第1話 地縛霊
三十年前、インターネットが当たり前になった。
三年前、俺は大学生になった。
三か月前、本命の大企業から早期内定をもらい、将来を約束された。
三週間前、暇つぶしがてら、ネットのバカを片っ端からわからせることにした。
三日前、AIで盛ったプロフ画像が万バズした。高笑いするスマホ。
三時間前、炎上した。完璧に盛れた“私”から、そばかすクソ眼鏡の“俺”が漏れた。
三分前、天井に肉体を支えるのにちょうど良い穴があった。助かる。
三十秒前、いつもより高い位置からノーパソを覗く。内定先からのメール。件名だけで、わかった。
三秒前、死にたくて死にたくてどうしようもなくて……踏み外すことにした――
◆◆◆
月が蒼い夜に見る夢と似ていた。こすり合わせた指先はやけに硬く、指紋の質感は感じられない。警告音のような耳鳴りと、しびれる冷たさが視界を揺らしてく。
「……地縛霊?」
オカルトなんて一度も信じたことはない。なのに、俺は自然とそう口にしてた。ひとり暮らしの四畳半一間に、いきなり見知らぬおじが突っ伏してたからだ。直感を裏付けるように、馴染みのない異臭が鼻を刺激する。うまく言えないけど、“過去”の臭いだと感じた。この地に縛られた者が醸し出す、孤独な記憶――なんてな。
ここ『すかばら荘』、通称・ズタボロ荘は、空き巣すら寄り付かない賃貸アパートだ。霊感がなかったからこそ、格安の響きだけで飛びついた。
おじは、畳に額をこすりつけたまま蹲ってる。一畳内にすっぽり収まって動かない。何かを、聞き取れそうで聞き取れない声量でくり返してる。リズムだけが、蠢いてる。粘土みたいな色をした作業服を着てること以外、わからない。けど、フォルムがどことなく佐藤二朗っぽい。この築五十年の木造アパートを心理的瑕疵物件――事故物件たらしめた元入居者なんだろう。
そのおじを見つめる俺は、ゲーム画面を覗いてるような角度。地に足が着いてない感覚があった。
(もうこれ以上、踏み外す足もない、か)
そんな実感が俺を素直にした。
とは言えだ。様子のおかしい奴に声をかけるのは、例え相手が生者だって勇気がいる。奇声を上げられたらだるいし、逆に「うんこ」とか唐突につぶやかれても困るし。
でも、現状維持も精神的にきつい。長い付き合いになるかもしれないんだ。できることなら、穏便にルームシェアしたい。って、そうじゃない。
(……この期に及んで、まだ他人に振り回されるとか)
理不尽すぎる。ここまできて、自由がないとかさすがに詰み――
どんなに神経をすり減らしたところで、失うものはもうなんもないはずだろ。勢い任せに、手を伸ばしたつもりだった。けど、その手は、草生えるくらい土気色で震えてた。
俺にはまだ、震えるほどの“何か”が残ってんのか。
(この体験遺せたら、バズったろうな……)
ノーパソに視線をやりながら、眉尻を下げた時――悪寒が走った。背筋に氷を投げつけられたようで、身の毛がよだつ。
漫画にある擬音語ってガチだわって感心したくらい、「ぞくり」と文字通りの音を立てた。
「さわんないほうがいいよ」
背筋を這う冷酷さが、声に変わった。まるで、俺の隙間に滑り込むように。




