第零部『亡命者』:第三章「志を奏でる都-アノンノア-」:終
久しぶりに街へ出ると――
空気が、変わっていた。
明らかに、以前とは違う。
行き交う人の数が、増えている。
誰もが、どこか浮き足立っている。
頭上では――
見たことのない〈飛行型律霊機〉が、荷物を運んで静かに行き交っていた。
「すごい……」
理奈が、呟く。
俺も、同じことを思っていた。
(一年前――
俺たちが初めてここに来た時は、こんなじゃなかった)
たった一年で、こんなに変わるんだ。
広場で、彩恵さんの屋台を見つけた。
「彩恵さん!」
理奈が声をかけると――
「おお!」
彩恵さんが、振り返った。
「二人とも!」
彼女は、俺たちの姿を見て――
満面の笑みを浮かべた。
「いい顔になったじゃないか!」
その言葉に、俺と理奈は顔を見合わせて笑った。
彩恵さんは、俺たちの帰還を――
自分のことのように、喜んでくれた。
そして、近況を語りながら――
新しい律霊機の話をしてくれた。
「ありゃあ便利だよ、〈飛行型律霊機〉『配翼』さ。
おかげで交換所まで行かずに済む。
……まあ、その分、顔を合わせて「ついでにこれ、あそこの爺さんに渡しといてくれ」って伝言が減っちまった。
湯気と一緒に運ばれてた“世間話”は、機械じゃ運べないね」
彩恵はそう言って、悪戯っぽく笑った。
◆
それからの日々は――まるで、ご褒美のようだった。
俺と理奈は、様々な体験授業に参加した。
アノンノアの『志行邦民』たちが、
自らの『志』の一端を、次の世代に分かち与える――
そんな学びの場だ。
鉱石の声を聴く、地質学。
「この石の中には、千年の記憶が眠っている」
老いた地質学者が、言った。
風の流れを読む、建築学。
「風は敵ではない。協力者だ」
建築家が、模型を動かしながら教えてくれた。
そして――
俺が最も心を奪われたのは、
律霊と魔法を融合させて行う、音響工学。
「音は、ただの振動ではありません」
音響工学者が、言った。
「魂を運ぶ、器なのです」
世界は――
俺が知っていたよりも、遥かに広く、深く、
そして美しかった。
「私――」
ある日の帰り道、理奈が言った。
「もう少しだけ、『探志邦民』でいることにする」
俺は、立ち止まった。
「アルティフィキアにいた頃は――」
理奈は、遠くを見るような目をした。
「歯車のことしか、知らなかった」
彼女の声が、少し寂しそうに響く。
一呼吸置いて、続けた。
「でも、ここには――」
木工も、織物も、農業だってある」
彼女は、俺を見た。
「もっと色々なものに触れて、
本当に自分の作りたいものを、見つけたいんだ」
その横顔は――
以前の諦めとは違う、
希望に満ちた輝きを放っていた。
「……いいと思う」
俺は、笑った。
「理奈らしい」
「俺は、決まったよ」
俺は答えた。
「作りたいものが、作るべきものが、はっきりと見えた」
その言葉が、何かを変える引き金になったのかもしれない。
数日後――
〈志端〉が、光った。
〈来訪者〉の表示。
名前を見た瞬間――
俺は、驚いた。
〈来訪者:マルコ・ベザン〉
まさか。
急いで指定された場所に行くと――
そこには、本当にマルコがいた。
以前と変わらない、商人の笑みを浮かべて。
「お久しぶりです、奏真さん」
「マルコさん……なぜ、ここに?」
「商人は、情報の匂いを嗅ぎつけるものでして」
彼は、悪戯っぽく笑った。
部屋に急いで案内すると――
マルコは挨拶もそこそこに、一枚のくたびれた手紙を、テーブルに置く。
その表情が、少し真剣になった。
「先日、ヴィリディアで商談がありましてね。古い取引先の農夫が、これを見せてくれた。
アノンノアにいる息子さんからの手紙だ、と。――『修己』入門で、ご一緒だった方では?」
差出人は、テオだ。
「協連は今――揺れています」
マルコは、単刀直直に切り出した。
ヴィリディアからアノンノアへの移住者が急増していること。
食料生産量が、落ち込んでいること。
そして――
「危機感を抱いた中枢の、影部門が動き始めました」
マルコの声が、低くなった。
「アノンノアを敵視し、本格的な情報収集を始めている」
「影部門……?」
「名は諸説あります」
マルコは、声を潜めた。
「ですが、商人の間では――
”影の卓” と、囁かれています」
一呼吸置いて、続けた。
「表の議場とは別に、結果だけを通す卓がある、とね」
その言葉に、背筋が寒くなった。
密室の決定。
秘密の権力。
「なぜ、そんな話を俺に?」
「商人の勘、とでも言っておきましょうか」
マルコは肩をすくめた。
「『連衡』――協連中枢の連中は、アノンノアが “労働力” を盗んでいると考えている。
だが、俺にはそうは見えない。彼らは “希望” を求めてここに来ている。……違いますかな?」
俺は、マルコの目を真っ直ぐに見返した。
共和国の特使などではないこと。
友を残して逃げてきた、ただの職人であること。
いつか彼らを迎えに行きたいと願っていること。
そしてアノンノアが、それを可能にしてくれるかもしれない場所であること――
俺は、知る限りを話した。
マルコは、腕を組んで黙って聞いていた。
長い沈黙。
やがて――深く、長い溜息をついた。
「……腑に落ちました」
彼は、俺を見た。
「彼らが恐れているのは――
人手の流出じゃない」
一呼吸置いて、続けた。
「 ”物差し“ の、流出だ」
「 ”物差し“ ……?」
「ええ」
マルコは、頷いた。
「衡位では計れない《値》。
それが、広まることを恐れているんですな」
彼は立ち上がり、俺の肩を叩いた。
「面白い話が聞けました。感謝します。
……ところで、先日、〈アノンノア機構〉にお邪魔した際に、一つ質問をさせてもらいましてね」
マルコは、少し声を潜めた。
「この『天蓋』の外で、あなた方の公開情報を見る方法はないのか、と。
そうすれば、我々のような商人にも、あなた方の ”物差し“ の素晴らしさが広まるだろう、とね」
俺は、マルコの意図を測りかねて黙って聞いていると、彼は続ける。
「そうしたら、こんな返事が返ってきましてね。
遠方接続・読み取り・〈アノンノア機構〉へのメッセージ機能など限定的な機能を持った
〈見窓志盤〉を、もし邦民の許可が取れれば、最初の百機は無償提供出来る、と」
俺は、驚きに目を見開いた。そんな話は、初耳だった。
その時、近くで二人の会話を聞いていた理奈が、素早く自分の〈志盤〉を開いた。
彼女の指が、高速で〈公開掲示板〉をスクロールしていく。
「……これだわ」
理奈が、画面を俺に見せた。そこには――
〈発議No.1027:〈見窓志盤〉100機 無償供与(閲覧・限定返信仕様)〉
〈発議者:アノンノア機構〉
〈要請者:協連の商人ギルド〉
〈要請:自邦で一次情報を閲覧したい〉
〈目的:域外からの〈縁鎖〉閲覧+限定メッセージ(短尺)を可能にする“読み窓”の提供〉
〈初期数:100機(三週の実地検証後、最大+200機の段階拡張を自動再発議)〉
〈機能制限:閲覧専用/短尺音声・テキスト返信のみ/記名配布・暗号化〉
〈保全:改造検知時は閲覧専用へ自動縮退/破壊時も“ただの窓”として残存〉
〈無償:供与は橋であり、手綱ではない(〈アノンノア原理〉引用)〉
〈条件:邦民発議+投票可決〉
マルコが話していた内容とほぼ同じ議題が、すでに掲載されていた。
そして、その下には――
現在進行で、賛可が跳ね上がっている。
73%――
画面を見つめる。
81%――
「すごい……」
理奈が、息を呑む。
92%――
ピン――
澄んだ音が、響いた。
〈結果:可決〉
〈初期配備:見窓志盤・100機〉
〈配送先:商会連絡所(連衡・南部三邦)〉
〈備考:三週後、利用実績に基づき自動再発議(最大+200)〉
「……可決した」
俺は、呟いた。
マルコが、画面を覗き込む。
「外からの《窓》、か」
彼は、小さく笑った。
「噂は燃える。だが、証拠は灯る」
一呼吸置いて、続けた。
「灯りは―― ”彼ら” が一番嫌うものだ」
「……商人の勘、とやら、恐れ入りました」
マルコは、わざとらしく肩をすくめると、悪戯っぽく笑った。
「あなたの『作品』、楽しみにしていますよ。完成したら、ぜひ私に最初の“商談”を」
そう言い残し、マルコは風のように去っていった。
◆
マルコが去った後、俺と理奈は顔を見合わせ〈公開掲示板〉を再確認した。
そこには、もう一つの提案が掲示され、議論が紛糾していた。
〈配送ログ:見窓志盤 第一便・100機/出立〉
〈留意:押収・改造対策—タンパー(改造)検知時は閲覧専用へ縮退/匿名化メタデータのみ回収〉
そして、別の議題が上がっていた。
〈議題:『志候』の受け入れ上限数設定に関する緊急動議〉
コメント欄は、歓迎の声と、資源不足を懸念する声で荒れている。外圧は、もうすぐそこまで来ていた。
「……時間、ないかもね」
理奈が、呟いた。
「ああ」
俺は、頷いた。
理奈は、まだ自分の『志』を探している。
なら――俺は。
彼女が、そして俺と同じようにこの場所に希望を見出した、
全ての人々が――
安心して『志』を探し続けられる場所を、守らなければならない。
そのための、最初の『作品』を。
創るんだ。
俺は、工房に向かった。
新しいカリンバの製作に、取り掛かる。
それは――
もう個人的な『志の宣言』のためだけのものではない。
協連の『不協和音』を調律し、
アノンノアの『調和』を守り、
そして故郷に残した友に届けるための――
世界と響き合うための、最初の音色だった。
移住申請の列は、日ごとに伸びる。
蓄舎の在庫曲線は、微かに波打つ。
〈志盤〉の議題欄には、赤い印が増える。
『天蓋』の夜回りは、一拍だけ早くなった。
協連の歪みは、限界に達しつつある。
アノンノア自身もまた――
急激な人口増加という、困難な問題に直面していた。
”影の卓“ が――
アノンノアを《危険思想を持つ、秩序を乱す存在》と断定し、
本格的な行動を開始するまで――
もう、時間は残されていなかった。
そして――
俺は、試しに親指で、
製作中のカリンバの基音を、はじく。
トゥリン――
静寂。
一拍。
二拍。
三拍――
返歌が、返ってきた。
基音に、三度と五度が重なる。
『天蓋』のどこかで――
誰かが、同じ〈三・六・九〉を数えている。
この共鳴こそが、俺たちの武器になる。
迫りくる協連の影。
その《偽りの天秤》。
俺たちは――
この音で、立ち向かう。
【第零部 完】
【第一部『アルマティア協商連邦 ― 偽りの天秤 ―』へ続く】




