第4話 ローズマリー
長女の上京、女の四大入学――とんでもない。
なんて化石みたいな価値観が、地方のどっかにまだあるらしい。彼女が生きた時代なら、なおさら。そんな二重格差の呪縛を彼女は身ひとつで飛び出してきた。
眠らない街の華やかな光が、頼りだった。しがみつくように、暮らした。彼女に唯一寄り添ったのは、地元の幼なじみ。100キロの距離も厭わず、バイクで駆け付けることもざらだったそうだ。
「ぼんやりね。なんとなく思ってたんだ。あーし、こいつと結婚するのかなー的な……」
来なくなった。正確には、来れなくなった。ここに向かう途中、事故で。
「めっちゃ当たっちゃった。他の子は、親に学費を出してもらって、キラキラ着飾って、授業中居眠りまでしてる。なのに。なんであーしばっかこんな目に……って。ケータイ越しで……ほんとは、ただ……」
幼なじみは、優しい人だったんだろう。震える声の奥にあるものに応えようと、高速に乗り――結果的に、彼女は謝る機会すら失ってしまった。これが、素直になれなかった彼女の代償だってなら、えぐい。神ってマジいないわ。
「急に、世界でひとりぼっちになっちゃったみたい」
(……ああ)
世のため人のため、俺はネットに蔓延る“悪”を断罪したつもりだった。
(身に覚え、ある……炎上した俺も、同じだった)
目の前がぐらつく。俺の正義は、大多数には“悪”だった。血管をガラスの破片が巡るような不安が、襲う――高笑いしてたスマホは、いまじゃ鉄板の上でのたうち回る罪人だ。俺はその泣き喚く姿を、他人事のように見つめてる。
「だから、優しくしてくれる人に、すがっちゃったのかもしんない……」
彼女の声の端々に“あーしは弱かった”と罪悪感が滲んでる。でも俺には、前を向こうともがいてたんじゃないかって。
――ただ。
世の中には弱った人間を嗅ぎつける輩がいる。そいつらを断罪してフォロワーを稼いできた“私”だからわかる。輩と違い、正しいことはしてた。でも、優しさじゃない。承認欲求が満たされるときの顔を鏡に映してみたかったくらいだ。手口は違えど情弱を踏み台にしてた点じゃ、俺も同じだ。
輩は、彼女の前にも例外なく現れた。彼女の出会いも、運命を装った必然――
「彼には夢があった。でも、お金に困ってた」
SNSで知り合った、絵に描いたようなクズ男。事実なんて何ひとつない。俺にはすぐ、わかってしまう。
「助けてあげたかった……」
馬鹿なの? そんな余裕ないでしょ――“私”ならすぐに切り上げた。でも、彼女に触れたいま、俺にはそんなこと言えなくなってた。
案の定、彼女が金を渡せば渡すほど、野郎は優しくなるどころか横暴になった。それでも彼女は、荒れる奴のなかにかつての自分を見てしまう。幼なじみの前で素直になれなかった、あの日のことを――
「ほんとは優しい人なんだよ」
言葉の裏から透けて見える、自分ばかりを責め続けてきたこと。歩み寄りが足りないと、ずっとそう思い込んでた。
(……不毛すぎて、ヒリヒリする)
歩み寄るにも遠距離で、金を捻出する必要があった。住環境を犠牲に、ズタボロ荘に移り住む。食事を抜き、なるべく同じ服を着た。中古や捨て値の油絵具で課題をごまかし、約束の朝は、大学へ向かうはずの足で各停に乗り込み――そのまま三時間半、富士山を眺めながら耐える。単位を落とすのは目に見えてた。
「痩せるし、逢えるし、一石二鳥!」
とんでもなくポジティブな声色と、潤んだ瞳が噛み合わない。
「都合のいい女」
俺は堪らず口にしてた。伝えたい衝動が、言葉を選ぶ隙を与えてくれなかった……。
「……うん。そうだよね」
意外なほど、あっさり彼女は頷いた。
「頭ではわかってたんだけどね。おかしいって、わかってたよ」
「じゃあ、なんで?」
「こんなあーしにも、たまに好きって言ってくれたからさ」
たまにって、なんだそれ。好きがご褒美とか何様だよ、そいつ。
って顔が露骨すぎたか。彼女はふっと微笑んで、なぞるように言った。
「彼の鼻歌が好きだったんだー」
機嫌いいと決まって歌ってた、流れるような三拍子のバラッド。ああ、穏やかな曲調の割に実現不可な難題ふっかけてくる、トンデモ歌詞だったはずだ。
彼の無茶振りをこなせば、真の恋人になれる――
逢えない日は絵を描いた。歌と同じ結末を辿らないよう、祈りながら。
「この絵は、歌に出てくるハーブでさ」
土手にたまたま生えてた。それだけで、彼女には十分だった。いくら尽くしても与えられない。だから、自分で見つけて育てるしかなかった。
「やっぱそれって――っ」
「死なれちゃうよりマシだから……」
まっすぐ向けてきたその眼差しに、俺は絶句する。




