ウサギ(ラビット)のアリス
――魔術。
伝承でしか魔術師の存在を知らぬ王国民は、この単語を聞いて実に様々な現象を想起するものだ。
代表的なところでは、火球や氷の矢。
あるいは、空を箒で飛び回る姿なども、まことしやかに語られている。
が、それらは無知ゆえの間違った伝承というもので、アリスたち実際の魔術師が使う魔術というのは、もっと異なるものであった。
では、真の魔術とは一体、どのようなものか?
その答えは、変身や半獣化といった言葉で表される。
先ほど、ループ・スチュアートはシリンジなる麻薬について、異界から取り込んだエレメントを肉体内へ取り込みキメるものと説明したが……。
まさに、魔術というものも根底では同じ。
この世界に存在する動植物のエレメントを自らへ取り込み、他にないほどのエクスタシーと共に肉体変化を行うのだ。
ならば、ウサギのアリスが取り込むべき動物のエレメントは、ただ一つ。
「はあああああ……っ!」
「ほおう……?
ウサギの特質を得たか?」
恍惚とした声を漏らしながら変身完了するアリスに対し、あごをさすったループがそう告げた。
彼が言った通り……。
まさに、今のアリスは半身半獣と呼ぶべき姿へ変貌していたのである。
下腕部及び両脚は、ウサギの前足と後ろ足が巨大化し置き換わったような状態……。
薄く貧弱だった胸部は、見るからにふさふさな白い毛で覆われていた。
顔面の変化はないものの、やはり、頭頂部から飛び出しているウサギの耳は、彼女の変身を象徴している部位であろう。
それらの変化が、着用していた装束を下から突き破る形で起こっているのだ。
「ふううううう……っ」
そして、変化が起こっているのは肉体だけではない。
精神もまた、同様。
エレメントを取り込んだ高揚感により、アリスの闘争心は平常時より格段に高まっているのである。
「では、ここからが本番――」
「――ふっ!」
ゆえに、ループの台詞を待たない。
――ダアンッ!
という力強い踏み込みと共に、拷問室の石畳が砕け散った。
獣化したアリスの脚力が、それだけでうかがい知れる。
そうして彼女が到達するのは、当然ながら――天井。
だが、わざわざ硬い天井に頭突きを行いはしない。
恐ろしく素早い身のこなしにより、反転。
――ダアンッ!
そのまま、天井を蹴り砕いてループの頭上から襲いかかったのだ。
「むおうっ!」
ウサギの特質を備えた右腕が空振りに終わった反応速度は、称賛に値。
ループはキックボードの圧倒的な加速力を活かし、すぐさまその場を退散したのである。
「面白い! スピード勝負といったところか!」
そこからは、まさにループが言った通りの展開。
床も壁も天井もなく、縦横無尽にキックボードが走り回り……。
やはり、床も壁も天井もなく、立体的にアリスが跳ね回る。
「……ですが、すぐにその勝負は終わります」
そうしながら、アリスが冷静に吐き捨てたのは、闘争心を高めつつも明晰な頭脳が素早く回転していたから。
一見すれば、この攻防は膠着状態に思えたことだろう。
走行と跳躍……互いの行動は、それぞれ性質が異なる。
だが、回避と攻撃行動を両立しているのは共通であり、お互いに攻撃を当てることができずにいたのだ。
……しばらくの間は、だが。
「むうう……っ!」
ループがうめいたのは、攻防の最中にアリスが撒いた毒へ気付いたから。
そう、片や走行、片や跳躍。
いずれも、移動能力に特化した変身を行っている点で共通している。
ただし、アリスの方は跳躍と同時に、このさして広くもない拷問室の壁と言わず床と言わず、砕き潰して回っていたのだ。
そうなれば、車輪によってスピードを得ている側は、どうなるか?
「す、スピードが出せん……っ!」
立ち往生!
圧倒的……立ち往生であった!
ついに、ループの周囲に存在する床はことごとく穿たれた状態となってしまったのだ。
無論、魔性の走破性を備えたキックボードであるから、この状態でも走り回ることそのものは可能。
しかし、先までの瞬間移動じみた高速機動など、望むべくもなかった。
絶好の――好機。
「りゃあああああっ!」
赤いローブを翻し、アリスが放つのは必殺の飛び蹴り……!




