第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第三章「新生の都-調和の萌芽-」:三
カシアン・ド・ジヴレクールは――
〈アージェンティウム志區〉の代表として、連日、休む暇もなかった。
民衆との対話、『天蓋』の建設計画、アノンノアとの協議。
シエル・ド・セレスティエと共に、彼は駆け回っていた。
だが、彼らの顔には疲労の色はあっても、疲弊はなかった。
旧体制下での苦悩や絶望は、もう消え去っている。
今、そこにあるのは、改革への揺るぎない情熱、確固たる信念。
その姿が、多くの人々に勇気を与えていた。
◆
ある日、カシアンは集まった人々に語りかけた。
「かつて、この国には――《役割》という名の階級制度があった」
彼の声は、広場全体に響き渡った。
人々が、じっと耳を傾ける。
「生まれた場所で、すべてが決まった。
白天族、下級国民、保護国民。
そして、その境界を超える事は困難だった」
カシアンは、一拍置いた。
「だが、その不公平な制度は――もう存在しない!」
その声が、力を帯びる。
群衆から、ざわめきが起こった。
「この新生アージェンティウムでは、皆が対等だ。
それぞれの能力と意思に基づき――
この新しい社会を、共に創り上げていくのだ!」
カシアンの拳が、握られる。
拍手が起こった。歓声が上がった。
希望が、確かにそこにあった。
◆
シエルは、別の場所で講義を開いていた。
彼女の前には、新訳天律聖書が開かれている。
その解釈は、かつての天律聖書とは全く異なるものだった。
「《真の『天律教』》とは何か」
シエルの静かな声が、聴衆を捉える。
「それは、《静寂》ではありません。
人々が自由な感情を持ち、多様な文化を享受すること――
それこそが、宇宙の絶対法則である《調和》なのです」
シエルの目が、光を帯びる。
彼女は、聖書の一節を指し示した。
「ここには、こう書かれています。『諸々の音が響き合い、天の律に至る』と」
シエルの指が、ページに触れる。
「これまで、この《音》は比喩として軽視されてきました」
シエルの瞳が、鋭く光った。
「しかし、これは比喩ではない。文字通りの真理です」
一呼吸。
「多様な個が、それぞれの音を響かせ、共鳴し合う――
それが、本当の《調和》なのです」
シエルの声が、響く。
彼女の言葉は、混乱の中にあった人々に新たな精神的支柱を与えた。
未来への、確かな道筋を示した。
聴衆の中から、一人の老人が立ち上がった。
「私は……長年、《静寂》こそが正しいと信じてきました」
その声は、震えていた。
「しかし――今、理解しました。
私が求めていたのは、静寂ではなく――
真の《調和》だったのだと」
老人の目には、涙が浮かんでいた。
シエルは、静かに頷いた。
◆
『律霊掌』リアム・ド・アルバートルは――
自身の選択に、後悔はなかった。
『天昇の繭』の霊依に、彼は霊魂を憑依させる。
だが、今は違う。
かつては《支配》だった。霊依に命令し、従わせる。
それが『律霊掌』の仕事だった。
今は――《共鳴》。
「頼む。一緒に、動いてくれ」
リアムは、霊依に語りかけた。
巨大烏賊の触手が、応えるように動いた。
以前とは違う。より滑らかで、生き生きとした動き。
まるで、霊依自身が意思を持っているかのように。
「これが……本当の《律霊》なのか」
リアムは、微笑んだ。
霊依から、かすかな《響き》が返ってくる。
彼の仲間たちも、同じように新たな方法で律霊体を運用し始めていた。
『律霊掌』は――もはや《支配者》ではない。
霊依たちとの《共鳴者》となったのだ。
◆
下級国民や保護国民として虐げられてきた者たち――
その中心に、リラ・テトラがいた。
彼女の目は、輝いていた。
「ねえ、聞いた? アノンノアでは、誰でも好きな場所に行けるんだって」
「本当? 私たち、ずっとここにいなきゃいけないと思ってた」
「もう違うのよ。私たちは、自由なんだから」
リラは、仲間たちに語りかけた。
「アノンノア原理――真の自由。
もはや《与えられた場所》に留まる必要はない。
自らの意志で、新天地に向かうことすら可能なの」
彼女の声が、弾む。
彼女の周りには、かつての仲間たちが集まっていた。
みんな、未来への夢を語り合っている。
「私は、アルティフィキアで技術を学びたい」
「僕は、ヴィリディアで農業を」
「私は……アノンノアに行ってみたい」
様々な夢、様々な可能性。
それが今、彼らの前に広がっていた。
リラは、胸を躍らせた。
(こんな未来が来るなんて、かつて誰が想像できただろう)
◆
通商奉都――
ロラン・ド・ヴァラルジャンは、執務室で地図を広げていた。
混乱の終焉を、彼は静かに見守っていた。
だが、ただ見守っていたわけではない。
彼は、すでに次なる一手を打っていた。
「見ろ。旧体制の崩壊がもたらした、経済的な空白。
そして、アノンノアの支援による『天蓋』建設がもたらす、新たな需要」
ロランは、部下に地図を示した。
彼の指が、幾つかの地点を指し示す。
「物資、技術、人材。すべてが必要とされている」
ロランの瞳が、鋭く光った。
「これは、千載一遇の機会だ」
彼は、部下に命じた。
その声には、冷静な判断力と未来への明確な展望が宿っていた。
「アノンノアとの支援ルートを、早急に確保せよ。
彼らの持つ豊富な資源と高度な技術は――
新生アージェンティウムの復興に、不可欠となる」
ロランは、続けた。
「そして、霊窟孔の新しい利用法についても、彼らと積極的に協議したい。
我々ヴァラルジャン家もまた、新たな《調和》の一翼を担うのだ」
商人の目は、常に未来を見ている。
◆
共和国の地は、もはや《静寂》の凍土ではなかった。
新生アージェンティウム――
まだ不安定で、多くの課題を抱えている。
前途は、決して平坦ではないだろう。
しかし――
奏真の音楽が、響いている。
人々が取り戻した《感情》が、溢れている。
アノンノアとの協力が、実を結び始めている。
その大地に、新たな生命の息吹がもたらされた。
多様な《音》が自由に響き渡る、豊かな《調和》の大地へと――
聖アージェンティウムは、確実にその姿を変え始めていた。
静寂は、過去のものとなった。
今、ここにあるのは――《響解》。
新しい時代が、始まっている。




