第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第三章「新生の都-調和の萌芽-」:二
静寂の鎖が解き放たれて、数週間が経った。
新生アージェンティウムは、混沌と希望が入り混じる――
活気ある変革の只中にあった。
かつて、この街を支配していたのは重苦しい沈黙。
人々は下を向き、囁き声でしか話さなかった。
今は、違う。
旧体制の残骸が片付けられ、新たな建設計画が次々と立ち上がる。
聖都の空には、人々の話し声が響く。
槌音が鳴り響く。笑い声すら、聞こえてくる。
新しい生命の鼓動――聖都は、生まれ変わろうとしていた。
◆
アノンノアからは、支援が届き始めていた。
律紀が率いる熟練の技術者チーム。
大量の物資を積んだ律霊飛空艇が、次々と聖都に降り立つ。
建築資材、食料、医療品、そして新たな霊法技術の設計図。
復興作業は、目覚ましい速度で進んでいった。
かつて《混沌》として恐れられていたアノンノアが――
今は希望の象徴として、聖都を支えている。
時代は、確かに変わったのだ。
◆
工匠奉都の一角、理奈は大きな設計図を広げていた。
周りには、レイモンド・ブランシュをはじめとした――
アージェンティウムとアノンノアの霊法専門家たちが集まっている。
〈白環霊域志區〉の運用計画。そして、霊窟孔直上への『天蓋』の設計。
「見てください。現在の聖都は、霊窟孔の真上に位置しています」
理奈の指が、地図上の一点を示した。
専門家たちが、身を乗り出す。
「表層の霊法資源は枯渇してきている。でも、深層には――
まだ豊かな霊法資源が残っている」
理奈の瞳が、光を帯びた。
「この利点を最大限に活かすべきです。現在の聖都を天蓋に改造して――
霊法技術や物質の採掘、研究、開発までを一貫して行える、
霊法研究都市として再構築するのです」
一呼吸置いて、彼女は続けた。
「これが最も効率的で、未来の霊法技術の中核となるでしょう」
その言葉には、科学者としての確信と――
未来への明確な展望が宿っていた。
レイモンドは、じっと設計図を見つめていた。
『天蓋』、霊法研究都市、自分たちの技術が真に人々のために役立つ未来。
彼は、深く頷いた。
「素晴らしい……私たちの技術が、ようやく――
本当の意味で、活かされる」
その声は、感動に震えていた。
レイモンドの顔には、職人としての純粋な喜びと誇りが浮かんでいた。
(長年、白天族のために働かされてきた)
(自分の技術は、誰のためのものだったのか)
夜な夜な、工房で自問した日々。
作れば作るほど、心が空虚になっていった。
だが――
(今、答えが見えた)
自分の技術が、本当に人々のために――
役立つ未来が、見えた。
「全力で、協力させていただきます」
レイモンドの声は、確信に満ちていた。
◆
工房区では、ラカンの声が響いていた。
「おい、そこ! もっと丁寧にやれ!
新しい技術ってのは、焦っちゃダメなんだ!」
虎人族の巨体が、職人たちの間を動き回る。
彼の指導は厳しいが、その目には温かさがあった。
アキは、別の工房で若い職人たちを集めていた。
「アノンノアの技術は、確かに新しい。
でも、僕たちの伝統的な技術と組み合わせられるはず」
彼の手元には、アノンノアの設計図と――
アージェンティウムの古い技術書が並んでいる。
「新しいものと古いもの。両方を大切にすることが――
本当の進歩なんだって、奏真が教えてくれたんだ」
二人の献身的な協力によって、工匠奉都の職人たちは――
新たな技術習得に励んでいた。
聖都の霊法技術は、新たな局面を迎えようとしていた。
◆
聖都の中央広場では、奏真の音楽が毎日響き渡っていた。
彼は、ただ演奏するだけではない。
人々の感情を呼び覚まし、調和へと導くための――
《調律》の体験会を、開催していた。
最初の日、人々は恐る恐る集まってきた。
「楽器に……触れてもいいのか?」
「《混沌》では……?」
長年の教義が、まだ人々を縛っている。
奏真は、優しく微笑んだ。
「大丈夫。音楽は、混沌じゃない。一人ひとりの心の声なんだ」
彼は、カリンバを弾いた。穏やかな音色が、広場に響く。
「さあ、あなたの音を、聞かせてください」
かつて感情を抑圧されていた人々は、最初は戸惑いながらも――
カリンバや、アノンノアから持ち込まれた様々な楽器に触れ始めた。
初日は、ぎこちなかった。
それぞれの音がバラバラで、不協和音を奏でた。
「これで……いいのか?」
「変な音になってしまう……」
だが、奏真の穏やかな指導が続いた。
そして、彼自身の音楽が持つ《調和》の力が――
人々の心を、解きほぐしていった。
一週間、二週間――少しずつ、人々は変わっていった。
最初は不協和音だった音が――
次第に、調和し始める。
誰かがカリンバを弾く。
別の誰かが、リズムに合わせて鈴を鳴らす。
さらに別の誰かが、その上に笛の音を重ねる。
それぞれがバラバラだった音が――
いつの間にか、一つの《調べ》になっていた。
自分たちの感情を自由に表現することの喜びを――
人々は、取り戻していった。
広場には今、喜びや好奇心に満ちた多様な音が溢れている。
◆
ある日、一人の老女が広場にやってきた。
彼女は、小さな鈴を手に取った。震える手で、それを鳴らす。
チリン――
澄んだ音色が、広場に響いた。
老女の目から、涙が溢れた。
「私の心にも……こんな音が……!」
声が、震える。
彼女は、鈴を握りしめた。
何十年ぶりだろう。この感覚は。
それは、彼女が長年押し殺してきた――
純粋な《喜び》の、音だった。
周りの人々も、涙を流していた。
奏真も、静かに微笑んでいた。
音楽が、人を取り戻していく。その瞬間を、目の当たりにしていた。
◆
広場の隅では、子供たちが集まっていた。
彼らは、もう恐れていない。自由に歌い、踊り始めた。
一人の少女が、太鼓を叩く。
少年が、笛を吹く。
別の子供たちが、手拍子で加わる。
「ねえ、この音、きれい!」
「私も! 私も鳴らしてみたい!」
無邪気な笑顔が、聖都の空に弾ける。
老人たちは、その姿を見て微笑んだ。
(この子たちは、自分たちとは違う)
(最初から、自由を知っている)
(彼らが――)
(新しいアージェンティウムを、作っていくのだ)
聖都の広場は、変わった。
かつての無機質な静寂は、もうない。
今、ここには――多様な音が響き合う、生命力に満ちた場所がある。
空を見上げると――
かつて監視烏が飛び交っていた空が、今は青く澄んでいる。
風が、心地よく吹き抜ける。
その風に乗って、音楽が街全体へと広がっていく。
奏真のカリンバの音色と共に――
人々の笑い声、子供たちの歌声、職人たちの槌音。
それら全てが混じり合い、新しいアージェンティウムの《響き》を奏でていた。
新しい時代が、確かに始まっている。
そして――その調べは、まだ終わらない。
これから、もっと美しく、もっと豊かに――
響き続けていくのだろう。




