡々と暮らしているはずだ。なにせ、当人にも自覚はないのだ。寂しいという感情が、水都には稀薄だ。だから、淡々と生活することはできる。その感情を自覚したら、水都は余計に壊れてしまうからだ。

 吉本だって、それを初めて見た時は、衝撃で絶句した。たぶん、誰一人知らないだろう、吉本だけが知っている浪速の泣き顔だ。

・・・・・・あれを、見たから、俺は手を出したんだもんな・・・・・・

 学生時代の年末に、帰省するから挨拶がてらに顔を出した。そのまま、次の日に帰省するつもりで、荷物も持っていた。あまり酒には強くないから、ふたりして、缶ビールを三本も開けると、ふらふらになる。浪速は、テレビを、あまり見ないから、酒盛りするのも、無言だ。適当に世間話くらいはするが、それだって途切れたりもする。

 大学のある街は、とても静かだった。冬休みで、学生がいないからだろう。

「静かやな? 」

「このほうがええ。」

 騒がしいのは好きではないから、どちらも、のんびりと好きなことを喋って、気付いたら酔っぱらって横になっていた。水都は、まだ飲んでいて、窓のほうを眺めていたので、俺は目を閉じた。

「・・・・あかんねん・・・・あかんねん・・・・花月は消えたらあかんねん・・・・」

 気持ちよく眠っていたのに、いきなり、揺さぶり起こされた。何事だ? と、目を開けて絶句した。いつも無愛想な浪速が、本気で泣いて、俺を揺さぶっていたからだ。

「・・・・花月?・・・・花月?・・・・・消えたらあかん・・・・」

・・・・え?・・・・・

 不思議な呪文みたな言葉を、浪速は繰り返していた。「消えたらあかん。」と、繰り返す。黙って聞いていた。いきなり、浪速が泣いていたからびっくりしたっていうのもある。ついでに名前で呼ばれたのも、びっくりだ。

「・・・花月が消えると、俺も、どんどん小さく丸くなって、しまいになくなるねん・・・・せやから、花月は消えたらあかん・・・・」

 酔っぱらっているのだろうが、それにしたって、驚きだ。世の中を斜めに生きているような浪速が、呟く言葉は、子供みたいだった。何度も何度も、「消えたらあかん。」 と、繰り返されるに至って、浪速は寂しがりなんかもしれへんと、ようやく気付いた。

 人生を正しく生きていくというのは、家族ができることだ。誰かが傍にいることが、浪速の願いの根本であるのだろう。本人は、そんなこと、気付いていないから、あんな物言いになるんだろう。

・・・・・・せやんなあ、おまえ、連絡する相手がおらんねんもんなあ・・・・・・

 しみじみと、浪速の涙に、それを実感した。連絡する相手は、俺だけだ。だから、なくなるな、と、せがむのだ。

「・・・・えーっとな、水都・・・・・」

「ん? なに? 花月。」

初めて、名前で呼んだら、嬉しそうに笑った。涙でぐちゃぐちゃの顔で、嬉しそうに笑う浪速に、胸が痛くなった。

「・・・おまえ、俺におってほしいんか?・・・」

「・・うん・・・・おまえしかおらへんもん・・・・」

 ああ、しらふではないな、と、こちらも笑った。でも、これが、こいつの本音なんだろう。なんだかんだと、連るんでいたのは、浪速にとっても嬉しいことだったのだ。

「わかった。ほんなら、消えへんって約束するわ。大丈夫や、消えたりせぇーへん。」

 起き上がって、浪速を抱きしめた。緩々と、背中に、浪速の手が添えられて、やっぱり、わんわんと泣かれた。

「明日、起きたら、ごはん食べて、ほんで、夜には二年詣りに行こう。約束や、水都。」

「・・うん・・・」

 年明けに、少しだけ帰ることにした。別に、親は帰らなくても、文句は言わない。適当な理由があれば、それで、どうにかなる。寂しいのだと知らない水都に、寂しいと教えてしまったのは、俺で、しかも、縋る相手も俺だけだ。それなら、責任は取ろうと決めたのだ。

 次の日、起きたら、お約束のように、浪速の記憶はすっからかんに抜け落ちていて、なぜ、俺が帰省を取りやめて、ここに居座るのか、わからないと首を傾げていた。

・・・でもな、おまえの気持ちは、もうわかったから・・・俺は、迷うことはなかったわ・・・・あんなに泣かれたら、もう、他はどうでもええっちゅー気になるっていうーんや・・・・


 早く帰りたいと、真っ暗な病室で、目を閉じた。卒業する前に、関係は親友ではなくなったけど、別に、それでいいと思った。両親に孫を見せるつもりは、元からなかったし、何より、この壊れているやつの傍に居てやりたいと思ったからだ。水都は、関係が変わってしまうことに躊躇はしなかった。ただ、俺がやることを受け入れた。たぶん、当人は気付いていないだろうが、本当は、それを受け入れることは難しいことだったのに、だ。支えてくれる相手として、俺を考えているから、水都は受け入れた。独りでは立っていられなくなるのだと知らずに、離れることはできなくなるのだとも気付かずに。だから、水都が生きている限りは、傍に居て、水都の死に水を取るつもりで、俺は、傍に居る。そうしないと、水都は、人生を全て投げてしまうだろう。なんとなく、気が合ったのが、最初の躓きだったかもしれない。俺も、あいつでいいと思うから、この関係で納得できる。

・・・大切に、とか言うんではないけどな・・・とりあえず、一緒に居るのだけは絶対や・・・

 七年も夫婦もどきでいると、そんな感じだった。



 土曜日は雨だった。退院手続きや、次の診察の予約やら、何かと手続きがあって、終わったのは午後過ぎていた。そのまま、自宅近くのコインランドリーへ飛び込み、洗濯物を放り込んだ。十日の入院で、動けるようになってからは洗濯していたが、それでも溜まっていた。

・・・・・うちにもあるんだろうな・・・・ついでだから、ここへ運んできて一気にやるか・・・・

 同居人は、本日、出勤だと言ってたから、夕方まで時間はある。とりあえず、洗濯して、掃除して、晩御飯を用意するつもりで、身軽に家に帰ったら、居間に入って死ぬほど驚かされた。

 居間のこたつの横に、同居人が転がっていたからだ。スーツのまま、ごろりと倒れている。

「みっみなとぉぉぉっっ。」

 ああ、失敗した。十日は長かった。栄養失調か過労か、それとも、別の病気か、とりあえず、救急車を呼ばなければっっ、と、俺が慌てふためいていると、むっくりと、水都は、起き上がった。

「・・あ・・お帰り・・・えらい早いやないか。」

「・・お?・・・」

「・・・まだ一時前やんけ・・・・はるかでも使こうたんか?・・・」

「・・おっおまえ・・なんで・・・」

 別に、どこかが悪い様子ではない。目を擦って、あくびをしているところを見ると、明らかに寝起きだ。

「おまえが、今日、帰るっていうから、今朝四時まで仕事してた。ほんで、帰ってから、掃除してご飯でも用意したろう、と、思ってたんや。」

 しかし、さすがに深夜残業は堪えて、居間で沈没したらしい。期待はしないが、準備くらいはしてやろうと、浪速は考えた。帰らなかった、としても、家事をやったと、自分に言い訳できる程度に。

「まぎらわしいことすんなやっっ。」

「・・なにが?・・・」

「俺、おまえが具合が悪いんかと慌てたやないかっっ。」

「・・・ああ・・すまんなあ・・・仕事は無事やってんな。よかったわ。」

 さすがに、脱力して、俺は座り込んだ。そして、同居人の顔を見て、ほっとした。こいつは、心と身体が連動しないので、ちゃんと日常生活はしていた様子だったからだ。痩せてなければ、それでいい。人間として生きていることはできていた。だが、それだけだ。笑いもせず泣きもせず、ただ淡々と生きていただろう。

「すまんかったな、水都。」

「しゃーないやろ、仕事やねんから。だいたい、おまえ、見ず知らずの御堂筋さんとメシ食うのは、大変やったんやぞっっ。俺は子供かっっ。誰かおらんと、メシも喉を通らへん、乙女かっっ。このどあほっっがっっ。」

 新聞紙の束で、ごつっっと頭をはたかれる。それとほ痛くはないが、笑えてしまう。怒ったフリで喜んでいるのがわかる。ぽんぽんと罵詈雑言が吐き出されるので安心する。人生を投げてはいない証拠だ。

「それやったら、『ダーリン、さびしかったぁーあは~ん。』とかいう、お出迎えしてくれよ、嫁。」

「できるかぁぁぁぃっっ。なんで、『あは~ん』やねんっっ。そんなんしてほしかったら、キャバクラでもメイド喫茶でも行ってこいっっ。」

「ああ、それもええな。『お帰りなさい、ご主人さまぁ~ん』で、ひとつ、よろしく頼むわ、嫁。」

「さっき、『お帰り』って言うたった。」

「なんで、そんなに素っ気無いかなあ、俺の嫁は。」

「おまえが無茶な注文ばっかりするからじゃっっ。・・・・なんでもええわ。とりあえず、着替えたらどうや? 」

 ふたりともスーツ姿だ。万が一の場合を考えて、俺は病院から、スーツで帰宅した。ようやった、と、自分を褒めてやりたいぐらいの機転だ。

「おまえも着替えろ。せやせや、洗濯物をコインランドリーへ持っていかなあかんねん。その間に、おまえ、メシ買おてきてくれ。」

「あるで、そこに。」

 同居人が指し示す場所には、やっぱり、こんもりとレトルトの山があった。

・・・・やっぱりか・・・・

「ほんだら、何食ってたんや? 霞か? 」

「あほ、霞で生きていけるんやったら、俺、大金持ちになっとるわっっ。仕事で残業ばっかりしてて、家には寝に帰ってただけや。外で食ってた。」

「そうか、ほんなら、晩御飯は力入れて作らせてもらうで。寂しい思いさせてた詫びや、なあ、嫁。」

「たまには、俺が作ったる。仕事で疲れて帰った旦那を癒したらんとあかんからな。」

 にっこりと笑って、俺の嫁は立ち上がった。その腕を掴んで背後から抱きしめた。

「ただいまやで、俺の嫁。」

「おかえり、俺の旦那。」


 会いたいと思ったのは、どちらも一緒だと思う。ただ、俺の嫁は、ちょっと壊れていて、人生を些か投げている人なので、これぐらいのスキンシップで事足りる。『俺の嫁』であるかぎり、こいつは、人生を全て投げることはない。寂しいのだとわからなくても、誰かの体温があれば、寂しくはないのだと、身体は気づいているはずだ。だから、ぐにゃりと身体から力が抜ける。支えて貰えるとわかっているからだ。

「・・・久しぶりに・・・ナンパでもしようかとおもった・・・」

「浮気しても意味ないねんで? おまえ、『俺の嫁』やからな。旦那の俺しか、あかんねん。」

「・・・わかってる・・・なんか腹立つな・・」

「まあ、ええがな。とりあえず、そこのラーメンでも食うて、コインランドリーとスーパーへ行こうや。・・・俺、鍋がええわ。後で、雑炊できるやつにして・・」

「わかった。水炊きでええな。俺がスーパー行くから、おまえ、洗濯してくれ。」

 別段、甘い台詞なんてない。ただ日常の会話をしているだけだ。それでいいと、お互いに思っている。日常を暮らすだけで、満足だと、互いに思っているからだ。

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