5.
「アベル王子が死んで――じゃない、亡くなってないってどういう事なんですか?」
数千年前の人間が生きているなんて、例え無限の魔力を持っていても有り得ない――え?魔力?
なんでそんな事思った?
シゲルの戸惑いを無視して、オスカーは緑の革の本をシゲルに見せた。
「この本は、太古の預言者が書いたとされており、アソンの村の長だけに伝えられてきたものです」
表紙には何も書かれておらず、何千年もの間、幾人もの手を経てきたと思えないほど、状態のいいそれをオスカーは大事そうに開いた。
「この本にはこう書かれています。アベル王子の肉体は滅んだが、魂は大森林に囚われており、いつかアベル王子の現身となる者が現れた時、アベル王子は復活するだろう」
これが――この世界の文字?
まるでヒエログリフのような象形文字に近い文字だ。さっき村長が見せたスクロールにも、似たような模様があった。
「七度目の噴火のあと、イグルスの山は怒りを抑え――」
目についた箇所を口に出して読むと、オスカーは慌てて本を閉じて自分の懐に抱きかかえた。
そして、目を見開いてシゲルを見つめた。
「やはりあなたは――アベル王子の現身……」
「いや、だからなんなんですか、それ。何度も言いますが、僕はアベル王子なんて人知らないですからね」
「この本が書かれたのは数千年前です」
そんな当たり前のこと、何を改まって言ってるんだ――いや、初めて聞いた。
村長はただ「太古の預言者が書いた」としか言わなかった。
なのに、シゲルの頭では何千年も前から存在していると、理解していたのだ。
「そして、この本が書かれているのは古代語なのです」
オスカーは、シゲルの困惑など構わぬといった様子で続けた。――いやシゲルの様子など目に入っていないのかもしれない。
「古代語は、失われた文明で使われていた文字――今の時代で読める者は存在しません」
「は――?」
そんな事言われても、読めるものは仕方ない。
おそらく、異世界転生によくあるチート能力とか、転生ボーナスみたいなものなんだろう。
しかし、それを説明するのも難しい。
「じゃあ、なんであなたは知ってるんです?その本の内容」
こういう時は話を逸らすのが一番だ。
「この本は、代々この村の村長にのみ伝わってきました。そして、その内容も、です」
うまく話を逸らせたのか、オスカーは神妙な顔で答えた。
「この村ができた年代も、この本が書かれた年代も不明ですが、おそらくその頃から伝わってきたのでしょう」
混乱するシゲルをよそに、オスカーは続けた。
「我々は大森林の裾野に暮らす者――アベル王子に最も近い場所にいる者ということになります」
「待って下さい。ほんっとうに僕、全く分からないんですが……まず、ここ、この世界ってどんなとこなんですか?」
オスカーの説明はよくわかった。
ここはオシュクール公国にあるアソンの村。
オシュクール公国は西に大森林、東にアンドレア王国、南北を山と海に挟まれた小さな国である。
アソンの村はその国の最西端にあり、大森林からこの国を守っている。そういう村は他に4つある。
大森林とは、はるか昔アスラン帝国があった場所で、アベル王子が魔力暴走で滅ぼした国の跡地が、長い年月を経て木々に覆われた大森林と呼ばれるようになったそうだ。
「人間だけではなく、魔獣も植物も魔力を持ちますので、森などは人里より魔力が濃いのです。しかし、大森林の魔力はその比ではありません」
「ま……魔獣?」
シゲルの目が輝いた。やっぱりここはゲームの世界なのか?
「やっぱり、瘴気とか聖女とかいるんですか?魔王とか」
身を乗り出すように尋ねるシゲルを、オスカーは再び怪訝な顔で見たが、小さく咳ばらいをして自分を落ちつけた。
「魔獣というのは、魔力を持った生き物です。まあ、魔力を持たない生き物などいないので、人間も魔獣と言われればそうなのでしょうが」
つまり、魔力で進化した動物なのだろうか。シゲルはもっと聞きたかったが我慢することにした。
まずは情報収集が先決だ。
大森林だけでなく、この村自体も魔力が非常に濃いらしく、魔力の弱い人間は近付くことすらできない。
この村の人間は皆、王国の貴族並の魔力を有しているのだと言ったオスカーは、どこか自慢げに見えた。
「アソンのハンターは、この世界のどの国のハンターより優秀なのです」
オスカーの言葉はシゲルの好奇心をくすぐった。
ハンターなんて言葉を、生きている間に生で聞くことができるなんて思わなかった。
「ハンターは大森林で魔獣を狩ります。この村はその魔獣の素材を取引することで成り立っているのです」
ゲームだ。まるでゲームの世界じゃないか!
シゲルは興奮する気持ちを抑えられなかった。
あれこれとオスカーを質問攻めにし終えた頃には、外はもう夕方だった。
シゲルは愛用の腕時計を見たが、短針は3を指している。
それもそうか。
シゲルがあの光に振れたのは23時ごろだ。ここに来たのは昼間だった。そもそもの時間がずれているのだ。
中年の女中が食事の時間を告げに来たので、オスカーは安堵の表情を浮かべた。
シゲルの質問地獄から解放されると思ったのだろう。
「トイレ……あるんだ……」
食事の前に用足しがしたいと言うと、手洗いに案内された。
もちろん、現代的な洋式のそれではない。
だが、木造りの便座の下に置かれた容器の中には、炭やおがくずが敷き詰められている。
そばのハンドルを回すと、容器の中身が攪拌される。
バイオトイレだ――これ。
しかも、ハンドルと攪拌プロペラの構造を考える限り、ギアまであるのだ。
「トイレで異世界を実感するなんて――」
シゲルの胸に、なんともいえない残念な気持ちが広がった。




