7.
スクロールは間違いなく、治療を施すためのものだった。
だが、そうではない。
シゲルは、無意識にスクロールに手を当てた。
これはただ傷を癒すものじゃない。体の細胞に魔力を送り、治癒能力を爆発的に上げる魔法陣だ。
だから、人間の体を理解していないと効果はないんだ。
シゲルには、それがわかっていた。
ゆっくりと魔法陣に魔力を流す。
まるで、それが当たり前のように、シゲルはエイクの体に流れる魔力を追っていた。
エイクの傷は左の胸を貫通していた。肺と鎖骨付近を潰されているが、即死できなかったのは幸いだったのだろうか。
シゲルは、損傷個所を一つ一つ修復するように魔力をコントロールする。
――その血管をつなげて……そこは神経が切れている。肺を修復しないと、息が苦しいよね……
シゲルの魔力はゆっくりと、エイクの体を修復していく。
苦しそうなエイクの呼吸が、吐血の後に穏やかになると、シゲルとエイクを見守っていた全員が安堵の溜息を漏らしたのが分かった。
「エイク――さん?ゆっくり寝られる場所に」
呼吸を整えながら言うと同時だった。
安堵の表情を浮かべていたパージが、森の方角を見て腰に下げていた剣を抜いた。
「父さん――」
「ちっ」
パージがアーノンに目配せをすると、アーノンは舌打ちしつつも頷いて、エイクを担ぎながらオスカーを連れて家の中に駆け込んだ。
不穏な空気を感じたシゲルは、朦朧とした意識をパージ達の視線の方向に向ける。
大量の魔力が動いている。そして、それらは明確にこっちに向かっている。
「魔獣溢れか?」
「いや――だが、油断できない数だ」
パージが答えると、男も剣を構える。
二人だけで?
シゲルの心配は不要だった。
エイクをオスカーに預けたアーノンが、シゲルの体ほどもある大剣を持って戻ってきたと同時に、森から数十体の魔獣が狂ったように飛び出してきた。
「ひっ」
シゲルはその場に尻餅をついたが、パージ達は既に魔獣の群れに向かっていた。
なんて速さだ――
シゲルが呆気に取られていると、アーノンの剣から炎が吹き出て、魔獣たちの勢いを弱めた。
続いてパージが剣から稲妻を発すると、先頭の魔獣数体をスタンさせたのか、動きが止まった。
最後にエイクを運んできた男が、追いかけるのもやっとな速さで魔獣の体を切り裂いていく。
見事な連携だった。
だが、相手は獣だ。中には小さいものもいた。
「オヴィーがいただと!?」
パージの声が聞こえた。
30㎝程度の大きさの魔獣が3人を取り囲み、弄ぶように彼らの体をつついては離れる。
剣を振るとその小さな体を活かして素早く躱す。彼らは他の魔獣も相手にしながらオヴィーに食われないようにしないといけないので、戦いにくそうにしている。
そして、次第にその包囲網は小さくなっていく。
「コンプソグナトゥス……?」
子供の頃に映画で見た恐竜そのままだが、それよりももっと小さい。
シゲルはやっと目の前で何が起きているのかを理解した。
魔獣は半数は既に倒されていたが、足元を纏わりつくオヴィーのせいでうまく動けないように見える。
オヴィーに気を取られていたアーノンに、狼のような魔獣が襲い掛かる。
「伏せて!」
シゲルが叫ぶと同時に、アーノンが身を伏せた。
瞬間、シゲルが放った炎が周囲の魔獣を巻き込んで狼を貫いた。
それは、形勢逆転の契機だった。
怯んだ魔獣たちを圧倒するように、魔法と剣で戦う彼らの姿は圧巻だった。
これぞファンタジーだな、とシゲルは思ったが、決着を見届けるまでその意識を保つことができなかった。
みちる?なんで怒ってるんだよ――
みちるは見た事もない建物の中に佇んで、シゲルを睨んでいる。ここはどこだ?
随分と古い場所――石で作られた……まるで牢のような冷たい部屋だ。
だけど、目の前にみちるがいることだけは間違いない。
みちるとは、まだ喧嘩をした事がない。だから、怒っている顔なんて知らない。
なのに、目の前のみちるは怒っている。
シゲルはみちるのことを忘れていた自分をようやく思い出した。
ごめん。忘れてたわけじゃないんだよ?僕だって急にこんなところに連れてこられて……
みちるの責めるような目に、シゲルはそれ以上続けられなかった。
確かに楽しんでいた自分もいた。その間、みちるのことを思い出しもしなかった。
でもしょうがないじゃないか。
シゲルは開き直ろうとした。
僕だって必死だったんだ。今も必死だ。君のために――君の所に戻りたいんだよ。
みちるに手を伸ばすが届かない。
すぐ目の前にいるのに。
抱き締めて、キスをして、頭を撫でてあげたい。みちるはそうされるのが好きだったから。
シゲルは必死で手を伸ばすが、その分みちるは離れていく。
アキレスの亀かよ――
シゲルのイライラは頂点に達していたが、みちるはどんどん離れていく。
待って。お願いだから。
シゲルは遂に走り出したが、何かが足に絡まるようだ――いや、足の感覚がないのだ。
体が痺れて動かない。
みちるの姿はどんどん小さくなる。
待って――待ってよ――
シゲルは必死に叫ぼうとしたが、さっきから声が出ていないことにやっと気が付いた。
まるで舌を切り取られたように、舌の感覚がない。
どういうことだよ。
恐怖よりも腹立たしさが勝った。
なんなんだよ。一体なんだっていうんだよ!
シゲルは魔力を練ると、昨日の魔力暴走を思い出して、同じようにしてみた。
狙い通りその空間は壊れたが、みちるはいない。
シゲルが目を開けると、またしても知らない天井だった。
知らない天井第二弾




