18.
小屋から歩いて30分ほどすると、シゲルの息は順調に上がっていたが、パージは平気そうだった。
都会生まれと田舎育ちの問題ではないことはシゲルにもわかっている。
連日の子供達とのかけ鬼でしごかれた体は、かなり疲れている。その上、草竜に全力でしがみついていたのだ。
現代日本人の標準的な成人男性程度の体力しか持ち合わせていないシゲルには、つらい行軍だ。
今朝も無理矢理飲まされたシスルの花茶のおかげで、魔力自体は回復しているのが分かる。
――ちくしょう。なんでできないんだよ。身体強化……
シゲルはぼやきを口から出すこともできなかった。
その時だった。
「おい!」
パージの声が聞こえたかと思ったら、大きくて肉厚な衝撃がシゲルの体を襲った。
――やばい。死ぬ。
ゆっくりと動く景色の中で、七面鳥ほどの大きさの鳥のような魔獣が突進してくるのが見えた。
こんなところで死ぬわけにいかない。それも、鳥に轢かれてなんて辛すぎる。
そう思ったおかげか、シゲルは魔力を効率よく体に纏わせて、その魔獣を受け止めることができた。
「ほら、できたじゃねえか」
パージの満足気な声を聞いて、シゲルの意識は途絶えた。
大森林での狩りを始めて7日目になった。
「おい、いい加減にしろよ」
パージの怒気を含んだ声がシゲルの鼓膜を震わせる。
「そんなこと言ったって……」
木に吊るした七面鳥ほどの大きさの鳥型の魔獣――ガーグを回収しながら、パージはシゲルを睨んだ。
一体こいつはいつになったらまともに戦えるんだ?
パージは血抜きの終わったガーグを担ぐと、うじうじとしょげているシゲルを置いて、さっさと一の小屋に引き上げた。
今日はガーグだけではなく、オヴィーと山狼も狩ったので大荷物なのだ。
シゲルは勝手についてくるのはこれまでの経験でわかっているから、振り返らない。
だからパージは知らなかった。
シゲルが靴の紐を結ぶ為に俯いていたことを。
「パージ……?」
顔を上げたシゲルは、パージの姿がない事に急に不安になった。
腰から下げたナイフを、無意識に取り出す。
身体強化はできている。
この7日でシゲルの体力も魔力操作も格段に向上したのは自分でもわかる。
だが、シゲルは未だに獲物を一匹も狩れていない。
さっきのガーグだって、初日と同じようにぶつかってきたのを受け止めただけだし、結局パージが絞めてくれた。
パージが怒るのも無理はない。
だが、それと森に一人取り残されるのは違うじゃないか、とシゲルは思った。
パージやアーノンには道がわかっているかもしれないが、シゲルにとっては視界は全て木だ。
どこが北でどこが南かもわからなければ、村の方角も一の小屋の方角も知らない。
シゲルは一度ゆっくりと息を吐いた。
怖いからと逃げ出したところで、今よりも状況が悪くなるだけだ。
ナイフを握る手を見つめる。
大丈夫。漏れてない。魔獣は来ない。
ここで待っていればパージが迎えに来てくれる。だから大丈夫。
自分に言い聞かせるように、しかしゆっくりと移動して木を背に立つ。
しまった――
その木はガーグが吊るされていた場所だ。そして、シゲルの足元にはガーグの血が、まだ土に吸収されきれずに残っていた。
ガーグの血は山狼の好物なのだとパージが言っていたのを思い出した。
だからパージは血抜きの間、結界を張ったのだ。
そして、そのスクロールはパージがガーグと一緒に持って行ってしまった。
ガサガサと遠くから葉擦れの音が聞こえる。
パージが心配して迎えに来てくれたに違いない。
シゲルはそう思おうとしたが、体はナイフを構えていた。
アーノンに教わった通り、着ていたチュニックを急いで脱ぐと、左の腕に巻き付ける。
パージであってくれ。
だが、近付いてくる魔力はパージのものではない。
目の前の茂みが揺らいだ気がした。
「うわああ!!」
飛び出してきた灰色の毛皮を纏った魔獣と共に、シゲルは力一杯叫んで、左手を振り回した。
硬い毛皮と、鈍い肉の感触が手に伝わる。
一撃目は弾くことができたようで、その魔獣は態勢を立て直してシゲルを睨みつける。
山狼だ。
生きてる姿を見るのはこれで二度目だ。
山狼は、じりじりとシゲルの左側に移動する。
シゲルの後ろは木だ。
つまり、逃げる方向は正面か右手に絞られる。それは、山狼にとって非常に有利な立ち位置だというのは、狙われているシゲルにもよくわかった。
背中を向けた瞬間に喰われる。
どうしたら――
何度もパージはシゲルにせめて獲物に止めを刺せと言っていた。
シゲルは生き物の命を奪うことが怖くて、ずっと逃げていた。だから、狩りもうまくできなかった。
パージの言っていたことは正しいことはシゲルにだってわかっていた。
だが、どこかで安心していたのだ。
パージとアーノンが守ってくれると。
それを自覚した途端、目から涙があふれてきた。
緊張が一瞬緩んだのは、シゲル本人よりも山狼の方が先に察知した。
一瞬――本当に一瞬という言葉の通り、山狼はシゲルに飛びかかった。
死ぬ。今度こそ死ぬ――いやだ。みちる――
みちるの顔がぼんやりと浮かんだが、はっきりと思い出せない。
だが、死ぬわけにはいかない。帰らないといけない。その気持ちは、はっきりと輪郭を得ている。
構えたシゲルの左腕に鈍い痛みが走ったが、同時に右手に握っていたナイフで、山狼の喉元を切り裂いた。
肉を斬る鈍い感覚がシゲルの右手に伝わり、左腕に食い込んでいた牙の力が緩んだ。
「シゲル!」
山狼が絶命したのと、パージが戻ってきたのは同時だった。




