36.
大森林を進むにつれ、アーノンもパージも、目に見えて動きに精彩さを欠くようになっていた。
魔獣が格段に強くなっていたのもあるかもしれない。
だが、それ以上に彼らが苦しそうに見えるのは気のせいではない。
シゲルは、パージに治癒のスクロールを使いながら、考えていた。
さっきの戦闘で魔獣の蹄を食らい、鎖骨を折ってしまったのだ。
鎖帷子があっても、魔力がうまく練れていなかったのが原因だと、シゲルにはわかっていた。
幸い、骨は綺麗に折れていたので、すぐにくっつけることができたが、これから先も同じことがあればどうなるか分からない。
「治ったよ」
「すまない」
パージは確認するように腕を回してシゲルを見た。
その顔色はよくない。怪我のせいでないことは確かだ。
「アーノン達は戻った方がいい」
突然、カインは冷たい口調で言った。
「何を――」
言い返すアーノンもつらそうに見える。
だが、そう言うカインも平気そうにしているが、魔力が揺らいでいるのをシゲルは見逃さなかった。
「周囲の魔力が濃くなっている。つらいんだろう?これ以上進むのは無理だ」
カインの言葉は正しかった。
カインでさえ息苦しさを覚えるほどに、この辺りの魔力は濃度が増している。カインよりも魔力量が劣るアーノンとパージがここまで来られたこと自体、奇跡に近い。
「おや――」
聞き覚えのある声が響いた。
「アンジェロ――」
シゲルとカインはすぐさま武器を構えて声の方向に体を向けた。
「見知った気配がするから様子を見に来てみれば……君達から来てくれるとはね」
アンジェロは離れた場所にある木にもたれかかって、以前見たとおりの魅力的な笑みを浮かべている。
「なんでお前がここにいるんだ」
「やあ、少年。随分と魔力の扱いがうまくなったようだけど――あと少しだね」
シゲルの言葉にアンジェロは嬉しそうに頬を緩めた。
「何を言ってるのかわからない。お前の目的はなんなんだよ。なんで僕に興味を持ってるんだ」
アンジェロまでの距離は5m程度。一息で詰められる距離ではあるが、アンジェロにはあの魔力の圧をぶつける攻撃がある。下手に動くことはできないと思っているのはカインも同じらしい。
「私が目指す場所と、君達が目指す場所はきっと同じであり、違うのだろうね。だから、今は何もしない。剣を収めたまえ」
アンジェロはそう言うと、アーノンとパージを指差した。
「そこの二人は限界だ――閣下も、時間の問題だろう。いいのかい?少年」
シゲルは息を飲んでアーノンとパージを見た。カインだけは剣を構えたままアンジェロを睨みつけている。
「もっと魔力の根源を理解するんだ。君達は概念にとらわれすぎている」
アンジェロはそう言うと、ゆっくりと手を挙げ、振り下ろした。
同時に無数の氷の礫がシゲルとカインを襲ったが、殺傷するほどの威力はなく、視界だけが遮られた。
そして、視界が再び開けた時にはアンジェロの姿は底にはなかった。
「あいつは一体なんなんだ」
忌々し気にカインは吐き捨てたが、シゲルはアンジェロの言った言葉を反芻していた。
――魔力の根源。
シゲルは自分の手を見た。
この世界に来た時はただ溢れ出していた魔力。
魔力制御を覚えてからは、体に纏わせるように抑えていたが、大森林を進むにつれいつの間にか魔力制御はしなくなっていた――いや、正確にはしないようになっていた。
シゲルが大森林の魔力に圧されないのは、魔力を呼吸のように循環させているからだ。
それは無意識にしていたことだが、シゲルはなぜそうするようになったのかを考えた。
「魔獣――」
「なんだって」
カインが再び剣を構えようとしたのを、シゲルは慌てて制した。
「違います!悔しいけど、あいつの言ったことで気が付いたんです。魔獣たちは僕達よりも魔力が低いのに、なんでこの魔力の中で平気なのかを」
「どういうことだ」
アーノンが苦しさを隠しながら尋ねた。
その灰色の瞳には、まだ戦う意思があることをシゲルは理解していた。
魔獣たちと刃を交えるうちに気が付いたのは、魔獣たちは魔力を制御していない。
シゲルたちよりも魔力が弱い魔獣たちが、この魔力の圧力の中で平然と生きていられるのはそのせいではないかと、本能的に感じていた。
「僕がアーノンさんの家にお世話になったばかりの頃、魔力が漏れていたのを覚えてますか?魔獣も、その状態なんです。つまり、魔力を体の中に閉じ込めるんじゃなくて、常に循環させるんですよ」
「そんなことをしたら魔力暴走を起してしまう」
カインが否定するのも無理はなかった。
この世界ではそう信じられていたからだし、それは人里においては間違いではなかった。
「それは、吸収する魔力よりも出て行く魔力が多いからです。ここなら、出て行く魔力と同じだけの魔力を吸収することができます」
シゲルが言ったが、カインはそれでも不安そうにアーノン達を見た。
「魔力制御をやめて、魔力を外に流してください」
「しかし――」
この世界の人間は歩くよりも先に魔力制御を覚える。それが当たり前になっている。
だが、あのアンジェロの言葉を反芻する。
概念にとらわれすぎている――
「悔しいけど、あいつの言葉は正しい。魔力制御をしなきゃいけないって考えすぎてたんです」
シゲルはアーノンの手を握った。
アーノンの手をシゲルの魔力が包む。
シゲルの周りの魔力の流れが、手を通って感じられた。
魔力はシゲルの中に入り、そしてゆっくりと流れ出て行く。
「なるほど――」
アーノンは、その流れが恐怖ではなく安心するものだと肌で感じることができた。
ゆっくりと呼吸をするように、魔力を開放していくと驚くほどに体が軽くなる。
「なんてことだ」
成功だった。




