圧倒
いわば、Tankのシャムと呼ぶべき姿に魔装を果たした少女に対し、カラスのデイガンは電撃的な決断を下す。
「――とおっ!」
すなわち、俊敏な動作で背後を振り向き、背中から生やしたたくましい黒翼で飛び去ろうとしたのである。
撤退。
圧倒的――撤退。
「王子殿下に伝えなければ。
この令嬢は――ヤバい!」
彼が逃亡を即決したのは、この一心からであった。
シリンジという全く未知の麻薬。
これはもう、麻薬などというよりは、魔薬と表現した方が相応しい。
それが人体にもたらすのは、デイガンたち魔術師のそれと似て非なる変身なのである。
シャム・スチュアートというご令嬢は、単なる国際誘拐犯ではない。
もっと恐るべき、国家を存亡させるほどの――ナニカだ。
ゆえに、恥も外聞もなく最も賢明な選択肢を選んだのだが……。
クロウにミスがあるとするならば、変身を終えたシャムの戦闘力は、彼が過大に想定したそれすらも上回るものだったことだろう。
「あ、あれは……。
――光の砲弾!?」
ひと飛びにして十メートル以上は稼げる速度を誇る背中の翼によって、ぐんぐんと上昇し離脱するデイガン。
そんな彼に地上から放たれたのは、カラスの特質を得たデイガンの飛行速度すら上回るスピードの光球であった。
直接見たわけではないが、シャムの右腕部に備わった砲口から放たれたものと見て間違いあるまい。
「くっううっ……。
振り切れない」
鳥類の翼を得たデイガンであるが、大空をなんの制約もなく飛び回れるわけではない。
当然ながら、実物のカラス同様の挙動が必要であった。
シャムの放った光球は、明らかにそれを見越している。
完璧な精度でもって、デイガンが備えた黒翼の一方に迫り――直撃したのだ。
「――ぐおあああっ!?」
凄まじい衝撃と熱とが、魔術によって生えだした翼を穿つ。
その破壊力は、根本から翼を消し飛ばすに十分なものであり、翼から飛び散った黒き濡れ羽が夜空に舞った。
「――ぐうっ!?」
片翼を失って飛行し続けられるはずもなく、遥か上空から地面に叩き落とされる。
それでも、着地の衝撃にダメージは存在しないという辺りが、魔術師の凄まじさというものを物語っており……。
その魔術を上回るシリンジという麻薬のヤバさが、証明されていた。
「失礼な殿方だこと。
ここまでエスコートしておいて、レディの準備が整うや否やトンズラここうだなんて、礼儀がなっていないのではなくて?」
デイガンの着地地点までゆるりと歩んできたシャムが、そう言いながら後頭部でまとめられた髪をはらう。
「ちいいっ……!」
それに対し、最も賢明な判断――撤退の目を潰された魔術師は、歯噛みするしかない。
もはや、選択肢は徹底抗戦のみ。
ならば――。
「――おおっ!」
残る片翼を力強く振るい、発生した風の勢いを借りてシャムに突撃する。
接近戦!
超――接近戦だ!
(その右腕も、接近してしまえば上手く使えまい。
装甲で覆われていない柔肌を、我が爪で切り裂いてくれるわ!)
変身したシャムの肉体各部は、蒼く頑強な装甲で覆われている。
だが、下着じみたデザインのそれは、逆に言うならば要所以外は覆っていなかった。
ゆえに、例えば見事なくびれの腹などを切り裂けば、勝利を掴むことも――。
「――見え見えでしてよ」
だが、そんなことはシャムも先刻承知。
彼女は、デイガンが突き出した右手に対し、右脛を合わせていたのである。
通常の人間同士が行う攻防ならば、単なる足を使った防御。
だが、彼女の脛を覆う装甲には、履帯と呼ぶべき機構が備わっており……。
それは、猛烈な勢いで回転し、デイガンの鳥類じみた鉤爪を抉り取ばした!
「――うおおっ!?」
レンガすら切り裂くほどの強度と切れ味を誇る鉤爪がたやすく粉砕され、うめく。
だが、シャムのカウンターは終わらない!
彼女は、苦悶するデイガンの顔面に、強烈な拳を見舞ったのだ。
「――ぐっはあ!?」
たまらず吹き飛ばされ、森の中を転がるデイガン。
なんと凄まじい――パワー。
単純な腕力と脚力に関しても、シャムの方がデイガンを上回っているのは明らかであった。
「思ったよりも脆いのですね」
やや失望した表情になりながら、シャムが右腕の砲身を向けてくる。
その姿から、デイガンを見逃す慢心は一切見受けられなかった。




