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第零部『亡命者』:第三章「志を奏でる都-アノンノア-」:終

久しぶりに街へ出ると――


空気が、変わっていた。


明らかに、以前とは違う。



行き交う人の数が、増えている。

誰もが、どこか浮き足立っている。


頭上では――

見たことのない〈飛行型律霊機〉が、荷物を運んで静かに行き交っていた。


「すごい……」


理奈が、呟く。


俺も、同じことを思っていた。


(一年前――

俺たちが初めてここに来た時は、こんなじゃなかった)


たった一年で、こんなに変わるんだ。



広場で、彩恵さんの屋台を見つけた。


「彩恵さん!」


理奈が声をかけると――


「おお!」


彩恵さんが、振り返った。


「二人とも!」


彼女は、俺たちの姿を見て――

満面の笑みを浮かべた。


「いい顔になったじゃないか!」


その言葉に、俺と理奈は顔を見合わせて笑った。


彩恵さんは、俺たちの帰還を――

自分のことのように、喜んでくれた。


そして、近況を語りながら――

新しい律霊機の話をしてくれた。


「ありゃあ便利だよ、〈飛行型律霊機〉『配翼(はいよく)』さ。

おかげで交換所まで行かずに済む。

……まあ、その分、顔を合わせて「ついでにこれ、あそこの爺さんに渡しといてくれ」って伝言が減っちまった。

湯気と一緒に運ばれてた“世間話”は、機械じゃ運べないね」


彩恵はそう言って、悪戯っぽく笑った。



それからの日々は――まるで、ご褒美のようだった。


俺と理奈は、様々な体験授業に参加した。


アノンノアの『志行邦民』たちが、

自らの『志』の一端を、次の世代に分かち与える――

そんな学びの場だ。



鉱石の声を聴く、地質学。


「この石の中には、千年の記憶が眠っている」


老いた地質学者が、言った。


風の流れを読む、建築学。


「風は敵ではない。協力者だ」


建築家が、模型を動かしながら教えてくれた。


そして――


俺が最も心を奪われたのは、

律霊と魔法を融合させて行う、音響工学。


「音は、ただの振動ではありません」


音響工学者が、言った。


「魂を運ぶ、器なのです」



世界は――


俺が知っていたよりも、遥かに広く、深く、

そして美しかった。


「私――」


ある日の帰り道、理奈が言った。


「もう少しだけ、『探志邦民』でいることにする」


俺は、立ち止まった。


「アルティフィキアにいた頃は――」


理奈は、遠くを見るような目をした。


「歯車のことしか、知らなかった」


彼女の声が、少し寂しそうに響く。


一呼吸置いて、続けた。


「でも、ここには――」

木工も、織物も、農業だってある」


彼女は、俺を見た。


「もっと色々なものに触れて、

本当に自分の作りたいものを、見つけたいんだ」



その横顔は――


以前の諦めとは違う、

希望に満ちた輝きを放っていた。


「……いいと思う」


俺は、笑った。


「理奈らしい」


「俺は、決まったよ」

俺は答えた。

「作りたいものが、作るべきものが、はっきりと見えた」


その言葉が、何かを変える引き金になったのかもしれない。


数日後――


〈志端〉が、光った。


〈来訪者〉の表示。


名前を見た瞬間――

俺は、驚いた。


〈来訪者:マルコ・ベザン〉


まさか。



急いで指定された場所に行くと――


そこには、本当にマルコがいた。


以前と変わらない、商人の笑みを浮かべて。


「お久しぶりです、奏真さん」


「マルコさん……なぜ、ここに?」


「商人は、情報の匂いを嗅ぎつけるものでして」


彼は、悪戯っぽく笑った。


部屋に急いで案内すると――


マルコは挨拶もそこそこに、一枚のくたびれた手紙を、テーブルに置く。


その表情が、少し真剣になった。


「先日、ヴィリディアで商談がありましてね。古い取引先の農夫が、これを見せてくれた。

アノンノアにいる息子さんからの手紙だ、と。――『修己』入門で、ご一緒だった方では?」


差出人は、テオだ。


「協連は今――揺れています」


マルコは、単刀直直に切り出した。


ヴィリディアからアノンノアへの移住者が急増していること。

食料生産量が、落ち込んでいること。


そして――


「危機感を抱いた中枢の、影部門が動き始めました」


マルコの声が、低くなった。


「アノンノアを敵視し、本格的な情報収集を始めている」



「影部門……?」


「名は諸説あります」


マルコは、声を潜めた。


「ですが、商人の間では――

”影の卓” と、囁かれています」


一呼吸置いて、続けた。


「表の議場とは別に、結果だけを通す卓がある、とね」



その言葉に、背筋が寒くなった。


密室の決定。

秘密の権力。


「なぜ、そんな話を俺に?」

「商人の勘、とでも言っておきましょうか」

マルコは肩をすくめた。


「『連衡(れんこう)』――協連中枢の連中は、アノンノアが “労働力” を盗んでいると考えている。

だが、俺にはそうは見えない。彼らは “希望” を求めてここに来ている。……違いますかな?」


俺は、マルコの目を真っ直ぐに見返した。


共和国の特使などではないこと。

友を残して逃げてきた、ただの職人であること。

いつか彼らを迎えに行きたいと願っていること。

そしてアノンノアが、それを可能にしてくれるかもしれない場所であること――


俺は、知る限りを話した。


マルコは、腕を組んで黙って聞いていた。


長い沈黙。


やがて――深く、長い溜息をついた。


「……腑に落ちました」


彼は、俺を見た。


「彼らが恐れているのは――

人手の流出じゃない」


一呼吸置いて、続けた。


「 ”物差し“ の、流出だ」



「 ”物差し“ ……?」


「ええ」


マルコは、頷いた。


「衡位では計れない《値》。

それが、広まることを恐れているんですな」


彼は立ち上がり、俺の肩を叩いた。

「面白い話が聞けました。感謝します。

……ところで、先日、〈アノンノア機構〉にお邪魔した際に、一つ質問をさせてもらいましてね」


マルコは、少し声を潜めた。


「この『天蓋』の外で、あなた方の公開情報を見る方法はないのか、と。

そうすれば、我々のような商人にも、あなた方の ”物差し“ の素晴らしさが広まるだろう、とね」


俺は、マルコの意図を測りかねて黙って聞いていると、彼は続ける。


「そうしたら、こんな返事が返ってきましてね。

遠方接続・読み取り・〈アノンノア機構〉へのメッセージ機能など限定的な機能を持った

見窓(けんそう)志盤〉を、もし邦民の許可が取れれば、最初の百機は無償提供出来る、と」


俺は、驚きに目を見開いた。そんな話は、初耳だった。


その時、近くで二人の会話を聞いていた理奈が、素早く自分の〈志盤〉を開いた。

彼女の指が、高速で〈公開掲示板〉をスクロールしていく。


「……これだわ」


理奈が、画面を俺に見せた。そこには――


〈発議No.1027:〈見窓志盤〉100機 無償供与(閲覧・限定返信仕様)〉

〈発議者:アノンノア機構〉

〈要請者:協連の商人ギルド〉

〈要請:自邦で一次情報を閲覧したい〉

〈目的:域外からの〈縁鎖〉閲覧+限定メッセージ(短尺)を可能にする“読み窓”の提供〉

〈初期数:100機(三週の実地検証後、最大+200機の段階拡張を自動再発議)〉

〈機能制限:閲覧専用/短尺音声・テキスト返信のみ/記名配布・暗号化〉

〈保全:改造検知時は閲覧専用へ自動縮退しゅくたい/破壊時も“ただの窓”として残存〉

〈無償:供与は橋であり、手綱ではない(〈アノンノア原理〉引用)〉

〈条件:邦民発議+投票可決〉


マルコが話していた内容とほぼ同じ議題が、すでに掲載されていた。


そして、その下には――

現在進行で、賛可が跳ね上がっている。


73%――


画面を見つめる。


81%――


「すごい……」

理奈が、息を呑む。


92%――



ピン――


澄んだ音が、響いた。



〈結果:可決〉



〈初期配備:見窓志盤・100機〉

〈配送先:商会連絡所(連衡・南部三邦)〉

〈備考:三週後、利用実績に基づき自動再発議(最大+200)〉



「……可決した」


俺は、呟いた。


マルコが、画面を覗き込む。


「外からの《窓》、か」


彼は、小さく笑った。


「噂は燃える。だが、証拠は灯る」


一呼吸置いて、続けた。


「灯りは―― ”彼ら” が一番嫌うものだ」


「……商人の勘、とやら、恐れ入りました」


マルコは、わざとらしく肩をすくめると、悪戯っぽく笑った。


「あなたの『作品』、楽しみにしていますよ。完成したら、ぜひ私に最初の“商談”を」


そう言い残し、マルコは風のように去っていった。



マルコが去った後、俺と理奈は顔を見合わせ〈公開掲示板〉を再確認した。

そこには、もう一つの提案が掲示され、議論が紛糾していた。


〈配送ログ:見窓志盤 第一便・100機/出立〉

〈留意:押収・改造対策—タンパー(改造)検知時は閲覧専用へ縮退/匿名化メタデータのみ回収〉


そして、別の議題が上がっていた。


〈議題:『志候』の受け入れ上限数設定に関する緊急動議〉


コメント欄は、歓迎の声と、資源不足を懸念する声で荒れている。外圧は、もうすぐそこまで来ていた。


「……時間、ないかもね」


理奈が、呟いた。


「ああ」


俺は、頷いた。



理奈は、まだ自分の『志』を探している。


なら――俺は。


彼女が、そして俺と同じようにこの場所に希望を見出した、

全ての人々が――


安心して『志』を探し続けられる場所を、守らなければならない。



そのための、最初の『作品』を。


創るんだ。



俺は、工房に向かった。


新しいカリンバの製作に、取り掛かる。


それは――


もう個人的な『志の宣言』のためだけのものではない。


協連の『不協和音』を調律し、

アノンノアの『調和』を守り、

そして故郷に残した友に届けるための――


世界と響き合うための、最初の音色だった。


移住申請の列は、日ごとに伸びる。

蓄舎の在庫曲線は、微かに波打つ。


〈志盤〉の議題欄には、赤い印が増える。

『天蓋』の夜回りは、一拍だけ早くなった。



協連の歪みは、限界に達しつつある。


アノンノア自身もまた――

急激な人口増加という、困難な問題に直面していた。



”影の卓“ が――


アノンノアを《危険思想を持つ、秩序を乱す存在》と断定し、

本格的な行動を開始するまで――


もう、時間は残されていなかった。



そして――


俺は、試しに親指で、

製作中のカリンバの基音を、はじく。


トゥリン――



静寂。


一拍。


二拍。


三拍――



返歌が、返ってきた。



基音に、三度と五度が重なる。


『天蓋』のどこかで――

誰かが、同じ〈三・六・九〉を数えている。



この共鳴こそが、俺たちの武器になる。


迫りくる協連の影。

その《偽りの天秤》。


俺たちは――


この音で、立ち向かう。



【第零部 完】




【第一部『アルマティア協商連邦 ― 偽りの天秤 ―』へ続く】

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