8.
「気が付いたか?」
目を開けたシゲルの顔を、パージが覗き込んだ。
夢だったのはすぐに分かった。
だが、こっちが夢ならよかったのにと、シゲルは少しだけ残念に思った。
「父さん――えっと、なんだっけ?……シグェール?が目を覚ましました」
シゲルだよ……人の名前くらい覚えろよ……えっと……パ……?
お互い様とはこの事だ。
シゲルは声が出せないことに気が付き、焦った。
口の中を確認すると、舌はある。だが、粘膜が貼り付くように乾燥している。
「おい、起きれるか?」
パージはそう言うと、シゲルの体を支え起して、口元に木でできた粗末なコップを運んだ。
「ゆっくり飲め」
シゲルとそう年齢が変わらないであろうパージの腕は、シゲルよりも太く頼りがいがあった。
アーノンさんもかっこいいけど、こいつもなかなかだよな。
シゲルは、そう思いながらコップの中の液体を飲んだ。
蜂蜜を溶かした水だろうか。爽やかな甘さが口の中に拡がり、ゆっくりと喉に水分が浸みこむのが気持ちいい。
この世界のことはまだ分からないが、きっと甘味は貴重だろう。
それを惜しげもなく与えてくれることが、シゲルは素直に嬉しかった。
「目が覚めたか」
おかわりの蜂蜜水を飲んでいると、アーノンが部屋に来た。
よく見ると、小さな部屋に置かれた粗末なベッドで寝かされていたらしい。
「今は話すときではないだろうから、ゆっくり休むといい。起きたら少し話したい――いいか?」
「そうだ。お前3日も寝てたんだぞ」
パージの言葉にシゲルは驚いてコップを取り落としそうになった。
「そんなに――?あの、エイクさんは?」
掠れた声でやっと話すと、アーノンとパージはお互いを見合ってから苦笑いした。
「目覚めて最初に言うことがそれかよ――無事だよ。お前のおかげだ」
パージがシゲルの頭を軽く叩きながら言うと、シゲルは「よかった」と声にならない小声で呟いたが、パージにはそれがちゃんと聞こえていた。
「もう少し寝ろ。お前は魔力を使い切って倒れたんだ」
魔力――そう言えば確かにシゲルは、あの時意図的に魔力を使っていた。
今も体に魔力があることを感じることができる。
パージはシゲルの体をベッドに寝かせると、「また見に来る」と言ってアーノンと一緒に部屋を出て行った。
シゲルはもう少し話を聞きたかったが、瞼が落ちるのを止めることができなかった。
次に目が覚めたのは夜だった。
生活音も聞こえない静かさで、深夜なのだろうということはわかる。
シゲルはゆっくりと体を起した。かなりふらつきはするが、起きられる。
ベッドから出て、そっと便所を探しに部屋を出ると、アーノンとパージはもう寝ているようだ。
玄関兼台所の土間の脇に便所があるのを見つけてスッキリすると、部屋に戻る為に台所を横切る。
喉が渇いたが生水を飲んでいいものかわからない。
小さな竈の脇に置かれた大きな甕の上に、シゲルがさっき使ったコップをと柄杓が置いてある。
これが飲料水なのだろうか。
シゲルが起きた時にわかるようにパージが置いてくれていたんだと直感して、くすっと笑った。
ベッドに戻り、ガラスがはめられた窓の外を見ていると、ここが異世界なのだと実感する。
あの光。
あの光に触れたせいで、突然こんな非現実的なことに巻き込まれたんだ。
大体どこだよ、ここは――僕は、みちるに――そうだよ。みちるが僕を待ってるんだ。
理不尽な怒りがシゲルの胸を覆い尽くすようだった。
指先がチリチリと震えるのがわかる。
村人たちに囲まれた時の自分を見る目。
襲ってくる魔獣。
命懸けで戦う彼ら。
全部、シゲルの人生にはなかったものだ。
だが、今は目の前にある。
窓の外から見える、月明かりに照らされた遠くの木々は、あれ以上の魔獣がいる。
そんなところに行けと?
無理に決まってる――
戦ったことなんてない。命の危険に晒されたこともない。
ただ、平凡に生きてきただけなのになんで……
気がつくと、シゲルは泣いていた。
あまりにも現実離れした出来事ばかりで、どこか夢なんじゃないかと思っていた。
漫画や小説では主人公は当たり前みたいに戦っていて、あたりまえみたいに無双していた。
自分もそうだと思っていた。
だが、これは現実なんだと実感した途端、恐怖がこみ上げてきた。
帰りたい――みちるに会いたい――怖い――逃げたい――
布団を頭から被って、声を殺して泣く。
指先の震えが、次第に全身へと広がって、がたがたと震えるが、そんなことも気が付かないほど涙が流れ出てくる。
「眠れないのか」
パージの声がした。眠っていると思ってたのに、起こしてしまったのか。
シゲルは、布団を被ったまま涙を止めようとしたが、無理だった。
「混乱してるんだろ。心配するな」
パージはそう言いながら、ゆっくり部屋に入ってきてベッドに腰を下ろした。
布団越しにパージの手の重みを感じる。
「明日言おうと思ってたけど――父さんとエイクを助けてくれて、ありがとう」
その声は優しくて、素直にシゲルの心に届いた。
「村長から聞いた。あんた、大森林に行きたいって?そのためにうちに来たんだって――それ聞いて初めは俺、反対だったんだ。けど、あんたは父さんたちを助けてくれた」
「ちが……僕、僕はただ咄嗟に……」
シゲルは布団を跳ね除けて、体を起こした。
「僕もよく覚えてないんだ。体が勝手に……でも、僕……」
思い出して体が震える。うまく話せない。
パージは、察してそっとシゲルの肩を抱いた。
「戦ったことがないんだな。怖かっただろ」
その言葉は、シゲルのまだ少しだけ張り詰めた心を決壊させた。




