表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第二章「破綻する都-蠢く真実-」:終

聖都を埋め尽くす、民衆の怒号。

それに共鳴し響き渡る、奏真の《調律》の音楽。


混沌の渦の中を、カシアン、シエル、奏真、理奈の四人は――

天律大聖堂(てんりつだいせいどう)』の最上部へと、駆け上がっていた。


足元で石畳が震える。背後から押し寄せる、民衆の熱気。


衛士庁の抵抗は凄まじかった。幾度も、行く手を阻まれた。


だが、『律霊掌』リアムの決死の妨害工作と――

聖水から解放された労働者層の決死の抵抗が、

その防衛線を、内部から突き崩した。


大聖堂への道は、興奮と激怒に燃える民衆の波で――

埋め尽くされていた。



天律大聖堂(てんりつだいせいどう)』の大広間。


巨大な円柱が天井を支え、ステンドグラスから差し込む光が――

床に幾何学的な模様を描いている。


その中央の、神聖な輝きを放つ玉座に――

聖アージェンティウム共和国の最高指導者が、座していた。


ユリウス・ド・アロワール天律教皇。


白い法衣を纏った老人。その背後には、未だ忠誠を誓う衛士たちが隊列を組み――

シルヴァン・ド・ミラルジャンとダミアン・ド・ジヴレクールが、

教皇を守護するように、立ちはだかる。


奏真たちが足を踏み入れると、教皇の視線が彼らを捉えた。


その顔は、憔悴しているようにも、諦めを湛えているようにも見えた。


「異端者どもめ、よくもここまで辿り着いたな」


教皇ユリウスは、威厳に満ちた声で言った。


その瞳の奥には、長年の絶対的支配者としての確固たる信念と――

しかし、隠しきれない微かな動揺が、垣間見えた。


「この《静寂》こそが、天律教の真理。

貴様らの《混沌》は、共和国を滅ぼすだけだ」


奏真は、玉座の前に進み出た。


彼のカリンバは、共和国中の人々の目覚めた感情と共鳴し――

かつてないほどの輝きを放っている。


その音色は、この聖堂の堅牢な壁すら震わせるかのようだった。


「静寂は真理ではない!」


奏真は、全身全霊を込めて叫んだ。


「それは、あなた方が人々から奪い、閉じ込めた――感情の牢獄だ!」


拳が、握られる。


彼は、カリンバを構えた。深く、息を吸う。


そして――指が、音板を弾いた。



音が、大聖堂に響き渡った。


それは、ただの音ではない。


共和国の人々が今、真に感じている《怒り》と《悲しみ》、

そして《自由への願い》を乗せた、数百万の魂が織りなす――

解放の、叫び。


大聖堂の空気が震えた。壁が軋む。床が振動する。


まるで建物全体が、この音楽に共鳴しているかのように。


教皇ユリウスの顔が、歪んだ。


数十年にわたる《偽りの天律》が生み出した魂のしがらみが――

この音によって、揺るがされていく。



続いて、理奈が前に進み出た。


彼女の手には、聖水の解析結果を記した詳細な文書が握られている。


「教皇ユリウス、『偽りの聖水』に含まれる眠味成分――これを、ご覧ください」


理奈の声は、冷静だった。科学者の、事実を述べる声。


彼女は、文書を掲げた。


「この化学構造式が示すのは、人の感情の高ぶりを抑え――

思考を鈍らせる物質です」


理奈の目が、鋭く光る。


「あなたの《静寂》は、真の信仰ではなく――

卑劣な精神支配の上に、成り立っていた!」


一呼吸置いて、彼女は続けた。


「さらに問います。なぜ、《魂と器の神聖性》という教義は――

これほど厳しく、人工物に魂を宿すことを冒涜としたのですか?」


理奈の瞳が、鋭く教皇を射抜いた。


「まさか、あなたの信仰こそが、過去の霊法的な過ちを隠蔽し――

民から真実を、遠ざけてきたのではないですか!」


理奈の言葉は、教皇の絶対的な権威を――

論理と科学の刃で、深く抉った。


シルヴァン・ド・ミラルジャンは激昂し、「黙れ、異端者め!」と叫び――

霊法を発動しようとした。


だが、教皇ユリウスは微かに手を上げ、それを制した。


その細い指は、僅かに震えていた。

教皇の顔には、真実を直視させられた苦悶が浮かんでいた。



その時、大聖堂の巨大な扉が――

轟音と共に、押し開かれた。


シルヴァンが、振り返った。


「何者だ!」


現れたのは、『律霊掌』の制服を纏った男――

リアム・ド・アルバートル。


彼の背後には、彼に同調した数人の『律霊掌』の仲間たちが続いていた。


「リアム……! 貴様……『律霊掌』でありながら、裏切るのか!」


シルヴァンの顔が、驚愕に歪んだ。


リアムは、まっすぐ教皇を見据えた。


彼の顔には、長きにわたる葛藤を乗り越えた――

清々しい決意が、宿っていた。


「教皇様……私は、これまで聖なる職務に誇りを持っておりました」


震える声。しかし、堂々と。


「しかし、あの《聖水》の真実、そして霊依たちが発する《響き》は――

私の信念を、揺るがしました」


リアムの拳が、握られる。


「真の『天律教』は、抑圧された静寂の中にはありません!

多様な生命が織りなす《調和》の中にこそ、あるのです!」


リアムの声が、響く。


リアムは、『天昇の繭』の霊依を利用して、上層への通路を完全に解放していた。


大聖堂の外から聞こえる轟音は、もはや遠い音ではなかった。


それは、中層から国民たちが上層へと押し寄せ――

この天律大聖堂へと殺到している、まさにその足音だった。


怒りと自由への渇望が渦巻く人々の熱気が、大聖堂の奥深くまで押し寄せる。


「教皇ユリウス! 民が、貴方を裁きに来たぞ!」


カシアン・ド・ジヴレクールは、傍らに立つダミアン・ド・ジヴレクール衛士総監の――

憔悴しきった顔を一瞥し、教皇に宣言した。


ダミアンは、甥カシアンの姿を見つめた。


革命を率いる凛々しい横顔、そしてリアム、『律霊掌』たちの裏切り、

押し寄せる民衆の波――


自らが守ってきた共和国の秩序が、目の前で崩壊していく。


「カシアン……お前は……本当に……」


ダミアンの声は、か細かった。


膝が力を失った。ガクリと、その場に崩れ落ちる。


甲冑が石床に当たり、鈍い音を立てた。


彼の心もまた、《静寂》という名の鎖から解放された。

だが、それは自由ではなく、抗いようのない絶望だった。


その瞳には、かつて見たことのないほど深い虚無が宿っていた。



その時、大聖堂全体が震えた。


扉が軋む。ガンッ、ガンッ、という衝撃音。

外から、民衆が押し寄せている。


そして――


轟音と共に、巨大な扉が内側へと倒れ込んだ。


なだれ込んできたのは、怒り、悲しみ、そして何よりも自由への渇望に燃える――

数えきれないほどの、国民たち。


彼らの目には、もはや《静寂》への盲目的な服従の影はない。

自分たちの感情を取り戻した《生》の輝きが、宿っていた。


その波動は、大聖堂全体を震わせた。

床が軋み、柱が揺れ、ステンドグラスが振動する。


「教皇を!」

「真実を!」

「自由を!」


咆哮が、聖堂を満たした。



教皇ユリウスは、押し寄せる民衆の波を見つめた。


全身を揺さぶる奏真の音楽、『律霊掌』の裏切り、理奈の論理的な告発――

自らの絶対的な権威が、崩壊していく。


(これが……終わりか)


彼は、ゆっくりと目を閉じた。


顔から、徐々に威厳が消え去る。

深い絶望、そして――長きにわたる重圧からの解放を意味する、

一抹の安堵のような表情が浮かんだ。


それは、彼自身もまた《静寂》の囚人であったことを物語っていた。


(私も……縛られていたのか)


玉座から、ゆっくりと立ち上がる。老いた体が、震えていた。


「……『天律教』は」


か細い声。民衆の咆哮と音楽の中に、しかし確かに響いた。


「変わるのか……」


一呼吸。


教皇の目が、ゆっくりと開く。


その瞳には――もはや支配者の光はなく、

ただ一人の老人としての、静かな諦念があった。


「いや――」


微かに、首を振る。


「変わるのではない」


「元に、戻るのか……」


それが、聖アージェンティウム共和国天律教皇――

ユリウス・ド・アロワールが最後に発した、《裁き》だった。



その瞬間、聖アージェンティウム共和国の――

長きにわたる《静寂》の支配は、終わりを告げた。


大聖堂に、奏真のカリンバの音が響き渡った。

もはや、それを遮るものは何もない。


音楽は、民衆の歓声と混じり合い、聖都全体を包み込んでいく。


窓の外――聖都の空が、変わり始めていた。


灰色の雲が晴れ、青空が覗く。

まるで、共和国の未来を祝福するかのように。


カシアンは、シエルと視線を交わした。

二人とも疲弊しきっていたが、その瞳には確かな光があった。


理奈は、奏真の隣に立った。


「やったわね」


「ああ……」


奏真は、カリンバを胸に抱いた。


この音楽が、本当に人々を自由にした。


大聖堂の外から、歓声が響いてくる。


静寂は、破られた。


新たな時代が、始まろうとしていた。


――第二章「破綻する都-蠢く真実-」終――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ