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第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第二章「破綻する都-蠢く真実-」:三

奏真の《調律》の音楽が、共和国全土に響き渡った。


人々の内なる感情が、目覚めた。


そして――もう、止まらなかった。


下級国民たちは、長らく背負わされてきた《役割》という名の鎖を――

次々と、断ち切り始めた。


「もう、従わない!」

「俺たちは、器じゃない!」

「自由を!」


聖都の下層。長引く食料配給の遅延、白天族による霊法資源の独占。

積もりに積もった不満が、爆発した。


怒りは、もはや誰にも制御できない。

小さなデモが、大規模な抗議へと膨れ上がっていく。


各衛星都市の労働区画でも、同様の抵抗運動が多発した。


共和国全土が、制御不能な混乱の渦に巻き込まれていく。



「秩序が……崩壊していく……!」


シルヴァンは、自室で次々と届く報告を見つめていた。


【下層区画、制御不能】

【工匠奉都、抵抗運動拡大】

【豊穣奉都、霊法施設占拠】


一つ、また一つと、悪い知らせが積み重なっていく。


シルヴァンの顔は、青ざめていた。


ミラルジャン家が誇る強固な情報統制網が――

〈見窓志端〉から溢れ出す感情の波の前で、無力に掻き消されていく。


彼の手が震えた。報告書が、床に落ちる。


「馬鹿な……こんなはずでは……」


かつて絶対の自信を持っていた男の目に、今は動揺だけが浮かんでいた。


(完璧だったはずだ)


(情報統制は万全だった)


(民衆の管理も――)


(なぜ……)


窓の外から、怒号が聞こえてくる。


シルヴァンは、耳を塞ぎたくなった。


だが、その音は止まらない。



ダミアンは、総力を挙げた。

全ての兵力を投入し、デモを鎮圧する。


「『静謐の環』を全て起動させろ!」

「衛士犬を放て!」

「威嚇射撃を許可する!」


だが、民衆は止まらなかった。


聖水から解放され、感情を取り戻した人々――

もはや『静謐の環』や衛士犬の咆哮も、彼らの怒りの前では無力だった。


むしろ、弾圧が激しくなればなるほど――

人々の怒りは、燃え上がった。


「引くな! 前進しろ!」


ダミアンの命令が飛ぶ。


だが、衛士たちも困惑していた。

相手は、テロリストでも異国の兵士でもない。

自分たちと同じ、共和国の国民なのだ。


反抗の炎は、さらに激しく燃え盛った。



その混乱の中、『律霊掌』リアム・ド・アルバートルは悟った。


自分の選択の時が、来たのだと。


彼の心を揺さぶっていたもの――

それは、〈見窓志端〉から流れる奏真の音楽だけではない。


霊依を操るたびに感じていた、抑圧された生命の響き。

〈見窓志端〉を通じて知った、『偽りの聖水』の真実。


それら全てが、彼の心の中で響き合い――

確信へと、変わった。


「これは……冒涜ではない」


リアムは、自らに言い聞かせるように呟いた。


「これが――真の《調和》なんだ……!」


その言葉と共に、長きにわたる葛藤に終止符を打った。


彼は、決断した。


そして――彼は一人ではなかった。


他の『律霊掌』たちも、同じ疑念を抱いていた。

同じ《響き》を、感じていた。


リアムの決断は、彼らの心にも火を灯した。



リアムは、自らが操る霊依に命じた。


『天昇の繭』の巨大烏賊が、触手を引き寄せる。

繭が、中層で停止した。


上層への道が、閉ざされる。


聖都中層と上層を結ぶ主要な移動手段が停止したことで――

上層の要人たちは孤立し、衛士の動きも大きく制限される。


さらに、リアムは他の『律霊掌』の仲間たちと連携した。


『聖鯨艇』――聖都を巡り、物資輸送と交通を担う霊法船。

その運用にも、決定的な妨害を加える。


船が、一隻、また一隻と、共和国の指揮下から外れていく。


物流と移動の中枢が、完全に麻痺した。


『律霊掌』――体制側のエリートが、反旗を翻した。

共和国の生命線たるインフラを、内側から攻撃する。


それは、支配層に甚大な、かつ予想外の打撃を与えた。


「リアム! 貴様……何をしている!」


ダミアンは、『律霊掌』の裏切りを知り、激昂した。


彼の顔は、怒りと焦燥で紅潮している。


「正気か! お前は『律霊掌』だぞ!

共和国の秩序を支える、選ばれし者だ!」


だが、リアムは答えなかった。


彼は既に、自分の道を選んだのだ。


ダミアンは、拳を握りしめた。


『律霊掌』たちの妨害は、衛士庁の鎮圧活動を著しく阻害している。

上層からの指示が滞り、各所への兵力投入も思うようにいかない。


鎮圧部隊の足並みは乱され、混乱は拡大の一途を辿った。


「秩序が……私の守ってきた秩序が……」


ダミアンにとって、秩序の崩壊は――

世界の終わりを、意味した。



カシアンは、屋敷の隠し部屋で――

聖都が《覚醒》していく様子を、〈見窓志端〉を通じて見守っていた。


画面には、次々と映像が流れてくる。


下層の抗議デモ、工匠奉都の労働者たち、

『天昇の繭』の停止、物流の混乱。


人々の感情の爆発は、予想以上の規模で広がっていた。


だが、その混乱の中にも、確かな希望の光が見えた。


「民は、もう偽りの静寂には戻らない」


カシアンは、静かに言った。


シエル・ド・セレスティエが、隣で頷いた。

その冷静な声の奥に、確かな決意が秘められている。


「今こそ、真の『天律教』を示す時です」


彼女は、地図上の一点を指さした。


天律大聖堂(てんりつだいせいどう)』。


「天律教皇との直接対決の準備を――

この覚醒の波を、大聖堂へと向かわせるのです!」


シエルの目が、鋭く光る。


奏真は、その言葉を聞いて、カリンバを構えた。


彼の音楽は、変わり始めていた。


かつては、感情を解放する音だった。

今は――それだけではない。


混沌の中から、新たな秩序を生み出す力。

怒りの奔流を、希望へと導く調べ。

人々を、一つの目標へと集める旗印。


指が、弦を弾いた。


音が、響く。


それは、革命を導く旗印――

人々を、大聖堂へと導く道標。


〈見窓志端〉を通じて、その音楽が広がる。


デモの群衆が、一斉に同じ方向を向いた。


大聖堂へ。


奏真の《調律》の音楽は、混沌の中から新たな調和を生み出そうとしていた。



聖都の《覚醒》――

それは、革命の最終局面へと突入する合図だった。


下層から、中層へ。

中層から、上層へ。


人々の波が、押し寄せていく。


まるで、川の流れのように。

一つの方向へ、収束していく。


その先にあるのは、『天律大聖堂(てんりつだいせいどう)』。


聖都の中心に立つ、白い尖塔。

共和国の信仰の象徴。

そして――欺瞞の根源。


真の《調律》の音が、聖アージェンティウムの空に響き渡る。


もはや、誰にも止められない。


静寂の時代は、終わろうとしていた。


奏真のカリンバの音が、革命を導いていく。


その先に待つのは――


最後の対決。


天律教皇との、決着の時が、迫っていた。

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