4.
目が覚めると、知らない天井が目に入った。
こんなテンプレ通りな感想を抱く日が来るなんて――
滋は大きく溜息をついた。
夢かと思ったが、見慣れたビニールクロスの天井はなく、漆喰や木でできた天井と、埃臭く寝心地の悪いベッドが夢ではないと告げている。
滋はもう一度ゆっくり目を閉じ、大きく息を吐いた。
意識を失う前のあの声。
あの声は「大丈夫」と言っていた。そして、自分の下に来いとも――
「気が付かれたか」
滋のいる部屋の扉が開き、見たところ40代前半の赤毛の男が入ってきた。
「あの――僕――」
起き上がろうとする滋に、男は制するように手を出した。
「あなたは魔力暴走を起こしたんだ。急に起き上がるとまた倒れますよ」
「魔力暴走――?」
何を言ってるんだ?と、言いたいのをぐっと堪えた。
「あなたが作ったあの土の壁、あれを壊した程度で済んでよかった」
「あの土の……?その……怪我人とかは出なかったんですか?」
意識を失う前、確かに何かが爆発する感覚があった。
それがあの土の壁を壊したのなら、破片が飛散したのではないか。
だが、男は穏やかに首を左右に振った。
「何人かは破片がぶつかったようですが、怪我人は出てませんよ」
「は?破片がぶつかったのに怪我しないなんて」
「皆、あの状況でしたし、身体強化をしていましたから。破片程度ものともしません」
男はにこやかに笑い、そしてすぐに表情を引き締めた。
「村の人間はあなたをアベル王子の生まれ変わりだと言ってましたが」
滋が寝ている粗末なベッドの脇に座ると、男はそう言ったが、なんのことだか全くわからない。
しかし、意識を失う前の村人達が思い出される。
下手なことを言ってまた捕まえるだのなんだのになってはいけないと、滋は身構えた。
「そう身構えなくて大丈夫。私はこの村――アソンの村長をしているオスカー。ロンベル家の者ですが、ただのオスカーとお呼びください」
オスカーはそう言うと、滋に白湯の入った木製のカップを差し出した。
ゆっくりと体を起こし、ふらつく頭を抑えながらカップを受け取り白湯を啜る。
程よく暖かい白湯は少し甘く、喉元を通る熱が滋の緊張を少しだけ解してくれた。
「あの――僕は中……」
中津滋と言ったところで名前として通じるとは思えない。
「シゲルと呼んでください――それで、あの」
「アベル王子のこと、ですね」
オスカーはシゲルの言わんとしていることがわかるようだが、シゲルは遮るように言った。
「アベル王子の事も気になりますけど、魔力暴走とか身体強化って、なんですか?」
「魔力暴走――と言うのは」
困惑気味だが、オスカーが説明を始めたので、実はこの人はいい人なのかもしれないと、滋は思った。
「体の中の魔力が抑えきれずに吹き出し、魔力渦を引き起こします。その渦が広がって周囲を巻き込む事を魔力暴走と言います。平民であれば家一軒を壊す程度ですが、貴族ほどの魔力量ともなると大きな都がひとつ滅ぶ事もあります」
そんな危険な事をしでかしたのか――とシゲルは焦ったが、すぐに思い直した。
いや待て。そもそも僕に魔力なんてあるわけないじゃないか。僕は現代世界で生まれた日本人だぞ?
「そして、身体強化ですが、これはそのままですね。体の中の魔力を使って肉体を強化するものです」
ファンタジーにはお約束の身体強化だ!
シゲルは少しだけ胸がときめくのがわかった。
つまり、ここはラノベとかゲームの世界なのかも。今はチュートリアルで、あの土の壁が魔法のチュートリアルとか?――だとすると……
「ステータス」
シゲルは小さい声で宙に向かって呟いたが、何も起きない。
いや、オスカーの怪訝というか、得体の知れないものを見るような顔つきが、シゲルの心を小さく抉った。
体が起こせるのならと、オスカーはシゲルを居間に案内した。
質素だか、丁寧な彫刻が施されたマントルピースに、ガラスが嵌め込まれた大きな窓がある部屋だ。
オスカーはシゲルを座り心地の悪いソファに座らせると、しばらく部屋を出て行った。
その間、中年の女中がおぼつかない手つきで素焼きのティーポットと、申し訳程度に釉薬の塗られたカップで茶を入れてくれた。
コーヒーがよかったんだけどな……
口には出さずに茶を口に運ぶと、紅茶とは違う花の香りが口の中いっぱいに広がった。
砂糖とも蜂蜜とも違う、柔らかく甘味が、なぜか懐かしく感じられた。
シゲルはコーヒーへの想いなど忘れて、まるで以前からこの茶を好んでいたかのような感覚に陥った。
飲んだことのない茶。見たことのない景色。
違和感しかないはずなのに、違和感を覚えない。
さっきので、ゲームの世界に入ってしまったのではないということは理解した。
これまで読んだラノベにも、アベル王子なんて伝説の人物は出てこなかったから、物語の中に入ってしまったわけでもない。
と、なるとやはり異世界転移か。
「こんなのどうすりゃいいんだよ……」
小さく呟いたと同時に、オスカーが緑色の革で装丁されたノートを手に戻ってきた。
シゲルが頷くと、オスカーはゆっくりと話し始めた。
「アベル王子とは、数千年前に存在した人物で世界で2人目の魔法使いだったのです」
「2人目?初めての魔法使いじゃなくて?」
普通こういう時は、始まりの魔法使いとか歴代最高の魔法使いって設定じゃないのか?
「初めて生まれた魔法使いはジュノア・エスクード。アンドレア王国建国の英雄であり、アベル王子の師でもありました」
オスカーはそう言うと、立ち上がってマントルピースの上の小箱から小さな紙切れを出してシゲルに見せた。
「これは着火の魔法陣です。これに魔力を通すことで――」
オスカーの指先から紙に、何かが流れ込んだように見えた瞬間、紙は勢いよく小さな炎をあげ、薪のない暖炉に落ちて燃え尽きた。
「これもアベル王子の遺した魔法陣です。アベル王子は魔法陣を使わずに魔法を使う事ができましたが、魔法を魔法陣にすることで多くの人が使えるようにと考えたのです」
オスカーは、火の落ちた場所に念入りに灰をかけると、シゲルの前に腰を下ろした、
「現存する魔法陣の殆どはアベル王子が作った魔法陣だと言われています」
「すごい人だったんですね。それでこの世界の人たちはアベル王子を信仰している――と?」
「とんでもない!」
シゲルの言葉にオスカーは怒気を含めた声で、即座に否定した。
「失礼……。信仰の対象は神々のみです。例えアベル王子が神に選ばれたとしても、信仰の対象にするなど以ての外です」
どうも、この世界の禁忌だったらしい。
シゲルは申し訳なく思い、小さく頭を下げた。
「それで、オスカーさんも僕がアベル王子の生まれ変わりと思ってるんですか?」
話を逸らそうと――いや、この場合は戻そうとして――シゲルはおずおずと尋ねた。
「いえ。生まれ変わり――は適切ではありません」
オスカーは手に持った緑の革の本に目を落とすと、一息ついて顔を上げた。
「アベル王子はお亡くなりになっていないからです」




